6−3

 コンビニの会計を済ませ、自動ドアから外に出ると、待ってましたと言わんばかりに湿気が身体にまとわりついてくる。あたりは薄暗くなっていた。息を吸い込むと、湿った草のような、夏特有の空気の香りが鼻腔をくすぐる。設置された照明に、蝶や蛾のような昆虫が衝突し、「バチッ」という音を立てている。


 田舎特有のコンビニの特徴で、駐車場が広く、ちょっと休憩できるようにベンチなんかが店先に置かれている。俺はそれを指差しながら、改めて美月を見た。小学校の時よりも身長が伸びて髪が長くなり、大人びた印象になっている。


「お前、背伸びたな」


「そうでしょ。この1年くらいで10センチ位伸びた。バスケのおかげかな」


「バスケをやると身長が伸びるって言う奴たまにいるけど、運動して変に筋肉をつけると身長伸びなくなるってのも聞くな」


「確かに。気のせいかもね。でも私、幸太郎と目線変わんないね。小学校の時と比べて」


「俺もちょうど10センチくらい伸びたんだよ」


「じゃ、やっぱバスケ関係ないね」


 そう言って、美月はなぜか残念そうな顔をした。俺がベンチの上に腰を下ろすと、美月も俺の右側に尻一つ分ほどの距離をとって座った。


 泉が去ってしまったのでどうやって美月を引き止めればいいかとヒヤッとしたから、彼女からの申し出をもらったことはありがたかったんだが、上手く進みすぎて怖くなる。


「俺になんか用事でもあったのか」


「いや、何かコータローとアイス食べながら話すなんて久しぶりだと思って」


「アイスは普通夏しか食わないから……小学校の夏ぶりか」


「2年くらい前でしょ」


 美月は早速開封したアイスを頬張りながら、なんてことないことだと言わんばかりにそういった。その2年の間、俺はスクールカーストの中で虐げられ、随分と惨めな思いをしてきたというのに。流石にカースト上位のやつは違う。改めてこの2年の差を考えてみる。


「2年前か……ほんの少し前のことなのに、随分懐かしく感じるな」


「2年前の夏のコータロー、会うたびに、陽菜ちゃんに好かれるにはどうしたらいい、ってずっと言ってたよね」


「ああ。そうだったな。っていうかお前、その話、泉にしたんだろ」


「言っちゃダメだっけ」


「ダメじゃないけどデリカシーってあるだろ」


 陽菜という名前を聞いただけで動揺してしまう。別の中学に行ってしまった、俺の初恋の相手の名前だ。もう流石に諦めたんだけど、今でも名前を聞くだけでドキリとしてしまう。美月は笑っていたが、途中から眉をひそめ出した。


「それを言うならコータローだって、私のスカートめくりゲームの話、涼子にしたんでしょ」


「……言っちゃダメだっけ」


「ダメに決まってるじゃない!」


「発案者だとは言ったが、スカートの下に何があったのかまでは言ってないぞ」


 そう言うと美月は無言で俺の右肩を殴ってきた。痛ってえ。泉には言ってないけど峰岡にはがっつりバラしてしまったということは伏せておいた。多分もっと強く殴られるな。


「コータローこそデリカシーなさすぎ。殴るよ」


「いや、そういうのは殴る前に言え」


 俺が涙まじりにそう言うと、美月はフフッと笑った。だが俺は、肩に残る鈍い痛みよりも、自分でも信じられないくらい自然に美月と会話できていることに対して動揺していた。まるで小学校卒業後から1年半の間、ほとんど会話してこなかったのが嘘のように、スラスラ言葉が出てくる。だが、1つだけ引っかかっていたことがあった。


「あのさ、呼び方だけど」


「呼び方?」


「いや、お前、俺と学校で話した時は『キノコ』って呼んでた気がして。さっきから『コータロー』って呼んでっから」


「そうだっけ。これまでずっと、コータローって呼んでたつもりだったんだけど」


 美月は首を傾げた。


「そもそも学校で話した記憶があんまりないんだけど」


 よく思い出してみる。確かに、美月は俺のことを1回「キノコ」と呼んだことがあった。だが、その後も美月と話したことがあったっけ。


「そうか……そもそも普段あんまり学校で話さんもんな」


「そうね。別に避けてるわけじゃないんだけど」


「避けてるのかと思ってた」


「違うよ。そんなわけないじゃん……クラスも部活も違うから、機会がなかっただけ」


 美月は目線をそらしながらそう言った。美月に1回「キノコ」と呼ばれたことがショックで、美月は俺のことをカースト最底辺の根暗キモオタクだとバカにしているんだと思いこんでしまっていた。だが、よく考えてみればその1回だけで、そう思い込んだんじゃなかっただろうか。俺はどんどん混乱してきた。


「なんで1回だけ話したんだっけ」


「なんだったっけね。1年生のときの休み時間で、女バスの人が周囲にいた気がする。周りがコータローのことそう呼んでたから、流れで『キノコ』って呼んだかもね。ってかそのあだ名、修二がつけたんだっけ」


 俺は驚いてアイスの最後の一口を地面に落としてしまった。美月はその欠片に目線を落とし、「もったいない」と歌でも口ずさむように言った。修二が、このあだ名をつけた?


「1年生の時、コータローがマッシュになったでしょ。そのときに、木下幸太郎だから『キノコ』だって。卓球部の奴らとあわせれば『イモ・ネギ・キノコ』だなって、修二が言ってた気がするんだけど」


「それ、気がついたら呼ばれ出してて、誰が言い出したか知らないんだけど」


「そうなの? 修二と仲良かったから、コータローも知ってたと思ってたんだけど」


 動揺で視界が歪む。この忌々しいあだ名をつけたのが修二だって?


「あいつ、昔からあだ名つけんのうまかったでしょ?」


「そ、そうだったけど」


「もしかして、そう呼ばれんの、嫌だった?」


「いや、まあ、その……あんま好きじゃない。髪型、似合ってないって言われてるみたいだなと」


「ええ、実は、私は似合ってると思ってたんだけど。コータローって丸顔で顎が細いから、マッシュ向きの輪郭だと思うよ。周りにいないから目立つけどね」


 真顔で美月がそう言った。実は、何度も別の髪型にしようと思ったのだが、自分では内心似合っていると思っていたのと、あだ名をつけられたせいで髪型を変えたと思われるのも癪だったし、結局いつもマッシュにしていた。これまで一度も誰かに似合っていると言われたことがなかったのでまた動揺してしまった。俺が頭の中がグチャグチャになって黙っていると、美月は食べ終わったアイスの棒に目線を落としてこういった。


「その……コータローのこと、傷つけてたら、ごめん。修二とコータローは仲良いと思ってたから、コータローも同意の上で使われてるあだ名だと思ってた」


「い、いいよ。お前も悪気があったわけじゃないんだろ」


 俺は深呼吸をしてとりあえず気持ちを整えた。あまりの動揺に、危うく今日の本題を忘れるところだった。ちょうど修二の話が出てきたので流れ的にはベストのタイミングだ。俺は居住まいを正し、美月の方を向いた。


「そのさ、修二のことで思い出したことがあって」


「何?」


「お前、修二のこと振ったんだろ」


「懐かしいこというね。そんなこと、あったな……すっかり忘れてた」


 そう言って美月は俺から顔をそむけた。何かを隠そうとしているように見えた。


「陽菜の話が出たついでに思い出したんだよ。お前ら、俺から見ていい感じだったから、康介からお前が振ったって聞いたとき、なんでだろうと思ったんだよ」


 康介というのが、俺と美月と修二の共通の友達だったやつだ。康介は陽菜とはまた別の私立中学に行ってしまった。美月は俺のほうに顔を向けないまま続けた。


「いい感じだと、思ってた?」


「ああ、うん、まあまあ」


「だからか……」


「何が?」


「なんでもない。ひとりごと。私は、その時……というか、ずっと別に好きな人がいたから」


「へぇ、そういや俺の好きな人の話はしてたのに、お前のそういう話は聞かなかったな」


「あえて話題にしなかったんだけど、興味ないんだと思ってた」


「興味はあるけど聞いちゃダメかと思ってた」


「そうね。聞かれても言う気はなかった」


「え、俺のは知ってたのにズルくないか」


「コータローより私の方が偉いからいいの」


「どういう理屈だよ。そんで誰だったんだ。俺の知ってる奴?」


「コータローには言わない!」


 美月は、俺と目を合わせないまま顔を赤くして、突然大声を出してそういった。声にはっきりと拒絶の意図が入り込んでいた。美月はふと我に返ったように顔の力を抜いた。


「……ごめん。大声出して」


「気を悪くしたらごめん。修二とのことについて聞かれるのがそんなに嫌だったとは思ってなかった。悪かった」


「いや、怒ってないから。はずみで大声が出ただけで」


 俺は立ち上がった。あたりはすっかり暗くなっていた。目的の内容は聞き出せたが、美月を怒らせてしまった。これ以上は聞けないな。もともと「他に好きなやつがいたから修二を振った」ということ自体は知っていたので、情報として更新されたものはないが、美月自身の口からこれを聞くことに意味があるらしいから、成果としては上々だろう。


「そろそろ帰るか。暗くなった」


「そうだね。送ってこうか?」


「そういうの、普通、男がいうもんじゃないのか」


「そんな甲斐性をコータローに期待してないから」


 美月はため息をついてから立ち上がった。そうは言うものの、送っていくのにやぶさかではなかったので、家とは逆の方向、つまり美月の家の方に歩を向けた。2人で連れ立って歩くのも久しぶりだ。


「ほんとに送ってくれるんだ」


「別に良いよ。俺と連れ立って歩くのが嫌じゃなきゃ」


「なんで」


「中学のやつに見られたら面倒なことにならないか。あんなキモオタキノコと一緒だって」


「卑屈になりすぎでしょ……友達なんだから、一緒にいたっておかしくないでしょ」


 美月は呆れ顔でそう言った。ここまでのやりとりで薄々気づいてはいたが、美月は俺とまだ友達だったと思っていたようだ――疎遠になったと思っていたのは、どうやら俺だけだったらしい。俺が言葉を失っていると、美月は俺の方を見ずに言葉を続けた。


「コータローこそ、峰岡さんに見られたら嫌なんじゃないの」


「なんでそこで峰岡が出てくるんだ」


「涼子が言ってたから。コータローは5組の峰岡さんのこと好きだって」


「それ嘘だからな」


「え、そうなの?」


 あのバカ。何を言いふらしてるんだ。


「ま、たしかに、美化委員でつながりがあって最近何回か話したけど、回数で言えば片手で数えられるほどだぞ」


「峰岡さん、陽菜に雰囲気が似てるから、コータローのタイプなんだろうなと」


「そんなことない……こともないな。見た目はそうかも。言われてみるまで気づかなかった」


 陽菜のキャタクターも峰岡のキャラクターも(別の方向性だけど)強烈過ぎるので考えたこともなかったが、言われてみると外見に限れば陽菜と峰岡は似ている、かもしれない。小動物のような背丈、小顔で童顔、透き通るような白い肌。俺が四月に初めて峰岡と出会ったとき峰岡の見た目に妙に惹かれたのは、初恋の相手と雰囲気が似ていたからなのかもしれない。


「峰岡さんってどんな子なの。絡んだことないし、印象がない」


「俺もそんなに話したことはないから、性格とかはうまく表現できないな。でも、記憶力がすごくて頭の回転が速いし、博識で何でも知ってるし、勉強もできるし、絵も描けるし、運動もできる。何をやらせても人並み以上にできる、いわゆる天才だな」


「えー。べた褒めじゃん」


「褒めてるっていうか、事実なんだよ。話してるだけで、どんどん自分が惨めに思えてくる……実際に話してみればわかるけど」


 俺はわざとらしく肩をすくめた。神の不公平な世界設計によって生み出された人類の最高傑作、それが峰岡沙雪なのだ。


「今度話してみる」


「それがいい」


「……ここでいいよ」


 気づいたら美月の住んでいるマンションの入り口の前だ。小学校の時何度も来たことがあるが、前に立つのは久しぶりだ。


「じゃあな、また」


「またね」


 美月が子供みたいにブンブンと手をふるので、俺もつられて手を振った。美月が自動ドアの奥に消えたのを見た後、俺もその場を離れた。


 日はすっかり落ちきっていて、いつの間にか夜空に浮かんでいた美しい月と、電柱から突き出した街頭の明かりが煌々と俺を照らしていた。明かりに引き寄せられて街頭から街頭へとフラフラ渡る蛾のように、俺はフラフラと歩いた。思考を巡らそうとしたが、上手く働かない。色々と動揺しすぎて、何から考えれば良いのかわからない。


 ひとまず、峰岡から与えられたミッションはクリアした。これはよしとしよう。だがそれより、俺のあだ名をつけたのが古村修二だったということが衝撃的すぎて、感情の処理がうまくできなかった。でも、もっと動揺したのは、美月が俺のことを避けてたわけでもバカにしていたわけでもなかったということかもしれない……だめだ。上手くまとまらないな。


 蛾と蝶の違いは何だったか――ふと、そんなどうでもいいことが気になって、俺の思考はそこで途切れてしまった。

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