6−2
俺が、峰岡の依頼を聞いて、美月から事情聴取するために立てた作戦は、ごくごくシンプルなものだった。次の日の朝、教室に来たばかりの泉涼子に、美月との会談の場のセッティングをお願いするだけだった。
泉は、これまで聞いた話から推測すると、隣の中学校区との境界ギリギリの場所に住んでいるらしい。うちの中学は、校区の広さの割に、なぜか自転車通学が認められていないので、遅刻しないよう家を早く出て早く到着するようにしていると言っていた。だから俺が、朝いつもより早めに教室に来ていれば、人がまばらにしかいない教室でスムーズに会話ができるというわけだ。俺の隣の机に荷物をおろしたばかりの泉に向かって、俺はこう声をかけた。
「ちょっと頼みたいことがある」
「何?」
「美月に直接聞きたいことがあるんだけど」
「話してこりゃいいじゃん」
カバンから取り出したうちわで暑そうに色黒の顔を仰ぎ、制服の隙間から制汗剤をかけながら、ひどく億劫そうに泉は答えた。この暑い中、学校まで歩いて来るだけでも大変だろう。
「いや、しばらく話してなかったから、気まずいんだよ」
「思春期の男子みたいなこと言うね」
「思春期の男子なんだよ」
そう言うと泉は「そういやそうか」と言ってゲラゲラ笑い出した。俺だって中学2年生の男子なんだし、あまり話さない女子の前ではドギマギしたり、右手には人ならざるものが封印されていると思い込んだり、トラックに突然轢かれてチートスキルとともに異世界転生することを夢見てたりしてもおかしくない年齢なのだ。
「俺1人で話しかけに行くと避けられるかもしれないから、お前にもその場に来てもらって、顔つなぎしてほしいんだよ」
「ええ、めんど……と言いたいところだけど、いいよ。協力したげる」
「ほんとか。恩に着る」
「私と、キノコと、美月の3人で話せればいいわけ?」
俺が頷くと、泉はバッグからバカでかいサイズのiPhoneを取り出した。Apple社、何を思ってでかいスマホを作っているのかわからないんだけど、女の子にとっては酷だよな。泉は何やら操作をしたあと、画面を俺の顔の前に突き出してきた。画面には地図アプリが表示されていて、俺の家からは少し遠いが、歩いていけないことはないコンビニに印がついている。
「いま印をつけたコンビニ、位置分かる? ここが美月んちの最寄りのコンビニで、この通りを真っ直ぐ行くと私んちなの。ここに部活終わりに2人で寄って、立ち話することが多いんだ」
「ここで俺が待ち伏せするってことか」
「そう。『キノコと会うから一緒に来て』って言うと、美月が、その、ついて来ないかもしれないでしょ。いつもの場所にキノコが来る方が自然なの」
「俺、そんなに嫌がられるようなことしたっけ」
「してないけど、そこはわかってあげなよ」
そう言って泉はニヤニヤしている。ま、確かに、俺と放課後一緒にいて親しげに話しているところが見られたら、周囲に何を言われるかわかんないもんな。最悪スクールカースト大転落なんてこともありうる。
じゃあ、今ここで俺とべらべら話している泉はどうなんだという話なのだが、こいつは俺と話すことについて何も考えていないようだ。こいつは本当に誰とでも話しているしな。ま、スクールカーストのことなんか気にもとめないくらい、頭が弱いんだろうな……。
「なんか今、すっげえバカにした顔されてる気がするんだけど、失礼な事考えてなかった」
「いやいや、作戦まで立てて頂き感謝感激、神様仏様泉様という気持ちが表情に現れているだろ」
「見えねー。まあいいや。それで決行日なんだけど、今日、この辺だとそのコンビニでしか売ってない、絶対買いたい雑誌があって絶対寄ると思うから、今日で良い? どうせ卓球部なんて、適当にしか活動してないんだから、暇でしょ?」
「いや、暇じゃない……こともないな。うん。クソ暇」
「どっちよ。じゃあ今日ね。時間は、部活終わりだから、6時半くらいかな」
「6時半くらい……ってことは前後しうるのか」
「そうね、そのときゃ連絡すればいいだけっしょ。キノコって私のライン知ってた?」
「いや」
「ではモテない根暗男子の君に私の連絡先をあげよう」
「ははあ、ありがたき幸せ」
俺は、自分のスマホを取り出してラインを開いて、友だち追加用のQRコードを両手で泉の前に捧げた。泉は先ほどの巨大iPhoneでそれを読み取り、サクッと友達に追加してくる。地味に女子に個別でライン連絡先もらうの初めてでは。初めてが泉か……釈然としないな……。あと、さりげなく「モテない根暗男子」って言われたのが胸に刺さった。
「ありがとな、何から何まで」
「貸し1だからね」
そう言って、泉は俺に人差し指を突きつけてきた。こいつに何か借りを残すのは怖いな。泉の噂収集癖に協力させられて、誰かの恋愛関係についての情報を要求されたりしても困る。根岸や井本周りのことくらいならわからなくもないが、そんなもんこいつらカースト上位の人間にとっては、名前も聞いたことのない植物が種を実らせたってくらいの情報価値しかないだろう。
「放課後会った時、コンビニでおごるからそれでチャラにしてくれ」
「いいの? じゃあ遠慮なく買うからね」
「頼むから常識の範囲内で頼むな」
*
「お前の思う常識の範囲内がこれか」
コンビニのカゴにギチギチに入ったお菓子やアイスを押し付けられた俺は、顔をひきつらせて泉を見た。泉は「え、何か?」という顔をしている。とりあえず見えるだけで、ジュース2L×4、ポテトチップス×3、チョコレート×3、アイス×3、あと何か細々した駄菓子のようなものだ。学校が終わった後いったん家に帰って、ある程度の覚悟を決めて財布に金を詰めておいたので、買えないことはないが、流石に今月の生活が厳しくなる。
「お前、この後お菓子パーティーでも開くつもりか」
「1人で食べるつもりでした」
「1人で持って帰れないだろ」
「筋トレになるから」
「太るぞ」
「……はい」
泉はすごすごと商品棚に戻しに行き、その様子を美月はクスクス笑いながら見ていた。美月も泉と同じく女子バスケ部のジャージを着て、柑橘系の制汗剤の匂いを漂わせている。これ、女子的には汗の匂いを嗅がれるよりはマシという発想でかけてるんだろうけど、結構匂いが強いので俺は苦手だ。
俺が美月をジロジロ見ていると、彼女は俺の方を向いて話しだした。
「何か涼子に借りでもあったの」
「なんでそう思ったんだ」
「あの子、貸し借りに厳しいから」
「ま、美化委員関係で、色々あってな」
まさか美月との顔つなぎを頼んだと正直に言うことはできないので、ごまかした。美化委員関係の貸し借りの話をするなら、5月のゴミ拾いを俺に押し付けたのはあいつなので、貸しがあるのはどちらかといえばこちらだ。だが、俺は貸借に関してはいい加減な性格なので、泉にいちいち何か要求したりするつもりはない。
俺は無言でアイスの商品ケースからパルムを取り出した。あの、チョコでコーティングされた棒付きバニラアイスだ。確か、美月が小学校の時よく買ってたのはこれだったと思う。
「お前もいるか」
「いいよ、お金ないくせにイキらなくて。自分で買うから」
「小遣い日を超えたばっかだ。遠慮すんなって」
そういうと、美月は「そう?」と嬉しそうに言った。奢られるのに乗り気になったみたいだった。お金がないのは正しいが、こちらが財布の紐を緩める代わりに、美月には口を緩めてほしいのである。美月はパルムの商品パッケージを眺めながら言った。
「よく覚えてたね、私の好きなアイス」
「こればっか食ってたからな。流石に飽きたか」
「飽きてないけど、今日はこっちの気分」
そう言って美月はパルムのキャラメル味を指差した。結局パルムじゃねえか。俺はそれを2つとり出した。アイスはケースから出すと溶け始めるので、手早く会計が済ませたい。まとめて会計したかったので、泉からカゴを受け取ろうとしたが、見渡す限り泉がいない。雑誌を買うとか言ってたので、自分で買うためにレジに並んだのかと思ったが、レジにもいなかった。
「泉、どこ行ったんだ」
「さあ、お手洗い、とか?」
美月もあたりを探したが見当たらないようだった。その時、俺の携帯が突然震えた。泉からラインのメッセージだ。
『よく考えたら、美化委員のゴミ拾いを任せた分の借りがあったし、おごんのはいいや。引き合わせたんだからあとはいいでしょ? 2人でごゆっくり!』
血の気が引いた。なんてやつだ。貸し借りにうるさいとは聞いたが、だからといって帰らなくていいじゃないか。2人きりで話すのが難しいから来てもらったというのに、2人きりにされてしまったら意味がない。泉が帰っちまったら美月も帰るとか言い出すかもしれない。
俺が慌てふためいていると思ったのか、美月が苦笑いしてる。
「何か先に帰っちゃったみたいだね」
「あいつ……」
美月は気まずそうな顔でこちらをみている。俺はそれを横目に脳内で高速でプランを立て直した。まだ何も聞き出してないし、このまま美月に帰られると困ってしまう。俺が顔をしかめて黙っていると、美月がおずおずと言い出した。
「あのさ、この後なんかある?」
「いいや、暇だけど」
「少しだけ、2人で話そっか」
「は?」
「今日はコータローと話す気分」
そう言って美月は微笑んだ。
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