5−4

 俺が顔をひきつらせていると、峰岡は微笑んで、冗談だから気にするなと言うように、両手の平をパッと広げた。


「ウミガメ問題の方は、私が答え合わせがしたかっただけで、木下くんにとっては重要ではない話でした。実は私が気になっていたのは、木下くんと泉さんがしていた後半の話です」


「後半の話っていうと……」


「古村くんの話が出ていましたよね」


 ああ、修二が美月に告白したって話か。


「その件、もうちょっとだけ詳しく聞かせてもらえませんか」


「なんだ。この件は入学前のことだから、サッカー部の件には関係ないだろう」


「いえ、もしかすると、関係するかもしれないです。古村くんが告白したのはいつか、正確にわかりますか」


「えっと、確か、さっきも言ったけど、卒業間近のタイミングで、私立入試の結果がわかってたくらいだったから、6年生のときの2月か3月だったと思う」


「本当に卒業直前ですね。大畑さんが断った理由って、わかりますか」


「え、なんだったっけな……あ、確か、他に好きな人がいるからって聞いたな」


「なるほど、断る理由の定番みたいなやつですね……もしかすると別の理由があったとか?」


 峰岡は声をひそめてそう言った。確かに、「他に好きな人がいるから」、「あなたとは友達でいたい」、「今は誰とも付き合う気はない」は告白を振るときの3大決め台詞クリシェだ。どれも相手に原因をかぶせない優しい言葉であるのと裏腹に、実は「見た目が全くタイプじゃない」みたいなえげつない本音を隠せるという利点がある。俺が直接言われたことがあるわけじゃないよ。念の為だけど。


 いや、そんなことはどうでもよい。俺は頭をふった。


「いや、嘘じゃないと思う。俺も美月から好きな人がいるってのはうっすら聞いたことがあったんだけど、それは修二じゃなかったみたいだ」


「ふむふむ。この古村くんの失恋について、木下くんは当事者、つまり古村くんか大畑さんから聞いたんですか」


「いや、修二と美月の共通の友人だったな。2人が気まずくなってたのは察してたけど、ふたりとも友達だから直接には聞けなくてさ。俺ら3人とよくつるんでたやつ……そいつは違う中学に行ったんだけど、そいつから顛末を聞いた。だから正確ではないかもしれない」


 それを聞くと峰岡は、口元に手を当てて何かを考え始めた。


「何か関係ありそうだったか」


「今のところ、直接的な関係はないと思います。ただ、念の為、大畑美月さんからの直接の証言が聞きたいですね。特に、どうして大畑さんが古村くんを振ったのか。この点が、これまで全く考えていなかった角度から、古村くんの振る舞いを見直すために必要になります」


 峰岡は曖昧な言い方をした。これまで一貫してとても明確な論拠を挙げて説明してきた峰岡が、どうしてこんな曖昧に話すんだろう。


「俺が聞きに行くのは気乗りしない。これは美月にとっても修二にとっても良い記憶じゃないだろう。俺も覗き見趣味的な関心はあるから聞いてみたいとは思うけど、必要性がわからないなら突っつくべきではないと思う。どうして関係すると思ったんだ」


「それは……具体的なことは言いたくありません」


「どうして?」


 峰岡は、小さくため息をついた。そしてごまかすのを諦めたのか、俺の方をまっすぐ見ながらこういった。


「正直に言いましょう。私はこの間自分が立てた仮説に関して、ある観点から見直しを図るべきかもしれないと思っていました」


「古村がサッカー部を辞めたのは、サッカー部が大会に参加できるように犠牲になったから、という仮説か」


「そうです。その仮説について、実はいくつか不安に思っているところがありました。先ほどの古村くんと大畑さんの話を聞いて、私はさらに複数の仮定を補うことを思いつきました。ですが、これらの仮定は、木下くん、古村くん――そしてもしかすると大畑さんにとって、受け入れがたいものかもしれないと思っています」


 俺は驚いた。ここまで捜査線上に挙がってこなかった美月まで名前が挙がった。


「構わない。話してほしい」


「話したくありません」


「どうして」


「木下くんもわかっていると思っていたのですが!」


 珍しく峰岡が声を荒げたので俺は驚いて黙り込んでしまった。峰岡は声を荒げたことを恥じるように口を覆い、それから俺の目を真っ直ぐ見ながら、おずおずと話し始めた。


「木下くんもわかっていると思ったのですが、これは進行中の問題です。これがもし、幼い頃の可愛らしい思い出を使ったウミガメのスープ問題だったとしたら、気兼ねなく質問をして強引に仮定を置いて答えを導きます。ですが、これは進行中の問題ですから、私が自由に質問をしたり仮定を置いたりすることで、誰かを傷つけて事態を悪くしてしまったりするかもしれないんです。

 そもそも、私には、このサッカー部問題に取り組む義務はありません。でも、木下くんが古村くんのことを知って傷ついているのを見て、木下くんのことを助けたいと思って、調査と考察を手助けしました……私は、ただ謎解きが好きだったからでも、他人の人生を覗き見したかったわけでもなく、他でもなくあなたのことを助けたかったんです。だから、私の自分勝手な推論や空想によって、木下くんを傷つけたくないんです」


「傷つくことになってもいいから、聞きたいといえば?」


「なら、せめて、傍証でもよいので、この頭に浮かんでしまった推論が、単なる私の空想ではないという証拠が欲しいんです。それがあれば、私の空想であなたを傷つけることの罪が減るというわけではありませんが、少なくとも私の罪の意識は減ります。

 これがわかってもらえないのであれば、この仮説は私の胸のうちに置いておきます。私が言わなくても、木下くん1人でも十分たどり着けると思います。でも、私の口からそれが聞きたければ、どうか私の前に証拠を出して下さい」


 そう言って、峰岡は口を真一文字に結んで、俺を見た。俺は深くため息をついた。


「わかった。正直、峰岡がここまで俺のことを想っていてくれたと思ってなかった」


「ただの覗き見趣味か、謎解きオタクだと思われてたんですか……」


「いや、そうは言ってない」


 捻挫は何とかなったようだ。俺は少し乾いたハンドタオルを峰岡に手渡し、靴下と上履きをはき、片手で階段の手すりを掴んで立ち上がろうとした。だが、右足をかばったせいでバランスを崩しそうになる。そんな俺を峰岡は横からそっと支えてくれた。


「そこまで言うなら聞いてくる。峰岡がたどり着いたことに、俺がすぐにたどり着ける気がしないからな。

 ただ、1つだけ不安がある。前も言ったけど、美月とは疎遠になってるから、今すぐパッと話しかけて、こんなプライベートな話をしてくれるかわからない」


「それは難しい問題ですね。泉さんに顔つなぎを頼んでもらえばどうでしょう。木下くんとも親しそうでしたし」


「なるほどな。でも、泉と話すようになって1ヶ月も経ってないんだけどな」


「木下くん、話が上手なので、楽しいんでしょうね」


「ありがとう。でも、それ言ってくれるの、峰岡だけだよ」


 俺がそう言うと、峰岡はなぜか寂しそうな顔で笑った。


(第5話 おわり)

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