5−3
「さっきのウミガメのスープ問題ですけど」
部活に向かうと言って走り去った泉と別れ、卓球部に顔でも出しておこうかと階段を降りているところ、何者かに突然後ろから声をかけられた俺は、驚いて階段を踏み外して踊り場に倒れ込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか!」
「痛ってぇ……」
振り向くと峰岡がいた。
「いきなり話しかけるやつがあるか!」
「すいません。後ろにいること、気づかれてると思ってました」
「みんな峰岡みたく注意深いわけじゃないんだよ」
「私も常に気を張ってるわけじゃないですよ。冷やすもの、借りてきましょうか?」
「いや、そこまでじゃない。少し休めば」
俺は階段に腰掛けて、上履きと靴下を脱ぎ、右足首をなでた。軽く右足をくじいたみたいだが、幸い、そこまで重症ではないみたいだった。峰岡はオロオロしながら近くにあった手洗い場に走っていき、濡れたハンドタオルを固く絞った物を俺の足に添えてくれた。痛くないと思っていたが、冷やすとジンジンという感覚があった。やっぱり痛めてるみたいだ。
「すまん。洗って返すよ」
「いいえ、私のせいなので……ごめんなさい」
「いや、俺も不注意だった。で、その、ウミガメのスープ問題って……俺と泉の話を聞いてたのか」
「あ、はい。掃除当番だったので、後から遅れて会議用の場所に来たんですけど」
「……ちなみに、どこから俺らの話聞いてた?」
嫌な予感がしたのでそう聞いてみたら、峰岡は俺から顔をそらした。
「あの……木下くんが私の水着姿をジロジロ見ていたという話あたりから……」
「一番ダメなとこから聞いてんじゃねえか!」
「木下くんも男子なんですね……」
「いや、違う。弁解させてくれ。俺はお前の水着姿に興味があったわけではなくだな」
「それはそれでちょっと嫌です……」
「ああ、じゃあ正直に言うと、ちょっとだけ興味もあったけど」
そう正直に言うと峰岡はクスクス笑った。何を言わせてるんだ。俺は咳払いをした。
「お前の平泳ぎに興味があったんだよ。とんでもない速度だったろ」
「ああ。今日は自己新記録でしたね」
「水泳選手目指せるんじゃないか」
「わたし、小学4年生くらいから体格が全く変わらなくて、多分もう数年経ってもこのままだと思うんですよ。この体格だと、水泳だけじゃなくて、そもそもスポーツ全般に向いてないですよね。多少は結果が残せるかなとはと思うんですけど、多分全国や世界までいくと勝てないんですよ。それにスポーツより室内でする活動の方が性にあってるんです」
峰岡は淡々とそう言った。確かに150センチに足りないくらいの身長だが……なんて達観してるんだ。普通中学生って、そういう後先は考えないもんじゃないのか。対して上手くもないくせにスポーツに打ち込んでるふりをして、スクールカーストの山の中で合戦をやってる猿共に対するアンチテーゼみたいな存在だな。
「それはさておき、さっきの問題が気になって」
「ああ、スカートめくりゲームを考案した美月が、ある夏の日の放課後、自分がスカートをめくられて泣き出した、理由は何か、ってやつね」
「それです。『はい』か『いいえ』で答えられる質問はしていいんですよね」
「ああ」
泉には不評だったが、どうやら峰岡の琴線には触れたらしい。峰岡は座っている俺に顔を近づけてくる。ほんと謎解き大好きだな、こいつ。
「では1つだけ。その日の午後に水泳の授業はありましたか?」
お、流石に目ざといな。
「『はい』。その日の午後はプールの授業があったな」
「であれば、スカートの下にパンツを履いてなかったから泣き出したんですね」
本当に質問1つだけで当ててきやがった。ウミガメのスープ問題は複数回質問を重ねて良いルールなんだけどな。俺が拍手で正解であることを告げると、峰岡は得意げな顔をした。
「一応、どう推理したか聞いても?」
「そうですね。まず、小学3年生の大畑美月さんが、ヤンチャでスカートめくりの発案者であったなら、泣いた理由はスカートがめくられたことそのものではなく、スカートの下に、普段とは異なる隠したいものがあったからではないかと思いました」
「プライドがとても高く、自分がめくられる側になるとは思ってなかった、的な可能性もあるだろ」
「そうかもしれませんが、だとすればそもそもスカートを履いてくるなんてうかつなことをしないはずです。では次に、スカートの下に隠していて、バレると泣くほど恥ずかしいものとは何でしょうか」
「スカートの下に隠せるものか……映画で女暗殺者が凶器をスカートの下に隠す、みたいなのはあるな」
そう言うと峰岡は微笑んだ。
「小学生の考えることですから、もしかすると、もっととんでもないものを隠していた可能性もありますね。ですが、普通に考えれば、スカートの下なんですから下着に関係するものでしょう。この時点で、下着が見られると恥ずかしい類のものだったのか、そもそも下着を履いていなかったのか、くらいに絞り込みました」
小学生が見られたくない類の下着を履いていてバレて泣いてしまうというのが思いつかないな。強いて言うならキャラもののパンツか、粗相して大小便がついてしまったとかか。ま、これは峰岡に言ったら引かれそうなので言わなかった。だが、峰岡は、俺の脳内を見透かしたように続けた。
「下着が何らかの原因で汚れていたのか、個人的な趣味を強く反映したものだったのか、それともそもそも着用していなかったのか――いずれにせよ、なぜそんなことになったのかから遡って考えてみようと思いました。これを考えるにあたって、木下くんが『夏の日の放課後』と条件設定したことが気になりました。学校で夏に行われることといえば、まあ他に色々あるかもしれませんが、今日の授業もあったので水泳の授業を連想しました」
「なるほど。それで質問したと」
「そうです。水泳の授業があったことで、下着に関して起きてしまうこととは何か。例えば、水泳の授業のための着替えって結構面倒なので、服の下に下着の代わりに水着を着て学校に行く、なんてことが考えられます。ところが小学校3年生の大畑さんは、水泳が終わった後の替えの下着を忘れてしまった。先生に言えば、保健室などでストックしてあるものを貸してもらえる可能性もあったと思うのですが、午後に授業がありもう放課後だったので、横着をして何も履かずに急いで帰ろうとした――そんなときに、運悪くスカートめくり犯の奇襲を受けてしまった。これなら、泣いてしまうに至る自然な原因かなと」
「すごいな。まるでその場にいたみたいだ」
「えへへ」
峰岡は喜んで笑い出した。
「ちなみにそのスカートめくり犯は俺だ」
「……」
峰岡の顔から笑顔が消え、一瞬で毒虫を見る目になった。急に自分の制服のスカートを抑え始める。
「おい、小学校の頃の話だぞ。流石にもうやるわけないだろ」
「そうか。そうですよね」
「俺のことを何だと思ってるんだ」
「いい人だと思ってます」
ありがとう。でも棒読みで言うのはやめてね。
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