5−2
5限目と6限目通しの水泳の授業が終わり、疲労でなんとなく頭がボーッとした状態で放課後を迎えた。疲れたので卓球部に顔も出さずに帰ってやろうと思ったが、今日は美化委員会の月末の定例会議がある日で帰れない。会議と言っても、美化委員長と担当教師から、ゴミが増えたの減っただの、分別がきちんとできてるだのできてないだの、掃除が行き届いていただのそうでないだのといった、極めてどうでも良い報告を3、40分かけて受けるだけだ。
美化委員会の会場として指定された1年生の教室に向かった。放課後は、まずは掃除時間なので、会議用として指定された教室も掃除をしているのだから、それが終わるのを少し待たなければならない。教室の外で掃除が終わるのを待っていると、目の前に顔なじみの女子が現れた。
「よっ、キノコくん」
「えーっと、どちら様でしたっけ」
「え、ひど……同じクラスだし、隣の席じゃん」
「……冗談だよ、泉」
キノコと呼ばれてムカついたので思わず知らないふりをしてしまった。この女、
「先月。ごめんね。変なタイミングで風邪ひいちゃって、ゴミ拾いサボったみたいになって。謝るの忘れたの今思い出した」
「普通にゴミ拾いがめんどいからサボったんだと思ってたわ」
「え、ひど。普通に高熱出してたんですけど」
そう言ってから泉は笑った。こいつは先月の「ごみゼロ週間」の、美化委員による学校区内のゴミ拾い活動をサボりやがった。まあそのおかげで峰岡となじめたわけだし、峰岡に古村の事件の解決に協力してもらえることになったわけだから、結果的には良かったのかもしれない。
「他の人に聞いたんだけど、ゴミ拾いって2人1組でやらないといけないんだよね? キノコ1人で回ったの?」
「いや、隣のクラスの峰岡沙雪も、もう1人の美化委員がいなくて、結局峰岡と2人で回らされた」
「へえ、それがきっかけで、峰岡ちゃんのことが好きになった、と」
「はぁ?!」
俺が大声を出したので泉は吹き出した。俺は慌てて周囲を見渡したが、周囲にいた1年生の怪訝そうな目線を浴びていたものの、峰岡はまだ来ていないようだった。掃除でもやらされてるんだろうか。とにかく助かった。
「何を根拠にそんなことを」
「今日の水泳の時間、峰岡ちゃんが泳いでるの、めちゃくちゃジロジロ見てたでしょ。あれ良くないよー。うちの水着、露出は少ないけど、気にする子もいるんだから」
泉は、ポニーテールの後れ毛をいじりながらそういった。俺が邪な気持ちで峰岡を見ていたのが泉に目撃されていたらしい。いやいや、邪なことは心の中でしか考えてないはずで、表情や言葉としては現れてなかったはずだ。
「いや、そういう邪な気持ちではなくて……あんな速度で泳ぐやつがいたら凝視してしまうだろ」
「それはそうね。タイム測ってた子に聞いてビックリした。峰岡ちゃん、陸上で走らせても陸上部より速いし、バレーでレシーブやらせたらバレー部のスパイクでも拾うんだよ。バスケやらせても、あんなちっこいのにスリーポイントバンバン打つし、私より普通に上手くて自信なくすよね」
そう言って泉は笑った。やっぱりスポーツも万能なのか。神の世界設計は本当に不公平らしい。俺が沈黙し改めて神への呪詛を唱えていると、泉はニヤつきながら俺の顔を覗き込んできた。
「それはそれとして、キノコくんが峰岡ちゃんを見てたことには変わりがない、と」
「なんだよ、強請る気か」
「そうねぇ。じゃ、キノコくんが峰岡ちゃんのこと好きなことは黙っておいてあげるから」
「待て待て、まず事実誤認がある。俺は別に峰岡に恋愛感情を持ってるわけじゃない」
「えーっ、つまらん」
「人生というものは概して辛くつまらないものなんだよ」
「ワハハ。まあいいや。じゃ、キノコくんが峰岡ちゃんの水着姿をジロジロ見てたことは黙っておいてあげるからさ」
それは本当なので何も言えない。
「美月の恥ずかしいエピソードとか、知らない?」
「美月って……大畑美月?」
「そうそう」
「2つ質問がある。なぜそれが必要なんだ。そしてなぜ俺に聞くんだ」
「なぜって面白いからに決まってるじゃない」
泉はそう言ってニッと笑った。数回泉と話してわかったことなのだが、こいつは人の噂話がとにかく好きで、芸能リポーターのように他人に関する下世話な情報を集めているようだ。俺のことも情報源の一端として見ているのかもしれない。
「それにキノコ、美月と小学校一緒なんでしょ」
「小学校が一緒なだけだよ」
大畑美月は、同じ小学校で仲が良かった女子で、現在は女子バスケ部だ。中学に入ってカーストが別れてしまったため、俺とは疎遠になってしまったが、同じ部活ということもあって泉とは仲が良いみたいだ。だが、俺の言葉を聞いた泉は驚いたような顔をした。
「え、でも、美月、キノコくんと仲良かったんだと思ってたけど」
「え、なんで」
「こないだ美月とキノコくんの話したんだけど、小学校のとき同じクラスだったって言ってたし。それに『キノコ』とか『木下』って呼ばずに、『コータロー』って呼んでたから、相当仲良かったんだと思ってた」
「そ、そうなのか……」
泉の話を聞いて、俺は少なからず動揺してしまった。美月は、学校で俺のことを「キノコ」と呼んでいた。だが、あいつの中ではまだ俺は「コータロー」だったのか。俺はなんだか、歯の間に何かが引っ掛かるような、痒いところに手が届かないような気持ちになって黙っていたのだが、その繊細な感情を泉はぶった切ってきた。
「それにキノコくん、初恋の女の子についての相談を美月にしてたらしいじゃない」
「あいつそんなことまで漏らしてるの?!」
「めっちゃ色白の、かわいい子だったんでしょ」
「うわぁ……あいつ、うっわぁ……」
「仕返しにキノコくんも美月のエピソードをどうぞ!」
泉がゲラゲラ笑いながら俺に暴露を促した。確かに、小学校の時、俺はある女子のことが好きで、そいつとの関係について女々しくも美月に相談しまくっていた記憶がある。その女子は私立中学に受かったので、中学進学を機に全く話さなくなってしまったんだけど。思い出せば出すほど恥ずかしい相談をしてたんだけど、美月のやつ……お前がそう来るなら俺も漏らしてやるか。
そうこうしているうちに、どうやら会議用の教室の清掃が終わったらしく、周りにいた他の美化委員がぞろぞろと教室に入りだしたので、俺は泉を教室の中に押し込みつつ言った。
「腹たってきたからバラしたくなってきた。いやしかし、パッと思いつかねえな」
「なんでもいいよ」
「なんでもか……そういや、スカートめくりゲームの件があったな」
「なにそれ」
「小学校のころの美月はけっこうやんちゃで、こう、男子みたいなところがあるやつだったんだ。それで、小学校3年生くらいの頃、スカートをはいてきた女子をみんなで追いかけてめくるというゲームが流行ったんだよ……今から思えば最低最悪のゲームだけど、その最低最悪のゲームの発案者が美月だった」
そう言った途端、泉が爆笑した。
「なにそれ、やば」
「この話は続きがあってな。ある夏の日、美月本人がスカートを履いてきた日があったんだよ。その日の放課後、あるクラスの奴が美月のスカートを捲った。そしたら、ゲームの発案者であるはずの美月が、大声を出して泣いたんだよ。それで加害者と美月がまとめてめちゃくちゃ怒られて、このゲームは禁止になった」
「え、なんで泣いたの」
「それでは問題です。なぜ美月は泣いたのでしょうか。『はい』、『いいえ』で答えられる質問なら受け付けるから当ててみてくれ」
興が乗ってしまって、意味もなくクイズにしてしまった。俗に言う「ウミガメのスープ問題」ってやつだな。例えば、「ある男がレストランでウミガメのスープを食べたら、これは本当にウミガメのスープかと言い残して自殺した。なぜか」、みたいなやつ(この問題の答えを知らない人は、ネットで検索すればすぐ出てくるから、調べてみて欲しい)。泉は3秒くらい黙って考えた後、すっと真顔になった。
「わかんないしいいや」
「もうちょっと考えろよ」
「そういうのじゃなくてさ、恋愛的な話はないの」
なんだこいつ。恥ずかしい話だって言ったのはお前だろ。
「そういや美月自身の好きな人、とかは聞いたこと無いな……」
「やっぱり」
「何がやっぱりなんだ」
「ごめんごめん、こっちの話」
俺が見た目的に恋愛話に疎そうだと言いたいのか。見た目通りで悪かったな。よく考えてみると、俺は美月に恋愛相談をしていたが、美月は俺に恋愛相談なんかしてこなかったな。好きな人がいる的なことは聞いたことがあったが、不公平だな。
そんなことを考えていると、ふと思い出したことがあった。
「厳密に言うとあいつの話じゃなくて、古村修二っているだろ」
「ああ、今話題の」
「どう話題なんだよ」
「サッカー部でいじめやって辞めたっていう――ま、外から見てる感じ、私は眉唾だと思ってるんだけど」
泉までその話を聞いているのか。俺はため息を付いた。だが、俺が否定するまでもなく、泉はこの噂に対して否定的だった。やっぱ、俺以外のやつから見てもそう見えるんだな。
「話を戻すぞ。小学校の時、古村は、俺や美月とも仲が良かったんだよ。で、古村は昔から美月のことが好きだった。いつ告るのかなと思ってたんだけど、結局卒業直前、一緒の中学に進むことが決まったときに告白した」
「おお、それでそれで!」
「美月は振った」
「そういうのそういうの!!」
そう言って泉が俺の背中をバスバス叩く。普通に痛い。
そのタイミングで美化委員長と担当の教師が教室に入ってきて、委員会が始まった。泉との話に熱中していて、周囲に人が集まっていることに特に気づいていなかったな。結局、見える範囲には峰岡の姿も見えない。振り返っていないからわからないが、多分、俺の後ろの方に座ってるのだろう。
肝心の会議の内容は、案の定、ゴミが増えたの減っただの、分別がきちんとできてるだのできてないだの、掃除が行き届いていただのそうでないだのといった事柄で、それを月曜日の学活で各教室に周知するように、ということだった。この情報化社会において、口伝えという最も古い媒体を利用することのアナクロニズムに思いを馳せながら、俺は配布されたプリントで必要そうな部分に線を引いておいた。泉の方は、プールで疲れたのか、船を漕ぎ始めた……こいつ、本当に自由だな。来週教室でこの内容を話すのは俺になりそうだなと思いながら、俺は手持ち無沙汰にペンを回した。
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