4−2

 2日前、美術室で腕まくりをした峰岡が立てた作戦はこうだった。


「木下くんがサッカー部の1年生に、部内のいじめについて話を聞いてもおかしくない状況を、人為的に生み出しましょう」


「そんな都合の良い状況を生み出せるのか」


「そうですね……例えば、いじめられているサッカー部の1年生が、部外者の先輩にそのことを相談してみる、なんておあつらえ向きの状況だと思うんです」


「いじめられているサッカー部の1年生なんてどうやって見つけるんだよ」


「ないなら作れば良いんじゃないですか」


「そんなマリー・アントワネットみたいなことを」


「パンがなければケーキを食べれば良いんじゃない、ってやつですね。その発言はマリー・アントワネットの発言として有名ですが、実はフランスの哲学者のジャン=ジャック・ルソーの著作『告白』の中で、ある王女の発言として出てくる逸話で、マリー・アントワネットの発言だったという客観的根拠はないらしいですよ」


 俺が軽口を叩くと、峰岡はウィキペディアの記事のような情報を返してきた。さすがサユキペディア。本当になんでも知ってんな。


 峰岡は「それはさておき」と言いながら黒板に近づいていき、白いチョークで何かを描き始めた。さすが美術部というべきか、定規も使わずに正確に直線を描いていく。しばらく黙って見ていると、それがこの中学校の校舎の1階にある昇降口を描いたものであることがわかった。靴箱やベンチの位置、柱まで正確に描かれていて、おもわずため息が出てしまった。



※沙雪の描いた構内図(見なくても以下の内容は読めます)

https://kakuyomu.jp/users/ymdtke/news/16816700426112191002



「この学校の昇降口付近は、上から見るとこのようになっていますよね。フリーハンドで描いたので、ちょっといい加減な図ですいません。このまま建てると建物が崩壊しますね」


「あ、ああ。設計図じゃないんだから十分だろ。こんな丁寧に図を描く必要があったのか」


「半分は私の趣味によるものですが、もう半分は今からする説明に必要なんです」


 峰岡は自分の書いた図の中で、昇降口の前に置かれたベンチのある場所を指した。


「明日の放課後、私ができるだけ早めに教室を出て、このあたりに座って、本でも読むふりをしながら、行き交う人をよく観察しておきます」


 そういって峰岡は、昇降口の外に設置されているベンチのあたりに「A」と書き込んだ。確かに、ここに座っていれば。外から昇降口に向かって右半分がよく見えるだろう。あと、峰岡は見た目が地味なので、本を持って座っていたとしても誰も気にも留めないだろうしな。


「そこに座って、1年生のサッカー部員の動きを観察するということか」


「そのとおりです。靴箱の配置は学年やクラスによって決まっていて、1年生はこの右端のエリアを使っていますね。だからこのA地点がベストな位置です。サッカー部員は皆赤いエナメルバッグを使っていますよね。これでサッカー部の1年生の判別がつきます」


 普通の人だったら、遠目に見て靴箱の配置を把握できるか不安だが、峰岡ほどの観察眼があれば問題ないだろう。


「その中でも、1番背が低くて頼りなさそうな外見の人を選んで、その人の靴箱の位置を把握しておきます」


「話が読めてきたぞ……選ばれた人は災難だな」


「そうですね。できるだけ頼りなさそうな人を選んだほうが、この作戦は成功しやすいと思いますよ。そしてその靴箱の位置を何らかの方法を使って、次の日までに木下くんに伝えます」


「ラインとか?」


 俺はスマホをポケットから出して振った。一瞬、峰岡の連絡先がゲットできるかもと浮足立ったが、それを見た彼女は首を横に降った。


「あ、私、携帯電話を持っていないんですよ。ごめんなさい」


「マジかよ。友達と連絡するときとかどうするんだ」


「両親がとても厳しくって、携帯電話はだめだの一点張りなんです。放課後や週末に連絡する友達とかいませんしね。イレギュラーな外出などで夜遅くなるときとかは親の携帯電話を借りてます。だから持ってなくて困ったことは特にないです」


 峰岡は飄々とそう言い切った。確かにこないだ、休日に遊びに行く友達はいないって言ってたけど、だからといって携帯も持ってないとは思わなかった。めちゃくちゃ物知りなのに、なんか調べたりするのってどうしてるんだろう。まさか全部本で読んでるとか言わないよな。俺が峰岡の知識摂取方法を想像して寒気がしているのを尻目に、峰岡は手をパンと叩いた。


「では、こうしましょう。その次の日の放課後までに、こういう画用紙に書いて、木下くんの靴箱に入れておきます。こうすれば、木下くんと私が接触しているところを誰にも見られません。万一でも私と木下くんが協力関係にあることがサッカー部の人に知られたら、私が観察した意味がなくなりますしね」


 そう言って峰岡は、そのへんに置かれていた小さな画用紙の1片を取り上げた。


「私と木下くんにしかわからないような書き方をしておきます。そうですね……数字を3つ書いておきます。1つ目が、内側から昇降口に向かって左から何列目の棚か、2つ目がその棚の左からいくつ目の列か、3つ目が上からいくつめの箱かを示していることにしましょう。例えば『3、6、2』なら、左から3列目の棚の、左から6つ目、上から2つ目の靴箱がターゲットです」


「どうしてそこまでやる必要があるんだ」


「半分は私の趣味ですが、もう半分は、もしその紙が他の誰かに見られてしまったとき、私と木下くん以外には何を示しているのかわからなくするための細工です」


 彼女は指を口に当てていたずらっぽく笑った。


「明後日、木下くんは私のメモを確認した上で、当該の靴箱に入っている靴を盗んで下さい。そして、靴を手に持っていることがわからないように紙袋などに入れた上で、この位置の上側の柱の影に潜んで、昇降口の様子を見ていて下さい」


 そう言って峰岡は、地図上の中央やや左よりの位置に「B」と書き込んだ。昇降口に向かって左側に繋がっている通路で、トイレや事務室、倉庫がある方向だ。


「どうしてここに」


「上階の教室につながる階段は、昇降口に向かって右側と、中央にあります。授業が終わって昇降口に降りてくる人たちはこれらの階段を降りて来ますよね。昇降口から外に出るのにこの通路は使わないので、上から降りてくる人にとってこの位置は死角になります」


「なるほど」


「またこの位置に、特別学級がありますが、今年は所属者がいませんので実質的には空き教室です。加えて、他の空き教室は生徒会や部活動で使われていますが、放課後になった直後は使われていません。ということは、ここを人が多く行き交うことは少ないということです。ここで1年生の様子を伺って下さい」


「それで、靴を見失ってキョロキョロしている1年生を探せば良いわけだな」


「はい。赤いバッグを持っていて、濃い緑色の上履きを履いていて、オロオロしている人がいたらターゲットです。探しているのを見てすぐ近づくと怪しいので、頃合いを見計らって接近して下さい。話しかけ方は、『この靴がこのB地点の側の男子トイレに捨てられているのを見つけたので、持ち主を探していた』とか」


「なるほど。そういうことにしておけば『いじめられているサッカー部の1年生が、部外者の先輩にそのことを相談してみる』という状況が作れるわけだな」


「この時、さっき言っていた身長差が効いてきます。あと、それからですね……」


 そう言うと峰岡は急に俺の近くにかけよってきて、俺の腕や足腰や尻をペタペタと触り始めた。びっくりして後ろに仰け反ってしまった。


「な、なんだよ」


「え、細っ……」


「やめろよ、気にしてんだから!」


「あ、ごめんなさい。服の上からだとわかんないですが脱ぐと筋肉があるのかなと」


「いきなり何なんだ」


「筋肉があるなら、ブレザーを脱いだり、腕まくりしたりして、できるだけ露出した方が良いなと思ったんですよ。身長が高くて筋肉のある男の人に話しかけられたら、怖くて言うこと聞いてしまいそうじゃないですか。これも交渉術ですよ」


「いや、それはそうだけどさ、直接触らなくてよくなかった?」


 そう言うと峰岡の顔が見る見る間に赤くなった。どうやら作戦の説明のために脳のメモリを食ってたせいで、そこまで頭が回らなかったらしい。俺は無駄に触られて、筋肉が無いというコンプレックスを無駄に刺激されただけだった。


「急に痴女になったのかと思った」


「と、ともかくですね! できるだけ威圧感を与えて、先輩/後輩という立場をわからせた上で話すのが大事なんですよ」


 そう言って峰岡は赤くなった顔を揉みしだいてごまかそうとした。その所作が可愛くてつい笑ってしまう。


「即席で考えたわりにはいい案でしょう?」


「ああ、だが、ちょっとリスクもあるんじゃないか」


「どういう点がでしょう」

 

 俺は峰岡の真似をして、数を数えながら思いついたリスクをあげた。


「第1に、俺が靴を盗む姿が見られてしまうかもしれない。第2に、ターゲットが俺より先に靴を取ってしまうかもしれない。第3に、ターゲットが急いでいて話を聞けないかもしれない。第4に、ターゲットが本当にいじめられているのではと気に病んでしまうかもしれない」


「うーん。1点目は頑張って下さいというしかないですね」


「そんな投げやりな」


「木下くんの窃盗術に期待です。当日、思ったより人が多くて失敗しそうだったら次の日以降で試してみればいいと思いますよ。2点目も、木下くんの脚力に期待です。これもダメだったら次の日以降にもう一度試してみれば良いんじゃないでしょうか」


「確かにそれはそうか」


「3点目、ターゲットが急いでいて話が聞けなかったら、どうしようもないですね。ただ、名前だけ聞き出して、部活後に一緒に先生に相談しよう、などと持ちかけることも狙ってみて下さい。4点目は、本当にいじめられているわけじゃないので、尊い犠牲となってもらいましょう」


 そう言って峰岡は両手を組んで目を閉じ、神に祈るポーズをした。そんな適当な。まあそのへんは俺が適当にフォローすればいいか。


「こんな小細工を弄さなくても、部活終わりに歩いている1年生を探して個別にインタビューするという手もありますが……」


「その場合、俺の話術が必要になってくるな」


「そうですね。付け加えると、部活前で急いでいるタイミングなら、うっかり何かを漏らしてしまうかもしれないです。この作戦がベストに思えてきませんか?」


 峰岡は、笑顔を浮かべ、いつもどおりの透き通るような声でそう言ってきた。これに反論ができなかった俺は、狂言窃盗をやることになったのだ。

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