第4話 尊い犠牲となってもらいましょう

4−1

 美術室で峰岡に相談に乗ってもらってから2日後の放課後、俺は授業後の学活を聞き終わると同時に走って昇降口へと向かった。普段ノロノロと教室を出る俺がこんなに急いで教室を飛び出るのは珍しいことなのだが、そもそも普段の俺の行動を把握している人が教室にいないはずだから、怪しまれることもない。気づいた人がいても、急に腹でも壊したか、何か用事があったと思われるだろう。


 掃除時間も始まっていないタイミングだったので、案の定、昇降口付近にはほとんど人がいない。急いで自分の靴箱を開けると、見慣れた自分の靴の上に、見慣れない2つ折りにされた画用紙の切れ端が置かれているのがわかった。これが女子からのラブレターだったら嬉しかったんだけどな。まあ、女子から送られてきたものには違いないわけだけど。ってか、今どき靴箱にラブレターを入れるやつなんているのか――そんなこと考えている暇はないな。急いで取り出して見てみると、教科書のフォントのようなピシッと整った字で、次のように書かれていた。


 1、8、5


 数字しか書かれていないので色気もなにもないな。俺は、昇降口の左から1列目の棚の、左から8つ目、上から5つ目の靴箱をあけた。中には黒いスニーカーが入っていた。これをつまんで取り出して、予め用意しておいた紙袋の中に隠し持ち、昇降口の脇の廊下の柱の陰に潜んだ。


 しばらくすると、学活を終えた生徒たちが雪崩を打つように現れた。今日は、梅雨はまだあけていないが雨は降らない予報だった。運動部の連中は心置きなくグラウンドで活動するのだろう。多くの生徒たちが、校内用のスリッパを自前の靴に履き替え、部室棟へと走って向かっていく。校内用のスリッパは学年ごとに色が異なるので、何年生かこれで判別できる。濃い緑色が1年生、濃い青色が2年生、濃い灰色が3年生だ。来年になるとこれが1つずつずれ、次の新1年生が灰色になる、という仕組みになっている。


 10分ほどした頃だろうか。俺が盗んだ靴の持ち主らしき人物が現れた。スリッパの色は緑色で、赤いエナメルバッグを持って現れたが、自分のロッカーを開いてそこに靴がないことに気づき慌て始めた。身長は160センチあるかないかくらいで、本当に運動部なのかというほど痩せている。彼が5分ほど慌てて靴箱の周辺を探しているのを申し訳ない気持ちで眺めた後、俺は紙袋から靴を取り出した上で、後ろからゆっくり彼に近づいた。


「あ、それは……」


 俺が靴を持っているのを見て、その1年生くんが驚く。俺は、周囲と比べて飛び抜けて背が高いわけではないけど、173センチはあるので、彼よりは10センチ以上高い。俺が見下ろすように彼を見ると、彼はおどおどと俺の足元を見た。濃い青色のスリッパを履いているので、ひと目で上級生と分かる。俺は自分の思う頼れる先輩像というやつを思い浮かべ、そいつが出しそうな声と話し方になるよう工夫した。


「持ち主を探していたんだけど、これは君の?」


「はい、そうです」


「さっき、そこの男子トイレで見つけたんだ。外から適当に投げ込んだみたいで、便器の中には入ってなかったんだけど」


「そんな……」


 1年生くんは愕然とした顔をする。もちろん真っ赤なウソだ。真っ赤ついでに、彼の真っ赤なエナメルバックを眺めた。これはサッカー部員がお揃いで持っているものだ。


「サッカー部?」


「はい、そうなんですけど……」


「部活内でいじめられてるのか」


「いや、そんなことはないと思ってたんですけど……もしかすると……」


 彼が真っ青な顔になっていくのを見ながら、彼に詰め寄り、退路を断つような立ち位置に立った。そして彼の肩を優しく叩き、できるだけ深く低い声を意識しながら、こう言った。


「ちょっと詳しく聞いてもいいかな? 何か力になれるかもしれない」

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