第3話 俺の知らないあいつのアレ

3−1

 不快なほどテンションの高い朝の情報番組によると、どうやら今年の梅雨前線は近年まれに見るほど発達しているらしい。だからかどうかは知らないが、今日は朝から気分が憂鬱になるほど強い雨が降り続けていた。といっても、俺は1年中どの時期でも常に気分が憂鬱なので、何かが変わるわけではない。要するにいつも通りだった。ただ、傘をさすのが嫌いなので、帰る頃だけでいいから止んでいてほしい。


 昼休み、俺は机に突っ伏して寝たふりをしていた。こうやって寝たふりをしていれば、よっぽどのことがなければ、誰かに話しかけられることがないのだ。そもそも、卓球部の井本や根岸以外は誰も話しかけてこないし、井本と根岸は違うクラスなので用事がない限りこの教室までこない。だから自意識過剰な男子中学生による不要なこざかしい細工と言えばそうなのだが、念のための保険というやつである。何事も備えが大事なのだ。


 そういえば先月末のゴミ拾いの際、峰岡に対して、休み時間に友達と談笑せず読書し続けていることを変わっていると言ってしまった。だが、よくよく考えてみれば自分もそのような感じで休み時間を過ごしているので、人のことをとやかく言えるような資格はなかった。自分のことを棚に上げるどころか、神棚にあげてお供え物を添えて拝んでしまった。


 そもそも、教室の中で友達と会話するって、どんなことを話すものなのだろう。ここはあれだ。必殺カクテルパーティー効果の出番である。


 俺は机に突っ伏したまま、教室で話すクラスメイトたちの会話に耳を澄ませた。後方に意識を向けていくと、ラジオの電波をチューニングするみたいに、クラスメイト達の声がどんどん鮮明に聞こえてくる。


「昨日送った……キンの実況みたか?」


「おお、見た見た……クラフトのやつだろ?」


「村人集めて燃やすとかマジやべーよな」


「マジでサイコパスだよな」


 誰が話しているのかは分からないが、声の1人に聞き覚えがある。おそらく男子バスケ部っぽい奴らの会話だ。この席から少し離れているために、途切れ途切れでしか聞こえないが、どうやら某有名動画投稿サイトのゲーム実況動画の話をしているようだ。俺も何個かは見たことがある。本当に、まったく、何の生産性もない会話だ。まあその話を盗み聞きしている俺よりはマシか。


 次に右斜め前方から聞こえる、女子集団の会話に耳を澄ませた。どうやらこの集まりは吹奏楽部の女子らしい。こちらも声のうちの何人かに聞き覚えがある。


「3組の根岸さ、マジでキモくない?」


「なんかあったの?」


「こないださあ、3組で麻里香と話してたんだけど、そのとき誰かの机に座ってたの。そしたらそこが根岸の席でさ、あいつが来たから『ごめん』つってどいてやったのに、『死ね』とか言われたんだけど」


「えー、キモっ! キモオタ卓球部のくせに調子乗りすぎじゃね?」


「だから卓球部はキメーんだよ」


「あいつら練習してんの?」


「1回痛い目にあわせてやるべきでしょ」

 

 壮絶な会話が聞こえて思わず身震いした。根岸は確かにそういうやつで、常に他人を見下したような態度をとる、率直に言って嫌なやつだ。俺とか井本とか、根岸のキャラに慣れた人間にそういう態度をとるのは良いが、よく知らない女子に、「死ね」はまずいだろう。あいつ、今後関わりをもたないだろうと思ってなめたことを言ったんだろうが、そのせいで卓球部全体に熱い風評被害が出ている。今度注意しておかないとな。


 ところでお嬢様方、卓球部の私がいることをご承知の上で、そのお話をなされてるんですかね。俺が寝ているから聞こえないとお考えになられ、その話題をご選択なさったのでしょうか。おそらくだけどこの人たち、俺が卓球部であること知らない可能性もある。いずれにせよ悪いのは根岸であって俺や卓球部じゃない。


 俺はいたたまれなくなったので吹奏楽部女子たちの会話に耳を澄ますのをやめ、今度は左の方ででかい声で話している集団に意識を向けた。


「大会前のこの時期に、スタメン選ばれてるのに辞めるとか、マジやべーよな」


「ほんとだよな」


 サッカー部の小林俊己と城崎和樹の声だ。先月掃除を押しつけられた恨みもあり、内心ムカつくなと思っているので、聞けば声だけで分かる。どうやら女子もいるみたいで、知らない女子の声も聞こえる。


「でもぉ、和樹くんがいたら、勝てるんでしょ? 2年生なのにスタメンに選ばれてて、エースストライカーなんでしょ?」


「分からんけど、県代表は余裕っしょ」


「すごーい」


 女子の媚びるような声に、城崎がスカした声で答える。どうやらサッカー部で、次の大会のスタートメンバーに選ばれていた誰かが、大会前にもかかわらず辞めたらしい。


 サッカー部は人気があるので、最初はたくさんの部員が入るのだが、練習がキツいのもあって辞める人間もそこそこいると聞いたことがある。だがこの時期に、しかもスタメンに選ばれているのに辞めるというのは奇妙だ。


 ってかこの女子、城崎に気があるっぽいな。俺も女子に「幸太郎くん!」とか呼ばれてみてえ。かたや休み時間に女子と仲良く談笑し好意を向けられる城崎。かたや女子にいないものとして扱われボロカスにこき下ろされる俺。あ、惨めすぎて涙出そう。


「……っていうか、ここだけの話なんだけど」


「なになに?」


「あいつがスタメンはいってたのにサッカー部辞めた理由、知ってんだよな」


「え、ヤバい系?」


 城崎の声が少し落ち、それに併せて女子の声も落ちた。しかし俺の必殺カクテルパーティー効果は凄いので、なんとか聞こえる。


「イジメなんだよ」


「え、マジ? 誰がいじめられてたん」


「それは言えないんだけどさ。バレて、顧問がブチギレてさ、関わったやつ責任とってやめろってさ」


「え、ヤバいやつじゃん」


「そう、表向きには自主退部なんだけど、本当は辞めさせられてんだよ」


「えぇー、ヤバいじゃん」


 話の方向がどうもキナ臭くなってきた。大会前に不祥事が明るみに出れば、選手のメンタルにも影響が出るし、出場取り消しなんてことにもなりかねない。内々に処理すべきだと判断されたのだろうか。


「俺らも気づいてないうちに、嫌がらせしてたみたいなんだよ」


「えー、意外。古村くんってそんなことする人だったんだ……」


「は?」


 しまった。俺は思わず声を出してしまった。


 周囲の声が少し声が止み、誰かが俺の方を見ている気配がした。だが、俺は机に突っ伏したまま、態勢を変えなかった。ここで顔をあげたりしたら、話を盗み聞きしていたことがバレてしまう。どうか聞き間違いか寝言だと思われますように。俺は眼を閉じ、時が過ぎるのを待った。


 しばらくすると止んだ声が戻ってきた。「寝言じゃね?」とかいう声が聞こえるので寝言だと思ってもらえたらしい。寝言で「は?」とか言う人、どんな夢を見ているんだろうという感じがするが、まあこのクラスでの俺の立ち位置は空気以下なので、みんな特に気にしないだろう。


 薄目を開け、硬い机の表面を凝視しながら、もう一度サッカー部とその取り巻きの声に集中したが、あとはとりとめもない話に終始していた。先ほどの情報に関連することも言っていたかもしれないが、俺自身の動揺が収まらず、内容をきちんと理解できなかった。


 ――あの善人を絵に描いたような古村修二が、いじめの首謀者だった?

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