3−2
帰るまでには止んでいてほしいと思った雨は、結局放課後になっても降り続いていた。
放課後、俺は卓球部の部室に赴いたが、ピンポン玉を板に叩きつけるなどという非生産的な活動を拒み、城崎が話していた内容をルーズリーフの上にまとめた。そして、延々とどのアニメキャラが自分の嫁だとかという虚無のような内容について話し続けている井本と根岸の声をBGMにしながら、その自筆の読みにくい走り書きと睨み合いをしていた。
・古村は、次の大会のスタメンに選ばれていた。
・古村は、サッカー部の誰かに嫌がらせをしていじめていた。
・古村は、表向きは自主退部というかたちで、いじめの責任をとって部活を辞めた。
・城崎は、古村が陰でいじめをやっていたことに気づいていなかった。
俺はこのメモを見ながらため息をついた。いつもだったら卓球部の部室で宿題を終わらせてから帰るのだが、どうもこの噂話の内容が気になってやる気が出ない。
「木下氏、何してんの」
「ほっとけ、良い子ぶって宿題やってんだろ」
井本がいつもの間抜けな声で声をかけ、根岸がいつもの嫌味な合いの手を打つ。こいつらは本当に腹が立つくらいいつもどおりだ。俺は、二人に曖昧な笑みを返した後、「今日は早く帰ってアマゾンからの荷物を受け取らないと」などと適当な嘘をついて帰路についた。
少し考えごとをする時間をかせぐために、雨が降っていたがわざと遠回りをして帰ることにした。家の近くにある川を越えた向こう側にあるコンビニによって、買わなくてもいいスナック菓子を買って、家に戻る。その帰り道で、こないだのゴミ拾いで峰岡と訪れた川岸をとぼとぼと歩いていく。雨が降っているせいで川が増水しているが、危険というほどではない。雨足は昼頃と比べるとは弱まってはいた。それでも歩くたびに傘に守られた領域から足が少し出るので、水が少しかかり、制服のズボンの裾を濡らしていく。鞄にも少し雨がかかっているような気がする。やはり遠回りなんかするもんじゃなかった。
傘にあたる雨音を聞きながら、先ほど書いたメモの内容を頭の中で反芻した。古村修二が、夏の大会のスタメンに選ばれていたにも関わらず、サッカー部を止めた。しかもやめた理由が、陰で部内の誰かをいじめていたことが露見したかららしい。
第1の驚きは、修二がスタメンに選ばれていたことだ。小学校のころのイメージでは、さほどスポーツ全般が得意という印象がなかったので、サッカー部に入ってもうだつの上がらない平部員のままだろうと思っていたのだ。あれだけ四六時中練習させられていたら多少はうまくなるかもしれないが、まさかスタメンにまでなっていたとは。ポジションの問題もあると思うけど、大会の主力になるのは、当然、経験年数の長い3年生だと思うのだが、3年生を抑えてスタメンになるほど上手いとは……いや、それは比較的どうでもいいことだ。
第2の驚きは、修二が人をいじめていたということだ。こないだ、ちょうどこの川岸で峰岡にも話した通り、小学校のころの修二は、ムードメーカーで、常に他人のために行動ができる、絵に描いた善人のような人物だった。そんなあいつが人をいじめるということが考えられない。仮に関わっていたとしても、何か事情があったんじゃないだろうか。
頭の中で考えていると、そもそも俺が何にこんなに動揺しているのか、正体がつかめてきた。俺は、よく知っているはずだと思っていた古村修二という人物のイメージが揺らいでいることに動揺しているんだろう。修二は小学校の時1番の友達だった。中学校に入ってから、違う部活に入り、スクールカースト上で違う階級になったせいで、ほとんど話さなくなってしまった。しかし、それでも、根っこの部分はなにも変わっていないと思っていた。というかそうあってほしいと願っていたんだろう。だから俺はこんなにも動揺しているんだ。
しかし、そう簡単に人は変わってしまうものだろうか。「男子3日会わざれば刮目して見よ」とは言う。それに、俺もそうだけど、14歳の中学生なんて未成熟で、精神は不安定で、気分がコロコロ変わるし、人を傷つけたりすることもあるだろう。だが、あれだけ人に気遣いできる人間だった修二が、そんな簡単に変わってしまうだろうか。本当に「いじめ」と呼べるような行為に及んでいたとしても、何か理由があるのではないだろうか。
家の近くの橋が見えてきた。あの橋を渡れば自分の家に着く。家に近づいてきたと思ったら雨が弱まってきた。家に近づくとやんでくるなんて、とことん空気の読めない雨だ。まあ、こんな雨が降っている中、わざわざ遠回りして歩く、酔狂な人間も俺くらいしかいないだろう。そう思っていると、橋の真ん中で佇んでいる人影が見えた。
近づいてみると、なんと、古村修二だった。サッカー部が共通で持っている赤いエナメルバッグを抱え、黒い傘をさしたまま、川面を見つめている。噂をすればなんとやらというが、タイミングが良すぎる。雨の中1人で何をしているんだろう。あいつの家もうちの近くなので、ここにいること自体はおかしなことではない。
「よお」
「……幸太郎か」
俺が声をかけると修二は低い声で応じた。誰かに「幸太郎」と呼ばれること自体久々だったので、なぜかドキリとしてしまう。
「何してんだよ」
「俺は、ちょっと遠くのコンビニに行って、遠回りして帰ってきたんだよ、お前は?」
「増水した川を見ていた」
確かに、川の水量はいつもより多い。灰褐色に濁った水が轟音を立てて流れている。だが近づくと危険というほどの水量ではない。落ちたら大変なことにはなるだろうが。いや、そういうことが聞きたいわけじゃない。俺は何も知らない体で聞くため、言葉を選びながら慎重に聞いた。
「いや、部活はどうしたんだよ。サッカー部、雨でも室内トレーニングとかあるんじゃないのか。随分夜遅くまで活動してるんだなと思ってたんだけど」
「ああ……サッカー部はやめた」
「やめた?」
わざとらしくならないよう、眉をひそめつつ、少し抑えめのトーンで聞き返す。どうだ、我ながら自然な演技だろ。10年後のアカデミー賞候補とは俺のことだ。この俺の渾身の怪演に対して、修二は無言で返した。俺は少しバツの悪い思いをしながら理由を聞いた。
「どうして?」
「聞いてないのか」
「いや、なにも」
「お前のクラスの小林と城崎が言いふらしているんだと思っていた」
「俺が小林や城崎と仲良く見えるか」
「いや……そうか」
俺がついた嘘に気づかず、修二は視線を再び川面に落とした。俺が無言のままでいると、修二は無言に耐えかねたように、ゆっくりと話し始めた。
「サッカー部内でいじめがあってな、その首謀者だったからやめさせられた」
「……お前がいじめの首謀者?」
「ああ」
「信じられない」
「実際にそうだから、そうとしか説明しようがない」
濁流の音で声の抑揚ははっきりと聞き取れず、川面の方に目線を落としたせいで顔は傘の影に隠れてよく見えず、そう答えたとき修二がどういう感情だったのかはうかがい知ることができなかった。
「誰を……いじめたんだ」
俺がそう聞き返すと、修二は再び俺の方を向いた。そしてワナワナと声を震わせながらこういった。
「これ以上、首を突っ込むな」
「……どうして」
「これはサッカー部の問題だ。お前には関係がない」
「俺はお前の友達だ。だから、サッカー部には関係がないが、お前には関係があるだろう」
俺が「友達」という言葉を使った途端、修二は一瞬怯んだような顔をした。しかし、息を深く吐いたあと、俺に背を向けて、吐き捨てるように言った。
「お前とは中学に入ってからは、しばらくは話してなかっただろう」
「いや、だとしても、俺は……」
「お前が知らないほうがいいこともあるんだよ」
修二は大声で俺の声を遮り、自分の家の方角に向けて歩き去ってしまった。俺はその場に立ち尽くしていた。雨煙の中に溶けるように、修二の姿は見えなくなってしまった。気がつけば、弱まったと思った雨はまた強くなっていた。
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