2−4

「最初に変だなと思ったのは、私にこのトングを渡すとき、わざわざ左手の方に近づけるように渡してきた時です」


 峰岡は左手で持っていたトングを掲げ、カチカチと鳴らした。


 俺はつい先ほどまでの自分の行動を思い返してみた。そんなことやった記憶がない。どうやら無意識にそうしていたみたいだ。


「私は左利きなんですが、生活してる中で右利きであることを前提でものを渡されたりすることが多くて、困ることもあります。まあ慣れてるんですけど……ですが、木下くんはまるで私が左利きであることをよく知っているかのように、私にトングを渡したんです」


「そんなことした記憶がないんだけどな……あ、ほら、俺が右利きだし、近いほうの手に渡したんだよ。それに、美術室で絵を描いていた時もペンを左手で持ってたから、左利きだってのは知っていて、無意識にそうしたんだと思う」


 俺は慌てる気持ちを落ち着かせ、なんとか反論を述べた。それだけでいちいち怪しいと思われていたのでは世の中全員ストーカーになってしまう。しかし、それを聞いて峰岡の目がキラッと光った。


「私も最初そう思いました。自然にやったにしては不自然な動きでしたけど、私が自意識過剰なだけだって。ですが怪しいと思う点が、他にもいくつかあったんです」


 そういって峰岡は指を2本立てた。なんでピースしてるんだろうと思ったが、よく考えたら2つめの証拠ということか。


「次に怪しいと思ったのは、服装の話をした時でした。確か木下くんが、今日ゴミ拾いがあることを覚えていなかったという話をしていたときでした。私がネクタイだとブラブラして動きにくいからリボンにしたと言ったら、木下くんは『だから今日はネクタイじゃないのか』と言いましたね」


「そ、そんなこと言った?」


「はい。まるで私が普段はネクタイにしていることをよく知っているかのような言い方ですよね」


「だ、だけど……」


「そうですね。これも決定打ではありませんでした。うちの学校の女子は、ネクタイをつけている人の方が多いですよね。だから木下くんがそう言ったのは、リボンをつけているのは少数派だという意味合いなのかもしれないと思いました」


 峰岡は俺の言い訳を遮るようにしてすらすらと反証を述べた。だが、その隙のない論理が俺を追い詰めていく。


 実はそう言ってしまった記憶がある。確かにあれはうっかりしていた。この1週間峰岡をジロジロ見て、峰岡のことばかり考えていたので口をついてあんな言葉が出てしまったのだ。


 峰岡は息を吸い込むほどの間を置いてから、指を3本立てた。


「3つ目。これが決定打だったのですが、休み時間の過ごし方について話した時、木下くんは『いつも学校で本を読んでるから』って言いましたね」


「で、でもそれはたまたま目に入ったからだって言ったじゃん」


「そうでしたね。ですが木下くんは正確にはこう言っていましたよ。『教室の前通りかかるとき、2、3回峰岡さんが目に入ったから』と」


 なんであの一瞬で俺の言ったことを記憶しているんだ。俺は峰岡の驚異的な記憶力に舌を巻くしかなかった。


「私の今の席は廊下側の列の前から4つ目、1列が7席なのでちょうど中央です。教室の前を通りかかったときに中をチラ見しただけでは見えない位置に座っています。加えて言えば、私が休み時間机で何をしているのかわかるくらいしっかり見ようとしたら、チラ見じゃなくてかなりきちんと目で探さないといけないと思います」

 

 ぐっ……確かにそうだ。峰岡の席は廊下側の真ん中。教室の入り口は、廊下側の壁の前側と後ろ側にしかない。だから角度を考えると、教室の扉が開いていたとしても、のぞき込まないと見えない位置だ。


「6組の木下くんが私の5組に用事があって内側まで入ってくることもあると思うので、1回くらいは偶然目に入ることがあるかもしれません。ですが、友達がいないことを自負している木下くんが、この短期間に2、3回繰り返してうちのクラスにくるでしょうか?」


「ほんとに、たまたま、2、3回入ったんだ」


「ほんとですか? これを聞いたとき、やっぱり見られてたんじゃないかなと思いました。私が普段から休み時間の周りの人の動きをちゃんと見てれば、木下くんが覗き込んでることに気が付いたかもしれなかったのですが、本当に本しか読んでないので気づきませんでした」


 俺は冷や汗をかきながら苦しい言い訳をしたが、峰岡は信じてないような声だった。2、3回どころか、通るたびに覗き込んでいた。焦ってオロオロする俺に追い打ちをかけるように、峰岡は真顔で4本目の指を立てた。


「最後にダメ押しですが、スクールカーストの話をしているとき、木下くんは私のことを、『いじられたりいじめられたりもしてないし、っていうかそもそもそんなに人と話してないみたい』だって言ってましたよね」


「ウッ……言ったと思う」


 ついさっき言ったことだったので覚えている。俺が思わず「ウッ」と言ってしまったので、峰岡はにやっと笑った。


「人と話してないっていうのは、休み時間の過ごし方について話したときに私が言ったことだったのでその内容を受けていたんだと思います。ですが、いじられたりいじめられたりもしてない、というのはかなり私の学校生活を見ていないと言えないことです。それに、いじめられてない『と思う』とか『みたい』っていう表現じゃなくて、断定の形だったのも引っかかりました。そう確信するような論拠があったんですよね?」


 俺は両手を挙げた。ゴミ袋に入っていた缶がカランカランと音を立てる。降参のサインだ。それをみた峰岡は満足そうにうなずいた。


 こないだ美術室で俺の筆箱の所在を当てたときと同じように、峰岡は理路整然とした推理を披露した。あのときも思ったけど、自分の考えを楽しそうに述べている峰岡は、黙っているときの楚々とした印象からはかけ離れて見えた。


 ただし、あのときは俺を助けてくれるための推理だったけど、今回は俺を糾弾するための推理だ。普通にどんどん追い詰められていくのが怖すぎてオシッコちびるかと思った。峰岡は敵に回しちゃダメだな。


「……そうだ。峰岡さんの言うとおりだよ」


「そうでしょ。他人をじろじろ見るのはあまり良い趣味ではないですよ」


「全くその通りだ。悪かった。美術室で会って以来……君のことが気になってて、だから見てたんだ」


 口にしてから、自分の言ってしまった言葉を反芻して、後悔した。なんか俺が峰岡のこと好きになったみたいな言い方じゃないか。峰岡もそう思ったのか少し頬が紅潮している。


「あ、その、なんかそういうトーンで言っちゃったけど、好意を持ったとかそういうことが言いたいわけじゃなくて」


「そ、そうですよね」


「これまで見たことのないタイプの人だったから、どんな生活をしてるのか気になったというか、でも女子だし話しかけにくいし、話しかけたら嫌がられそうだし、見るだけなら問題にならないだろうと、そう思って見ていたんだ」


「実験動物を観察するような動機だったんですね……」


 そう言って峰岡はうつむいて目を伏せた。な、なんか、悪いことをしたような気持ちになってきた。というか悪いことはしていたわけなんだけど。


「あ、いや、峰岡さんのこと動物みたいだとは思ってないんだけど」


「人間も動物ですから」


「いや、そうだが、そういうこと言ってるんじゃなくて、ジロジロ見て、すまなかった」


「おとがめなしにするので、私が、木下くんのことキノコに似てるっていったの許してください。動物より菌類に似てるといった方が無礼かもしれません」


 今度は峰岡が上目遣いでこちらを見上げる。なんだ、そんなことか。


「いいよ、言われなれてるし」


「ごめんなさい」


 峰岡が頭を下げたので、慌てて俺は顔を上げるよう手を振った。こちらもストーカーまがいのことをしていた手前、峰岡を謝らせるのは申し訳ない。ただ、内心、今度切るときは違う髪型にしようかなと思った。


「それに、私は木下くんに話しかけられても嫌だとは思わないですよ……今日もたくさん話せて、うれしかったです」


「そ、そう?」


「お話したいことがあったら、その、教室でも、美術室でも、こそこそしなくていいので、いつでも来て下さい、ね?」


 そう言って峰岡は菩薩のような笑みを浮かべた。ひょんなことからめちゃくちゃ可愛い女の子といつでも話す権利をゲットしてしまった。しかしそうは言われたものの、峰岡と話すような用事もそうそう無いし、ほんとにこれ以上は話すこともないだろうな。


 しかし、1週間としないうちに、俺はまた峰岡のところに向かうことになる。


(第2話 おわり)

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