2−2

 突然だが、今、俺は右手にトングを、左手にゴミ袋を、そして右横に峰岡紗雪を連れている。何があったかというと、これはもう偶然としか言いようがない。偶然でもない限りもう2度と話すことはないと思ったが、偶然はすぐに起きた。安いな、偶然。


 わが中学校には「ごみゼロ週間」という不毛の極みのようなイベントがある。5月30日、いわゆる「ごみゼロの日」を含む5月の最終週、全校をあげて清掃活動に励むというイベントだ。具体的に何をするかというと、放課後の掃除はだいたいどのクラスも当番制になっているのだが、この当番制を1週間解除し、全員に担当を振り分け、全校を磨き上げるのだ。


 それだけだったら、生徒全員に等しく仕事が課されているのでまだ公平なのだが、美化委員はこの「ごみゼロ週間」の金曜日の放課後に呼び出され、学校区内の清掃活動をやらされる。うちの学校の生徒の制服で街の美化活動をやれば、地域住民の印象も良くなるというわけだ。こういうわけで美化委員である俺と峰岡は、ゴミ拾いをさせられていた。


 俺はこの行事のことをすっかり忘れており、せっかくの金曜日なので部活をサボって家に速攻で帰り心ゆくまでゲームをやる気まんまんだったのに、下校前の学活でそのイベントのことをリマインドされ、あえなくゴミ拾いに従事させられることになった。


 なぜ俺たちだけこんな面倒なことをやらなければならんのだ。不公平ではないか。そう独り言のつもりで呟いたのだが、それを聞いた峰岡は苦笑いした。


「生徒会の人たちは毎週集まって各種行事のために働いていますし、体育委員は体育祭で、文化委員は文化祭に駆り出されています。あと図書委員も毎日図書館の仕事をやっているので、おあいこじゃないでしょうか」


「いやまあそうだよ。ちょっと不満を言いたくなっただけだ」


 俺はため息を吐いた。そもそも委員会活動なんて委員長になって内申に色を付けてもらえない限り何の得にもならないのでやりたくなかったのに、くじ引きであたってしまったのだから逆らえなかった。これも学校制度の自己満足のためのスケープゴートだ。


 それで、なぜ俺が峰岡と一緒にいるかという話に戻るが、この清掃活動に際してさらに偶然の事態が重なった。この清掃活動では、クラスに2人ずつ配置された美化委員がバディを組んで街を歩き回ってゴミ拾いをする。しかし今日に限ってうちのクラスのもう1人の美化委員の女子が風邪で欠席していた。名前はなんだったっけ、確か、泉だった気がする。カーストが違うので、話すこともほとんどないし、名前を覚えようと思ったこともない。


 まあそのうちのクラスの泉(仮)がいないおかげで、俺1人で回れる(言い換えるとサボっていてもバレない)状況だったのだが、峰岡も何らかの事情で相手がおらず、教師が気を利かせてわれわれをペアにしたというわけなのである。頼んでないのにいらないことをしやがって。だから学校は嫌いなんだ。


 校門の前で、教師がゴミ袋4枚と、ゴミ拾い用のトングを2本渡した。ご丁寧に燃やすごみ、燃やさないゴミ、缶・ビン、ペットボトルの4種類で色が違うものだ。とりあえず俺がそれを全部預かった。


 峰岡と共にふらふらとゴミを探して歩き始めた。見渡す限り、ゴミはさほど落ちていない。この街はそれほど治安の悪い街ではないということだろう。ありがたい話だ。だが、先ほど、美化委員の担当の教師は「ゴミ袋をいっぱいにして来い」と威勢よく怒鳴り散らしていた。この調子じゃいっぱいになるわけがないだろう。とにかく怒鳴ればいいと思っている教師の愚鈍さを思い出して、俺がしかめっ面でずんずん歩いていると、峰岡はおずおずと話しかけてきた。


「6組の美化委員の方はなんで今日休みなんですか」


「担任曰く、体調不良だって。タイミングいいよなぁ。そっちは?」


「5組の美化委員は私と、久保順規くんという方なんですが……ご存知ですか?」


「いや、聞いたことすらないな」


「サッカー部の方です。私も最近知ったのですが、お父様が県議会議員らしいですよ、あ、ほら」


 そう言って峰岡は、タイミングよく、民家の壁にはられていたポスターを発見して指差した。あまり印象に残らない中年男性の顔と共に、「久保しげひと」と書かれている。政治家ってことはきっと金を持ってるんだろう。実家が太くて、サッカー部で、スクールカースト上位。俺とは関係のない人間だ。道理で名前も知らないわけだ。


「久保くんは、次の大会のスタメンになってて、練習が忙しいので特例で免除らしいです」


「ずりぃなあ」


「この学校、サッカー部が強いので、先生方も力をいれてるんですよ。勉学だけじゃなくて部活にも力を入れているというのは、学校としてはいい宣伝文句ですしね」


「でも公平ではないな」


「まあ、そうですね。不公平です」


「そうだそうだ」


「不公平ついでですが、木下くんがゴミ拾い用の荷物全部持ってるのも不公平なので、半分持ちますよ」


 それではありがたくそうさせてもらおう。俺は手に持っていたトングを峰岡の左手の方に突き出し、ゴミ袋をよく見てから、4枚のうち2枚を峰岡に渡した。燃やすごみと、燃やさないゴミだ。缶・ビン用とペットボトル用はたくさん拾うと重くなってしまう。さすがの俺も、女の子に重たい物を持たせようという気にはならなかった。峰岡はトングを左手で受け取り、ゴミ袋を右手で受け取った。


 受け取ったのを確認するついでに、さりげなく峰岡の全身をチェックした。トングやゴミ袋のような妙なものを両手に抱えていても、美少女は美少女だった。服装は制服だが、いつもネクタイを結んでいるのに、今日はリボンをつけている。顔の雰囲気的にはリボンのほうが似合うんじゃないかなと思った。


 しばらく無言が続いた。そんなによく知らない女子と何を話せばいいのかわからない。そもそも、多感な年ごろである中学生女子に振るのに適切な話題とは何なのだろうか。俺はクラスの女子から、この道路脇に落ちた煙草の吸殻と同じような扱いを受けているので、日常的に女子と話すことがまずなく、こういうことに対する勘がまるで働かない。


 俺は見つけた煙草の吸殻を早速拾い上げた。これは燃えるゴミなので、峰岡が持っている赤みがかった袋に入れなければならない。俺が峰岡の方を見ると、峰岡はたどたどしい手つきで赤い袋を開けてくれた。そこにトングで吸殻を入れたタイミングで、峰岡が口を開いた。


「木下くんは、趣味とかあるんですか」


「なんでそんなお見合いみたいな質問を」


「いや、無言で連れだって歩くのは、結構辛いものがあるなと」


 そう言って峰岡は気まずそうに笑った。思っていないタイミングで峰岡に話しかけられたので、反射でつっこんでしまったが、無言は俺も辛かったので、峰岡の質問はありがたかった。


「そうだな。ゲームとかかな。お年玉をためてPS4買ったんだよ」


「ピーエス、フォー?」


「知らない?」


 マジかよ。


「PS4。ゲーム機の名前だよ」


「知らなかったです。両親が厳しくて、ゲームは買い与えてもらえないので」


 マジかよ。


「テレビもほとんど見せてもらえなかったので、そういうエンタメ情報に疎くて」


「マジかよ」


 さっきから我慢してたのに声が出てしまった。やはりこの1週間のリサーチ通り、めちゃくちゃお嬢様のようだ。


「今度、やりに家に来なよ」


「いいんですか」


「ハハハ」


 俺は手を振ってごまかした。今のは冗談だったのに、峰岡は本気にしたかのような声を出した。「え、なに突然仲良くもない女子を家に誘ってんの、キモっ」的な反応を予想していたので、反応に困ってしまった。


「実は俺、今日このゴミ拾いがあること忘れててさ、週末だし、家に帰って心ゆくまでゲームやろうと思ってたんだよ」


「それは災難でしたね。私はちゃんと覚えてましたよ。ゴミ拾いあるからリボンにしたんです。ネクタイだと、かがんだりしたときに、ひらひらするでしょう?」


「あ、だから今日はネクタイじゃないのか」


 用意周到だ。女子の制服はブレザーにネクタイかリボンどちらでもよいことになっている。流行りなのか知らないけどネクタイの方が多いけど。


 俺も制服汚さないために体操着やジャージを持ってこればよかった。だがあいにく今日は体育もないので持ってきていない。いや、しかし、卓球部に出るんだったら普通ジャージが要るよな。しかし俺には、あいにく毎日部活に出るという習慣も、部活に出たら必ず卓球をするという習慣もないので、ジャージを持ち歩くという発想がなかった。


「峰岡さんは、テレビもゲームもないとなると、家で何してるの」


「お勉強してるか、本読んでますね。本なら家に山のようにあるので」


「やっぱり?」


「イメージ通りですか?」


「いや、いつも学校で本読んでるから」


 と言ってから、しまったと思った。これじゃ俺がずっと峰岡のこと見てたのばれるじゃないか。峰岡も怪訝そうな顔をしたので、あわててごまかす。


「その、5組の教室の前を通りかかるとき、2、3回峰岡さんが目に入ったから……そのとき読書してるのが見えたんだ」


「なるほど。確かに休み時間は本ばっかり読んでますね、私」


 あわててごまかして何とか事なきを得た。ほぼ初対面の女子に対して「お前のこと、ずっと見てたんだ」って言うのはあまりにも不気味すぎる。でも少女漫画とかで読んだことあるなそういうシーン。いずれにせよイケメンがやって許されることであって、俺のような菌類がやればたちまち顰蹙を買うのである。どうでもいいけど。


「ってかさ、休み時間って普通休むものじゃないの」


「え、だから本を読んで休んでるんですよ」


「本読むのは結構疲れると思うんだけど……」


「あんまり疲れないですよ。普通、休み時間とはどういうことをするものなんですか」


「いや、例えば、友達と話すとか、早弁するとか」


「友達少ないですし、早弁するほどお腹も減らないですし」


「友達、少ない?」


「たまに話す人はいます。休日に遊びに行ったりとかはしないですね」


 やっぱりそうなのか。俺と話しているときは饒舌なので、話すこと自体が苦手な方ではないと思うんだけど。話が合う友達がいないんだろうか。


「木下くんは、友達多そうですね?」


「何を見てそう言っているのか全く分からないんだけど……ま、確かに、多かったかもな」


「『多かった』? 過去形なんですか?」


 峰岡が不思議そうにこちらを見上げる。俺はため息をついた。手持無沙汰にトングをカチカチと鳴らしてみると、思ったより大きな音が出たのですぐ止めた。俺はもう一度浅くため息をついて、話し始めた。


「スクールカーストってあるじゃない」


「学校のクラス内や部活動内で、能力や容姿などで格付けされ、階層が形成された状態のことですね」


「……お、おう、それだ」


 辞書みたいな定義が即レスで返ってきた。怖っ。


「俺は、小学校の時はスクールカーストの真ん中よりやや上にいて、話す友達も多かったんだ。だけど中学に入ってから、卓球部に入って、馬鹿にされるようになってさ。カーストと違う友達と話しにくくなった。だから今は友達は少ない」


「なんで卓球部に入ると、馬鹿にされるんですか?」


「うーん……」


 当然そこは疑われないだろうという点への質問だったため、俺は答えに詰まった。峰岡紗雪という人物、何となく浮世離れしているとは思っていたが、まさかここまでとは。俺は峰岡にこの学校のスクールカーストについて簡単に説明した。


 この学校のスクールカーストは、どの部活に所属しているのかということが一番大きな決定因になっている。そしてそれぞれの部活の序列は、所属している部員の人数と、対外的にどれくらい実績を残しているかによって定まっている。サッカー部が一番強く、続いてバレー部、バスケ部、野球部、吹奏楽部、陸上部、その他有象無象(卓球部含む)となっている。

 

 しかし部活の序列はあくまでも大原則で、あとは個人のステータスによって上下する。人数が多く県下ではそこそこの実績を残しているバスケ部の男子でも、ベンチメンバーだったり容姿がよくなかったりするとカーストは下がる。逆にどの部活にも所属していない帰宅部でも、喧嘩が強かったりカースト上位の奴と友達だったりするとカーストは上がる。


「――というわけで卓球部で、勉強もできず、容姿もよくなく、友達も少ない俺は、みんなからバカにされるカースト最底辺の民なのである」


「へぇ……私、そんなのぜんぜん気にしたことなかったですね。その理屈で言うと、私はどうなるんでしょう」


「そうだな。上、中、下、底辺とすると、上ではないと思う。中か下だな。少なくとも、いじられたりいじめられたりもしてないし、っていうかそもそもそんなに人と話してないみたいだし、底辺ではなさそうだな」


「……みなさん色々考えて生活しているんですね」


 口元に手を当て、ふむふむと言いながら聞いていた峰岡は、感心したようにそんな声をあげた。まあ俺の主観だから、あてにならないと言えばそうなんだけど。


「あ、でも、そういうルールなら、小学校の時仲良かった人が、カーストの上位にいれば、木下くんも相対的に上位になるんじゃないですか」


「確かに。小学校の時仲良かった奴の多くが私立中学に行っちゃったんだけど、何人かはこの学校にも来ているし、俺より上層にいる奴らばっかなんだ」


「でも木下くんの友達が少ないってことは……」


 俺の拙い説明を聞いただけですぐにスクールカーストの仕組みを理解し、俺がどういう状況に立たされているかについてもすぐに見抜いたみたいだ。


「そう、喧嘩したってわけじゃないんだけど……その友達たちとも話さなくなったんだよ」


 そう言った瞬間、強い風が吹いた。

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