1−2

 掃除を終えた俺は、ノロノロとした足取りで教室を後にした。俺が掃除を始めたときは数人のクラスメイトが残っていたのだが、終わるころには誰もいなくなっていた。窓から入りこむ光に黄色が混じり始めている。日が落ちてきた証拠だ。


 2年生の教室があるのは3階、卓球部の部室になっているのは2階の空き教室だ。掃除をやっただけで疲れてしまったので部活に行く気力がなくなってしまったが、サッカー部の奴らにまともに活動していないと罵られたのを思い出して、腹が立ったのでちゃんと行くことにした。


 俺が大量の机と椅子を運んだ疲れを引きずりながらだらだらと階段を下りていると、後ろから来た誰かのエナメルバッグにぶつかって、階段を踏み外しそうになった。


「ごめーん」


 全く謝る気がない声で女子が謝った。3 人の女子が横に広がって話しながら歩いていたせいで、カバンが俺にあたったみたいだった。


 俺にぶつかったのは、顔は見たことがあるが、名前の知らない女子だ。ジャージの左胸の部分に「Basketball Club」の文字があるので、女子バスケットボール部に所属している奴だろう。当然俺よりカーストは俺より上。


「あ、ああ。いいよ」


 俺は謝罪を受け入れる声を出したが、それを聞きもせずに女子たちは階段を下りていく。こういうところからも俺が下に見られていることが分かる。まあそもそも俺だって名前も覚えていないのだから、同様に失礼なのかもしれないけれど、ぶつかったら丁寧に謝るくらいの礼儀はわきまえているつもりだ。


 俺が立ち止まって階段を下りていく女子バスケ部の奴らを見ていると、そのうちの1人と目が合った。だが目が合ってしまったことすら気持ち悪いと言わんばかりに目をそらし、立ち去ってしまった。


 俺はあいつの名前を知っている。大畑美月おおはたみづき。俺の幼馴染だ。


 小学校低学年からの友達で、小学校の頃はよく一緒に遊んだり、出かけたりしていた。だが中学に入った途端、カースト下位になった俺を避け始めて、ほとんど話さなくなってしまった。小学校の時は俺のことを「コータロー」と呼んでいたのに、以前1回だけ学校で話したとき、俺のことを「キノコ」と呼んでいた。


 美月みたいに、小学校のとき仲良かったのに、中学校になってから話さなくなった奴や、俺を馬鹿にしてくる奴は他にもいる。特に喧嘩をしたわけでもないし、失礼なことを言ったわけでもない。それもこれも、俺に「卓球部」の「キノコ」というキャラクターがついてしまったせいだ。俺がスクールカーストを憎んでいる一番の理由はこれだった。


 俺は深くため息をついてから、女子にぶつかられた部分を手で払った。別に汚れたわけではないが、なんとなく汚い何かが付着したような気分になったからだ。



 *



 卓球部の備品置き場になっている空き教室の扉を開けると、よく見知った連中が教室の中でベラベラと喋っているのが見えた。俺は中に入って鞄をその辺に転がっていた椅子の上に置いた。話していた1人が俺に気づき、声をかけてきた。


「よっ、木下氏、遅かったねぇ」


「サッカー部の奴らに掃除を押し付けられてさ」


「それはひどいねぇ」

 

 井本はいつものようにゆっくりとした高い声で、心配そうに俺にそう言った。なんかこいつの声で同情されると、あれだけ激しく恨んでいた自分が間違っていたような気になるな。いや、俺は悪くない。悪いのは社会だ。


 こいつは井本賢治いもとけんじ。チビ・デブ・坊主・メガネ・ノロマ・オタク・卓球部と中学生が嫌悪しそうな条件のロイヤルストレートフラッシュを揃えており、俺と同じく最下層のレイヤーの民だ。だが基本的には温厚で気のいいやつなので接しやすい。みんなからは苗字を縮めて「イモ」と呼ばれている。見た目もイモっぽいので、まあこれもぴったりなあだ名だ。


 井本と話していたもう1人の方も俺に話しかけてきた。


「ほっといてこっち来れば良かっただろ。木下は律儀だな」


「いや、まあ、誰もやらなかったら汚くなるし、明日朝来たときに机が戻ってなかったら流石に色んな人に迷惑だろう」


「悪いのはさぼった奴らなんだから、さぼった奴らに責任を押し付けてやれば良かったのに」


「それができないのは分かってるだろ」


 こいつは根岸剛ねぎしつよし。ガリガリで身長が高く、目が細い。こいつはオタクな上に、口を開けば陰険なイヤミばかり言うので、皆から嫌われている。俺も人のこと言えないくらい口が悪いので、別に根岸のことは悪く思っていない。俺や井本と同じく下層の民だ。ちなみにこいつも苗字を縮めて「ネギ」と呼ばれている。


 さて復習だ。井本と根岸と俺を3 人合わせて「イモ・ネギ・キノコ」。卓球部のキモ男子3人ということでセットにされている。まあ児童文学の『ズッコケ3人組』的なやつだと思ってくれて良い。俺がハチベエポジションだ。多分。


 教室を見渡したが俺たち3人の他には誰もいない。使ってない机と椅子や、2台だけある折り畳み式の卓球台が隅に置かれているだけだ。こんな状態だからサッカー部の奴らに馬鹿にされるんだよな。俺はため息をつきながら2人に聞いた。


「他の人は来てないのか?」


「見てのとおり。まぁ、幽霊部員ばっかだからね、うち」


 俺の問いかけに井本が答える。同学年は俺ら3人だけだけど、そういや入学して3ヶ月で来なくなった不登校の生徒も所属していた気がする。先輩もいたんだけど受験勉強があるからって3年生になった瞬間やめて塾通いを始めたし。後輩はなんだかやる気のなさそうなのが何人か入ったが、さぼっていても先輩が(つまり俺たちが)何も言わないので、週2回くらいしかこない。まあそもそも誰も卓球してないので誰がいようと関係ないんだけどな。


 俺は鞄から数学の教科書とノートを出し、近くにあった机に広げた。それを見た根岸が鼻で笑うように話しかけてきた。


「お、勉強かよ、優等生だな」


「根岸とそんなに成績変わらないだろ。宿題、家でやりたくないからな……あれ?」


 カバンをまさぐっても筆箱が見当たらない。おかしいな。教室に忘れて来たのだろうか。いや、でも、さっき掃除で運んだ時、俺の机の中は空だったはずだ。持ち上げた時に中で何かが動くような感覚は確かになかった。


「筆箱忘れたみたいだ」


「教室?」


「いや、多分、教室じゃない」


「6限目はどこだったんだ?」


 根岸がそう言うので記憶が刺激される。そういや6限目の美術の時間、自由着席だったから適当に選んで腰掛けた窓際の席で、クロッキー帳を広げるのに筆箱が邪魔で、筆箱を美術室の机にいれたんだっけ。すっかり忘れていた。


「多分美術室だ……取ってくる」


 俺はそう言って荷物を置いたまま、空き教室を後にした。美術室は同じ階なので、手間と言えば手間だが、取りに行くのはそこまで面倒ではない。そう思って俺は少し早足で美術室に向かった。




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