最終章-2
その日町ではある事件の噂が広がっていた。城に住んでいる衛生兵の少女が、首を真っ二つにされて死んでいたという事件だ。
夜明け頃にけたたましい咆哮で飛び起きた子供が、何が起きたのかと声のした場所へ向かったところ、そこには死体と立ち去ろうとする男の影があったという。
その男は姿を消して今どこにいるかは分からない。だが状況証拠と子供の証言を基に犯人はほぼ確定していた。
殺された少女の同居人だった少年兵カイン。彼を知る兵士はカインについてこう語る。
飛びぬけて優秀だったけどおかしな奴だった。いつも死んだ顔で何を考えているか分からない。とにかく人間味のない子供だった。
殺人の動機については一切分かっていないが、極めて残虐性な殺害方法から元少年兵は精神に異常をきたしている可能性が高い。
そういった旨が彼の似顔絵付きで綴られ、掲示板に貼られた。明日は我が身と恐怖する声、とても人間の所業とは思えないと非難する声、必ず死刑にすべきだという声。魔物によって心が荒んだ国民の怒りは留まることを知らず、魔物と並ぶ共通悪として認識されつつあった。
時を同じくして町にある朗報が舞い込む。魔物が滅びた、という知らせだった。
魔王討伐を一週間後に控え派遣された調査隊が話の発端だ。彼らは諸悪の根源の元へ侵入したがそこには誰もいなかったという。
魔王の根城には過去に何度も遠征が行われており場所を間違えた可能性はない。それに加えて、件の魔物がその場所から十年以上も動かない稀有な生態をしていることから、調査隊はある結論に至った。
確証を得る為、彼らは魔物のテリトリーになっている箇所を手当たり次第に走り回った。しかしどこに行っても魔物の姿は見当たらない。
その時彼らは、魔物が消滅したことを確信した。
良いニュースと悪いニュースが同時に飛び込み国民は混乱する。魔物の滅びたことを嬉しくない人はいなかった。だが素直に喜べる状態ではなく、行き場のない気持ちをどうすればいいか分からない。
最初に行われたのは葬儀だ。通常、身寄りのない少女は教会の限られた人の間で弔われる。
しかし兵士の中には彼女に命を救われたと言う者が多く、同僚はその献身的な仕事ぶりを尊敬していた。更には同じ境遇の子供たちの面倒を甲斐甲斐しく見ていたこともあり、彼女の死の影響は王や教会の想像以上に大きかった。
参列したいと手を挙げる者が一人、また一人と出てきて、結果的に一般人としては異例の人数で葬儀は行われたのだった。
少女の死に対して一応の区切りがついたところでいよいよ宴が始まる。
夕暮れの表通りにはかつてないほどの賑わいを見せ、いつもは仲の悪い隣人も奴隷と彼らを売りさばく商人も、その日だけは皆が肩を組んでいた。
大手を振って旅が出来るようになったことを喜ぶ若者や、魔物に家族を殺された無念が晴らされて溜まっていた涙を零す老人。
この場所では様々な感情が入り混じる。ただ一つ言えることは、誰もが新しい世界の始まりを心から祝福していたということだ。
葬儀が終わってからすっかり人のいなくなったはずの墓地に、深くフードを被った少年がいた。
とっくに夜も更けたが表通りの喧騒は相変わらずだ。遠く離れたこの場所にもうるさいほどに聞こえてくる。
少年は新しく作られた墓の前に立っていた。十字架に刻まれた刻まれた名前を親指でなぞると目の奥が熱くなる。
だが少年はぐっと歯を食いしばって堪えた。
少年は酷く老いていた。彼の心が生きた時間は、既にこの国の歴史よりも長い。人間の心を保ったまま生きるのが不可能なほどの時間を掛けて、彼はたった一つの命――大切な家族である少女を救おうとした。
――きっと何か方法がある。だから、もういいんだ……
ふと、遠い遠い記憶が蘇る。もう何百年も前のことのようにも感じるし、そうでないようにも感じる記憶だ。
少年は少女を連れて海を渡り、山を越えて魔物を滅ぼす方法を探し求めた。屈強だった足腰が力を失い杖を突く歳になるまで世界中を飛び回った。
たとえ少女が罪の意識に耐え切れず自ら命を絶ったとしても、それでも足だけは止めなかった。そして、その一生で探し求めたものが手に入らないことを悟ればまた一から人生を始める。
いつ終わるかも分からない旅の中、少年はあることに気づいていった。少年が本当に助けたかったのは少女ではなく、自分であるということだ。
少女を失った事実を受け止めきれずに自殺を決意し、偶然手にした時を遡る力を利用したことが間違いの始まりだった。
どんな苦しみも全ては少女の為になると自分に言い聞かせる日々が、他の誰でもない少年の心を守っていたのだ。少女のいない世界が怖くてそこで生きる自信がない。その恐怖や不安を、同じ時間を繰り返している間だけは忘れることができた。
少年は弱くて、脆くて、臆病な自分を憎んだ。救われているのは自分だけで、そのしわ寄せが少女や魔物に殺された人々に来ていることにこれまで気づかなかった。
彼らが負う必要のない痛みを、少年がループし続けたことで何度も何度も、時間を掛けて丹念に味あわせていた。今となっては彼らに何と申し開きをすればいいかも分からない。
自分が現実から逃避していたことに気づいた少年は、決着をつけることを選んだ。少年が苦しめた全ての人、何よりも自分が愛した人へ償いをする為に。
せめて最初の世界よりも苦しむ人が少なく済むように、致命傷で苦しむ仲間の介錯をした。魔物と戦う時は先陣を切り、これまでの経験を総動員して犠牲を最小限に留めた。
そして魔王を攻略する一週間前となった日、少女を自らの手に掛けたのだ。少女が安らかな顔で息を引き取ったのはこの世界が最初で最後になる。
誰にも気づかれないようにひた隠し、ただ生きているだけで罪の意識に苛まれる少女の心を見つけ、束の間の安心の中で殺すことこそ最後のループの目的だったのだ。
当然少年の体は剣を振り下ろすことを躊躇った。どの道少女が自ら命を絶つのは分かっていたから、彼女の苦しみに寄り添っただけで十分救えたのではないかと、夜更けからずっと迷っていた。
しかし、最後の最後まで臆病者で自分が傷つくことを恐れる理性を少年は許さなかった。彼は自分がしてきた罪の重さから目を逸らさないと決めたのだ。次の朝が来て、甘い夢から覚めた少女の心が傷つく前に。
これで全てが片付いた。人々を苦しめていた魔物は消え去り、再び世界は平和を取り戻した。
理性と本能の狭間で心を痛めた少女も、もう苦しみのない世界へと旅立った。
あとはそう、少年が傷を抱えて生きるだけだ。
どれぐらいいたのだろう。気づけば宴はとっくに終わり、もうすぐ夜が明ける時間だ。魔物のいない新世界の門出に相応しい、快晴を予感させる朝日が昇ろうとしていた。
「エヴァ……」
痛くなかったか? そう口が動く前に少年は自分の顔を殴った。
少年はナイフを手に取った。切れ味は褒められたものではないが、肉を裂くには十分だ。そのナイフを左腕に当てがい丁寧に動かしていく。痛みを噛みしめ決して忘れないように、墓標に刻まれた名前を自分の体に刻み付けた。
ふと、何かが首筋に当たった感触があった。その正体に少年はため息を吐き呆れ果てる。少年の右腕はほぼ無意識の内に、また自らの首を斬ろうとしていたのだ。
ナイフを鞘に納めて少年はその場を後にした。もう二度と、ここに戻って来ることはないだろう。
強く生きて。少女が最初に死んだ時の遺言だ。もしかしたらあの時の少女はこうなることに気付いていたのだろうか。今となっては知る由もない。だが今こそその約束を果たす時だった。
少年は自分を憎んでいる。この世のありとあらゆる罵詈雑言を以てしても表現できないほどに、自分を憎んでいた。
少女を殺した後、姿を明かして自ら名乗り出ることは出来た。しかしそうすればまず処刑は免れない。市中引き回しや打ち首獄門、磔や火炙り、彼にはそれすらも生温い刑だった。そうやって簡単に楽になろうとする自分が許せなかった。
気を抜いたら、今この瞬間にでもナイフで喉元を切り裂きそうになる。壁に八つ当たりした拳はすっかり皮が剥がれていた。
生きることに対する希望などなく、またそれを見つけることすらおこがましく思う。これからの人生はまさしく、ただ寿命が尽きるまで贖い続けるだけのものだ。
心に穴が空いたような虚無感も、消えることのない後悔も、愛する人を殺した時の感触も。
憎しみも悲しみも全てを背負って少年は生きる。それが彼に課せられた罰であり、唯一の贖罪だと思っていた。
明日が来る。自分の名前さえ忘れそうになるほどの時間を乗り越え、過去とは違う明日が来るのだ。
体が震えた。明日が来るのがこんなに怖いとは思いもしなかった。
一と千がつりあう天秤 下川関 @aa_bb_cc
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