最終章
魔王討伐を一週間前の控えた夜。ランプの光に照らされながら、少年と少女は遅い夕食を摂っている。今日も外は雨だった。
「エヴァ、話があるんだ」
このやり取りをするのは何回目か、数えるのも億劫だった。いつものように、カインは自分が何度も時間を遡っていることを話した。エヴァはいつものように驚き、いつものように自分が魔王であることを明かす。
ランプの灯が弱くなった頃、二人は同じベッドに潜った。
「私はどうしたらいいのかな……」
この言葉も飽きるぐらいに聞いてきた。カインはもう、彼女の体温に何の感慨も感じなくなっていた。しかし今日は違う。エヴァの温もりを自分の体に刻み付けるように、力強く抱きしめた。
「もういいんだ。今日は、今日だけは……」
「ありがとう……カイン……」
彼女の熱い涙が痛かった。心臓は激しく鼓動を繰り返す。こんなに緊張するのはいつぶりだろうか。
しばらくして、エヴァは静かに寝息を立て始めた。よほど思い詰めていたのか、今は何をしても起きそうにない。
カインはこれまでのことを思い返していた。この日に至るまでの時間は生き地獄と言うほかない。代り映えのしない毎日、自分の無力さを痛感させられる日々は、感情を風化させた。
ループする為に自殺することが日常のようだった。今となっては、顔を洗うのと同じようにように自分の首を切れる。
愛する人を失う苦しみも、繰り返せばなんてことない日常へ溶け込んだ。自分が本当にエヴァを愛しているのか分からなくなる時がある。
カインの心は悲しむべきことを悲しめなくなっていた。
深い闇が徐々に晴れていく。夜明けだ。もう少しすれば人々は活動を始め、また代り映えのしない一日が始まる。
エヴァの寝顔が微かに映る。穏やかで、満ち足りていて、幸せそうな顔だ。この日の彼女が昼になるまで起きないことを、カインは既に知っていた。
心臓の鼓動は、一秒毎に強く跳ねる。吐き気が止まらない。目からは涙が零れていた。決して嗚咽を漏らさぬよう、カインは自分の口を塞ぐ。
慎重に、物音を立てずにカインはベッドから抜けた。そしてベッド下に隠していたものを手に取る。
この日の為に、入念に刃を研いできた剣だ。片手で扱えるぐらいの刀身だが、首を刎ねるには十分な長さだった。
剣を握る手が震える。自分にはもうないと思っていた感情が警鐘を鳴らせた。
エヴァの寝顔が、声が、体温が、走馬灯のように駆け巡る。二度と彼女と思い出を作ることが出来ないと考えると、今にも胸が張り裂けそうだった。
静かな深呼吸の後、カインはもう一度剣を握り直す。その時にはもう、震えは止まっていた。自分がどれだけ人間性を失ったのかと、自分を嘲る。
エヴァの細い首筋を見つめる。
そして剣が振り下ろした。柔らかさの奥で一瞬、硬い感触があった。その手応えの後、するりと刀身が沈み込んだ。人が人だったものへ変わる時。首と胴体を分かち、赤い液体が止めどなく溢れる。
切り離された首――エヴァの表情を見た。その顔は相変わらず穏やかで、幸せそうだった。成功だ。
遂に終止符が打たれたのだ。魔王は倒され、世界は再び平和を取り戻した。そして気が遠くなるほどのループを抜け出し、新しい明日を手に入れた。
叫んだ。自分が叫んでいることを自覚するよりも前に咆哮していた。声は止めたくても止まらない。ただ血に濡れた手が心を抉り、引き裂き続ける。
悠久の時を経て、カインはエヴァを――魔王を殺した。
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