マガル
広げた結界が、活動範囲だ。巨人の足跡を辿りながら、カナタは静かに呟く。
結界の範囲はほとんどが更地か怪物の巣である異空間になっているため、実質的な被害は少ない。
「それでも、地鳴りなんて起きたら市民の皆さんがビビるだろ? それに、向かう先が古墳跡だとするなら、本格的にヤバいんだよ。あそこは遺物の宝庫だぞ?」
「やっぱり、あれが呪いの大元なんですか? 今日見た悪夢と同じ声がするんです」
「……そういうのも含めて、問い詰める必要があるな」
辿り着いた王勾市の中央区域は、自然に溢れた小高い台地だ。周囲の開発から隔絶され、厳かな雰囲気さえも感じさせるこの区域は、古代から今に至るまでの変化を拒み続けてきたようだ。太い幹の樹々が無数に生え、小規模な森のようになっていた。
赤月さんは更にその中央、神秘的な注連縄が結界を形作る台座の上で、じきに来る待ち人を待っているかのように立っていた。歩き続ける巨大な影と、それが辿り着くことによって起こる物事を心の底から待ち侘びているかのようだ。
「赤月ィ……探したぞ? どこ行ってたんだよ、俺を置いて……」
「あぁ、曽兌課長。これはこれは。あなたも見ますか? この街の再開発計画が無に帰す瞬間を……!!」
返答代わりに、銀の閃光が輝く。最高速から繰り出すシャベルの突きが風を生み、駆け出したカナタの身体を浮き上がらせる。不意打ちめいた、初手の一撃だ。
頭部を狙ったその一撃を、赤月さんは小さく首を曲げる最小限の動きで回避する。後から到達するカナタの身体を肘打ちで止め、蹴りに繋げる……ことはできない。蹴り脚をシャベルの柄で受け止め、カナタが地面を転がって距離を取ったからだ。
「……なぁ、いつからだ? 全部計算ずくで、俺と一緒に働いてたのか?」
「さぁ? ただ、この街を愛していて、大嫌いなのは確かです。この街の偉大な歴史に唾を吐いて、敬意もなく作り替える連中が許せないんですよッ……!!」
「そうかよ。……ったく、俺を止めるのはアカツキの役だろ? お前の暴走を止めるとは思わなかったよ……!」
カナタはシャベルを大地に突き刺し、柄に負荷をかけてしならせる。地面を深く抉るように強く突き立て、曲がった柄が弓のように曲がるまで体重を掛け続ける。
「……何をするつもりですか?」
「まぁ、見とけよ」
赤月さんは迂闊に近づけないのか、次の動きを観察しようとその場から動かない。お互いの動きが膠着し、無言の時間が恐ろしく長く感じる。僕はハラハラしながら、その様子を見守っていた。
最初に動いたのは、カナタだ。彼はシャベルの柄を負荷から解放すると、勢いをつけて跳ね上げる!
次に地面を転がったのは、赤月さんだ。彼はゆっくりと起き上がり、割れかけた眼鏡を放り投げて哄笑する。既に穏やかな表情ではなく、敵を睨み付ける挑発的なものである。その虹彩は血のように赤黒く輝いていた。
「……お前も食われてたのか?」
「食われた? 違いますよ、これは“捧げた”んです。来たるべき王の復活のために。この街をゼロに戻して、再び王国を誕生させるために!」
彼は妄執じみた笑みを浮かべ、上方を指差す。緑色の空に悠々と輝く太陽は、沈むことなくその場に静止して動かない。原因はわからないが、どこか不吉な暗示めいていた。
「太陽は沈まない! 逢魔時は永劫続き、我々は不変の安寧を得る! 素晴らしいではないですか! 暁から空に鎮座する太陽は、落ちることなく存在し続けるのです! あの巨なる象徴、回帰の王のように!」
見上げた空を遮るように、泥の巨人が顔を出す。欠けた片腕を補うように身体を揺らしながら、この小高い台地まで接近していたのだ。
その巨躯は、数時間前に見た髑髏に簡素な肉を貼りつけたかのようだ。関節部が苔に覆われ、どこか達観したかのような表情は例の髑髏のような悪意とは無縁に見える。
巨人はまるでそれが当然であるかのように、古墳跡に手を伸ばして遺物を探していた。その大きな手に収まるように寄り添う赤月さんは、己の心酔を隠すことなく平伏する。
「回帰の王よ、結界の準備は万全です。遺物を以って、まずこの街をやり直しましょう。素晴らしい過去へ、還るのです!」
巨大な掌が、赤月さんを掴む。彼が自我を捧げたことである程度の意思疎通は可能なのか、王が臣民を護るかのように包みこむのだ。
昨夜の悪夢がフラッシュバックし、僕は不安げにカナタの様子を伺う。黒衣の青年は、何らかの覚悟が決まっているようだった。
「……やるしかねぇか。クレムツくん、これ預かっといて!」
カナタは白い眼帯を外し、僕に向けて後ろ手で投げた。露わになった左眼は僕の位置からは見えないが、その周辺の皮膚は酷い火傷を負ったようなケロイドで覆われている。彼が頑なに見せない、“複雑な”側面だった。
僕は暴走しがちな彼を止めようと選んだ言葉を口に出さず、静かに首を振る。
「……ちゃちゃっと倒してきてくださいよ!」
「任せなって。あのデカブツも止めるし、アカツキもぶん殴って目を覚ます。一番シンプルな方法だろ?」
カナタは頭を上げ、泥の巨人を真っ直ぐ見据えた。その場を支配する空気が歪み、彼はゆらりと揺れる。
次の瞬間、世界は色を失った。彼の左眼を軸に、周囲の色彩が収縮するように消失したのだ。
モノクロにまで簡略化された“シンプルな”風景の中、彼は誰よりも自由だった。
空を蹴り、飛翔する。重力を無視し、空中で剣舞めいたシャベルの連撃を浴びせる。巨人の右腕に螺旋状の傷が迸り、鈍色の血が吹き出した!
この場における唯一の色彩は、緑色の空でも沈まないオレンジ色の太陽でもない。黒衣の青年——曽兌カナタの爛々と輝く黄金色の右眼と、不吉に赤く燃える左眼の眼光のみである。
「回帰の王……? 要するに、『あの頃の輝きを忘れられない懐古ジジイ』って事だろ? 残念だったな、俺は! 前しか見てねェんだよッッ!!!」
振り下ろされた巨人の腕を駆け上がり、カナタはシャベルの柄を強く握った。巨人の肩へ登ると、その額に向けて槍めいた刺突を浴びせかける!
煩わしい蝿を叩き落とすように、巨大な掌がカナタを狙って動いた。攻撃が直撃し、カナタは苦しそうにその場に留まる。ここで耐えれば、決着を付けられるのだ。
しかし、ここで問題が起きた。赤月さんが、滑落したのだ。掌に振り落とされ、空中へ投げ出される彼は全てを覚悟した表情で闇雲に祈りを捧げている。カナタは息を吐き、武器を巨人の額から引き抜くと、落下していく赤月さんの襟首を掴んで再び地上へ舞い戻った。
「は、なせ……」
「俺を裏切るのは別に構わないけど、死ぬなよ。あとで詫びの饅頭持ってきてくれたら今日のところは許すから!」
「…………馬、鹿」
「……死による停滞なんて、一番ダメに決まってるだろ」
着地と共に赤月さんを安全な場所に寝かせ、カナタは再び巨人と相対する。その表情には疲弊の色が見え、動きも精彩を欠いていた。彼は苦悶しながら、赤く燃える左眼の炎を抑える。
既に限界なのだ。左眼の解放は肉体にかかる負荷が大きく、しかも今日は連戦続きだ。僕は彼が立ち続けることを祈りながら、倒れている赤月さんに駆け寄った。
「おい、さっさとやるぞ……!」
挑発を繰り返し、カナタは巨人の攻撃を誘った。この一撃で決着をつけるつもりらしい。
巨人の掌は、それそのものが巨大な質量だ。それが振り下ろされることによる圧力は、隕石の落下に等しい。プレス機めいて大地を抉り穿つ、強力な鉄槌が振り下ろされる!
「カナタ……!?」
森の木々が折れ、重力に負けた大地が沈み始める。その衝撃の最中で、曽兌カナタはそれでも立ち上がっていた。
「呼び捨てかよ、クレムツくん……」
落ちてくる掌の膂力を、シャベルの柄でなんとか殺したのだ。その代わりに酷使してきた柄は折れ、彼は短くなった自身の業物を労うように撫でた。
再び消失した色彩の中、彼は瞬間移動かのように巨大な肩に駆け上がっていた。振り払う動きを空中旋回で回避し、何度でもその巨大な体に食らいつく。目標は額、浅い傷のついた眉間だ!
「これで、終わりだッ……!!」
銀の刃を片手に、カナタは空を蹴るように踏み込む。
「な? 勝てただろ?」
「……信じてましたよ!」
握手をしようとした瞬間、カナタは
「……よければ、背負って帰りましょうか?」
「俺よりも身長高いからって調子に乗んなよ……。あっ、でも救急車は呼んで!」
ゆっくりと陽は落ち、夜がすぐそこまで迫っていた。僕はカナタを抱え、小高い丘から見える無数の文明の灯を確かに感じる。技術の進歩と人類の進化が産んだ、刹那的な星々を。
* * *
それからしばらく経っても、結界による怪物の被害は後を絶たなかった。遺物がある限り呪いの完全な除去は困難なようで、再開発を滞りなく進めるためにはしっかりとした地質調査が必要だ、という結論になったという。
赤月さんは件の暴走で市役所を自己都合退職し、贖罪のために街のボランティアを始めたらしい。
カナタは数週間の療養の後、再び仕事に復帰したようだ。新しいシャベルを握り、再び逢魔狩りを行っているらしい。そんな彼は、なぜか僕の部屋に入り浸るようになった。
「で、その電子決済ってどうやんの?」
「スマホ貸してください。設定とか全部やっておくので……」
「マジで!? 助かる〜! さすがクレムツくん!」
確かに『難しいことは全部考える』とは言ったが、ここまでとは。僕は半ば呆れながら、カナタが手土産に持ってきたはにわ饅頭の新しい商品を賞味する。昔からの味を再現するという名目で作られた新製品であり、赤月さんから詫び代わりに受け取ったものだという。
スマホの操作に頭を抱えるカナタを見ていると、湧き上がった疑問が一つある。赤月さんの回帰願望と、カナタのシンプルなモノを好む思想は本質的に同じではないのか?
「カナタは怖くないんですか? これからの世の中はどんどん複雑になっていくかもしれないのに」
「……若干な。でも、後ろ向いて立ち止まるのは俺には複雑すぎるんだよ。時の流れは変えようがないんだから、わざわざ立ち止まって何か考えるなんて難しいことは出来ねぇ。だから、俺はシンプルな答えを持ってる。不器用なりに、適応していくしかないんだよ」
あの日見た悪夢は、赤月さんが感じていた感情の追体験なのかもしれない。変化を恐れ、暗黒の荒野に足を踏み出すことをやめた。それが普通の人間の弱さであり、かつての王が大掛かりな結界を作った理由なのだろう。きっと、僕も同じだ。
それなのに、この青年は後ろを振り返らない。視線は不変で、暗黒の荒野を笑いながら駆け抜けている。その姿勢は、僕にはできない芸当だ。
だからこの人に強い光を見出しているのかもしれない。僕はその光を目印に、先の見えない道をなんとか渡っている。
「……何黙ってんの。なぁ、俺も饅頭もらっていい?」
「あぁ、どうぞ!」
「……何これ!? 違う! 味がシンプルじゃない!!」
「黒みつきなことカスタードチョコ味らしいですよ」
「一個に濃縮するなよ商品開発部!! というかアカツキ、まだちょっと俺のこと嫌いだろ!?」
「普通に美味しいですけどね……」
「嫌だ! 変に味を混ぜるな!!」
ここは王勾市。蔓延る魔を狩る者が潜む街。
オウマガリ 狐 @fox_0829
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