ネガティブな話

月島真昼

第1話



 目が覚めたら世界がネガティブになっていた。ニュース番組をつけると開口一番で「みなさん、月曜日が始まりました。仕事に行かなければなりません。どうにかこうにか耐え抜いてください」と言っていて僕は唖然としてトーストを取り落とした。マーフィーの法則に従いマーガリンがべちゃりと机にへばりつけた。コーヒーを飲みながら続くニュースを聞いていると厚生労働大臣が「年金問題はもうどうにもなりません。改善策もありません。国民年金は途絶えるかもしれません。はあ。どうしよう。鬱です。どうして私の代にこんな問題が……」とぶっちゃけていた。キャスターの方も「どん詰まりですね。日本の未来は暗いようです」とか俯いていていかにも深刻そうな顔をしている。いつもの切れ味鋭く政治家の失言をぶった切る姿はどこにもなかった。

 ツイッターを開くとフォロワーさんがみんな「月曜日なんてこなけりゃいいのに」だとか「憂鬱だ。死にたい」だとか「仕事やめたい。会社を爆破したい」だとかそんなことばかり呟いている。

一人だけ「おはようございます! 今日も元気よく過ごしましょう!」と呟いている人がいたが「おまえに社会人の辛さがわかるか」とか「学校が楽しくないので元気になれません。元気になれない人のことも考えてください」とかクソリプばっかりついていた。

 僕はマンションを出た。駅まで歩き、電車に乗る。みんな暗い顔をして俯いているのでなんだかおかしくて僕は噴き出しそうになった。電車はやたらのろのろと走り出した。少しして電車が止まった。駅に着いたわけでもなく突然に。なにが起こったんだろうと思っていると隣に座っていた中年の男性が「また飛び込みか」とぼやいた。

 どうやらこの世界では電車への飛び込み自殺が多すぎて社会問題化していて、電車は一定以下の速度しか出せずにかつ線路内にある程度の大きさのモノを感知すると自動的に停止するようになっているらしかった。そんなだから線路への飛び込み自殺の成功率は著しく低い。今回飛び込んだ誰かも死ななかったようだ。電車は間もなく動き出した。

 会社の最寄り駅に着いて、妙にぐにゃぐにゃする地面を踏みながら歩いていると上から人が降ってきた。彼女は地面の上をポヨンポヨンと何度か跳ねてそのうち止まった。それから大声でわんわん泣き出した。どうしたらいいのかわからず声をかけようとしたら後ろから年配の男性が「兄ちゃん、やめとき」と言った。

「飛び降りなんか珍しいもんちゃうし、下手に優しゅうしたら依存されて大変なことになんで。あんた社会人やろ? 会社、遅刻するんちゃうか」

 なるほど、そうかもしれない。

 僕は若干の後ろめたい思いを引きずりながらも会社に向かうことにした。

 道中で人は三回降ってきた。

 やわらかい地面が彼ら、彼女らを受け止めた。

 会社に着く。いつもは口煩く「月間目標がー、我が支社の成績が―」と喚いている部長が「今月も目標には届きそうにありません。本社は何を考えてこんな夢物語みたいな数字を設定したのでしょうか。馬鹿なのではありませんか。みなさん、今日もくそみたいな仕事をどうにかこうにか適当に手を抜きつつこなしましょう」としおらしい声を出した。

 士気は下がるかもしれないが高圧的でない分だけ聞きやすかった。

 いつも怒鳴っている営業先に電話を掛けると「ねえ、きみ、もう少し、その、なんだね、声の“あかるさ”を落としてくれないかな。いや、きみが悪いわけじゃないんだけどどうしても気になるんだ」なんてことを言い出す。

 休憩室のテレビで芸能人の不倫に関するニュースが流れていた。

「嫁さんのプレッシャーに耐えかねたのかもしれませんね。当事者間の問題ですので、どうかそっとしておいてあげてください」

 男性アイドルと未成年者の飲酒に対しても「若者のみなさん、どうかご自分を大切にしてください」と言うに留まっていた。

 自己判断能力に欠ける未成年を飲酒に誘う方は勿論悪いけどついていく方もついていく方だと僕はこっそりと思っていた。

 仕事は定時で終わった。というか「残業しても何も変わりませんから今日のところは帰りましょう」と切り上げさせられた。相手先もネガティブだから多少の遅れが出ることは想定内で許されるらしかった。

 会社から帰るときに降ってくる人間の数は、行きよりもずっと多かった。

「にいちゃんにいちゃん、そんな道のはじっこ歩いてたら危ないで」

 僕は年配の女性に注意された。僕の目の前に中年の男性が降ってきた。地面の上をポヨンポヨンと跳ねた。

 なるほど、これは危ないと思い、僕はなるべく車道寄りを歩くことにした。人を撥ねることにネガティブになっているドライバーはとても慎重な運転をしていたので車道寄りには危険がまったくなかった。

 駅で僕は三好さんと会った。三好さんは僕と同期入社で研修の時に親しくなった。はきはきとしたよく毒を吐く女性なのだが今日は妙にしおらしい。少し話していると三好さんが僕の腕をとって「セックスは全然したくないのだけど、すごくさみしいから抱きしめてほしい気分なの」と言った。僕は彼女を抱きしめた。「ありがとう」少しの間、三好さんは僕の胸の中に顔を埋めていた。柑橘類の香水の、控えめないい匂いがした。僕と三好さんは人が降る中を僕のマンションまで帰って、途中でビールを買った。部屋で飲み、それからさみしさを紛らわすためにセックスをした。

 僕はネガティブな世界も結構悪くないんじゃないだろうかと思った。

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ネガティブな話 月島真昼 @thukisimamahiru

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