第35話 私は甘やかされる
短く刈られ、手入れの行き届いた芝生を踏み歩く。空を見上げれば秋晴れという表現がぴったりで、夏より薄い青に小さな白い雲が浮かび流れている。頬を撫でる風に少しだけ冬の気配を感じるが、体を冷やすほどではない。この国の秋は来たと思ったら、一瞬で過ぎていく。
ここはそういった気候だったなと思い出しながら、2つの花束を抱え墓標の前に立った。
「お父さん、お母さん、久しぶり」
私は王都にある両親のお墓を訪ねていた。
両親が眠るこの墓地は殉職した人とその家族が入れる、特別な墓地だ。きちんと墓守の人がいて、常に綺麗なところで眠ることができるように配慮されている。
私は落ち葉ひとつ乗っていない墓石に花束を乗せた。
父には定番の白百合を、母には好きだったピンクの花……今の季節を考えて
「会いに来るのに3年かかっちゃったわ。待たせてごめんね。本当にごめんね」
私は膝をついて胸元で両手を組んで、祈りを捧げるように両親に謝る。遠出の準備をしている間に父の命日は過ぎていたけれど、今日の母の命日には間に合わせることができた。
それもこれも、にゃんこ亭の皆が協力してくれたから。
「今ね私、レーベンスという街に住んでいるの。定食屋で働いていてね、みんな良い人たちなのよ」
王都とレーベンスは馬車で一週間ほどかかり、滞在や往復を考えると最低二週間はレーベンスを離れることになる。
私が両親の墓参りに行くことは、忙しいにゃんこ亭に迷惑をかけることに繋がる。シェルトが抜けたときのように代理人を用意できる当てもなく、墓参りに行くためには我が儘をお願いすることしか出来なかった。
けれども皆は二つ返事で笑顔で送り出してくれて、感謝しきれない。
「ずっとお父さんとお母さんに会いに来るのが怖かったの。どこか信じたくなくて、受け入れてしまうと寂しさでどうにかなりそうで……でもね今はもうあの時ほど寂しくないのよ」
私の寂しさを理解して優しくしてくれたにゃんこ亭家族。私を守ってくれる可愛いリコリス。
そしておうちでもお店でもいつも側に寄り添ってくれる人がいる。
「お父さん、怒らないでね。お母さんなら味方してくれるわよね? シェルトっていう大好きな人と一緒に暮らしているの。お父さんみたいに過保護で、お母さんみたいに料理が上手な人なんだよ。とても私を大切にしてくれているの」
はじめはシェルトの強引に泊まり続けようとする姿勢に困惑していた。
でも不思議と嫌ではなかった。
孤独を感じる暇もなく弾む会話は楽しくて、誰かが待つ家という意識が知らぬうちに寂しさを忘れさせてくれていた。無理矢理追い出さなくて良かったと心の底から思う。
「私もふたりみたいに仲良くできるかな? 見守っててね」
私は墓石を見上げて両親の名前を指でなぞった。
「アメリー」
「……伯父さん!」
声をかけられ振り向くと、父方の伯父さん夫婦が立っていた。寡黙だけどいつもにこやかな奥さんの手にはピンクの花束が抱えられ、お母さんの墓参りに来てくれたことが一目で分かった。
「やっと向き合えたんだね」
「はい。ご心配お掛けしました。家の管理もお墓のお祈りも投げ出してしまって、その節は大変お世話になりました」
「大切な弟家族の事だ。私は少しでも頼られて良かったよ」
「そんな。伯父さんたちには頭が上がりません。本当に、本当にありがとうございます」
深く腰を折って頭を下げた。手紙で相談する前に王都行きは決めたから、約束無しに会えるとは思ってもいなかった。
一緒に住んで新しく家族にならないかと言ってくれた事もあった。私が王都を離れるときに遺品の整理も出来ないまま家を譲渡しても、文句ひとつ言わずに管理してくれた。今はこの夫婦が実家に住んでいる。
人が住まないと家は朽ちるのが早いから、本当に助かっている。偶然だったが、直接伝えられて良かった。
「アメリー、宿はどうした? うちに泊まるかい?」
「私たちに遠慮はいらないわよ?」
花を添え終わった伯父さんと伯母さんに聞かれるが、首を横にした。
「もう宿を取ってしまってますから」
「そうか残念だ。君の部屋はきちんと残していたんだけどね」
「え……?」
「今は僕たちが住んではいるが、君の実家だ。当たり前だろう? 弟夫婦の大切そうな遺品もアメリーの部屋に保管してあるよ。見に来るかい?」
「良いんですか? お邪魔しても?」
「何言っているんだ。君の家なんだから連絡せずに入っても良いんだ。鍵も変えてないよ」
「アメリー、お茶も飲んでいってね。一緒に温まりましょう?」
「伯母さんもありがとうございます……っ」
そうして私は3年ぶりに実家に足を踏み入れた。
その瞬間、家族3人での暮らしの記憶が甦る。最後の記憶は寂しさと冷たさで溢れていたのに、今の私は懐かしさで顔が緩んだ。
配置は変わっているが家具はそのまま大切に使われていて、私が小さい頃に書いてしまった落書きも残っていた。それを撫でていると伯母さんが隣に立つ。
「アメリーの部屋の場所は変わらないわ。その部屋に遺品を入れたから狭くなってるけど許してね。お茶の準備をするから、先に見てきても良いわよ」
「はい。そうします」
伯母さんの言うとおり一番奥にある私の部屋は物がいっぱいだった。
しかしきちんと整理整頓され、埃も被っていない。掃除をしてくれているであろう伯母さんに感謝しながら、私は家族写真を数枚選んで鞄に入れた。
そのあとは二時間ほどお茶を飲みながらレーベンスでの生活を話したり、時折両親の思い出を語ったりした。昼御飯や夕御飯も誘われたが、私には使命があったので丁寧にお断りして、今度来たときには必ずと約束して実家を出た。
そう使命とはお土産! リコリスを除くにゃんこ亭家族とシェルトは一度も王都に来たことがないらしいのだ。
そしてひっそり憧れているのも知っている。だから今までのことや今回の事も含めて、感謝の気持ちを込めて少しでも王都を感じられるような物を買いたいのだ。
リコリスにはリクエストされたお店のお菓子を買う予定。
感謝の気持ちと言えば、レーベンスに帰ったら伯父さん伯母さんにレーベンス名物を送ってあげよう。
そう思いながら街を練り歩き、にゃんこ亭メンバーにお土産を買っていく。
「アーちゃん!?」
リコリス用の可愛いクッキーを選んでいると、聞き覚えのある声に呼ばれてハッと頭をあげる。
「シーちゃん……リンリンも……」
そこには王都で仲良くしていた友達シーラとエリンだった。ふたりは私だと確信した瞬間に駆け寄ってきて、抱き締めた。
「心配してたんだからね! 引っ越しましたって事後報告だったし、挨拶もできなくて寂しかったんだからね。メイとかレイリとか他の人だって……」
「シーちゃん、ごめん」
「そうよ! でも私たちもごめん。アーちゃんの大丈夫って言葉を鵜呑みにして、本当の辛さに気付けなくて。ごめん……ぐず」
「リンリン……うぅ、私もごめぇーん」
「「わぁぁぁん」」
久々に友達に会えた感動と、友達に悲しい思いをさせてしまった後悔と、それでもふたりから感じる友情に涙を我慢することは出来なかった。
当時は見えなかっただけで、私ははじめから孤独ではなかったのだ。
突然女の子3人が泣き出したため注目を集めてしまっていた。冷静になった頃には恥ずかしさのあまり、3人でその場を逃げた。
凸凹の少ない石畳を蹴り、まるで子供みたいだねと笑いながら走った。
夕飯を一緒に食べて、彼女たちの門限ギリギリまで飲んで、王都は寂しい場所からすっかり楽しい場所へと塗り変わったのだった。
「お、重い…………」
たった二泊三日の王都滞在を満喫し、予定していた通り17日ぶりにレーベンスに帰還した。
中央広場で馬車から降ろしてもらい、大荷物を引きずるようにして家を目指している途中だ。
にゃんこ亭の定休日だけれど、馬車の到着時間までは分からないので迎えは頼まなかった。
だというのに私はお土産を買いすぎてしまったのだ。
シーちゃんとリンリンがあれもこれもと王都での新作や流行物を紹介するからよ! チョイスが私の好みドストライクなのよ! と八つ当たりをエネルギーにして歩いていた。
たった半月ほどで王都より北に位置するレーベンスの街路樹の葉は落ち始め、風が吹けば身を震わすほど涼しくなっている。
温かいものが食べたいなぁと思いながら、家の扉の前に立った。玄関のすりガラスからは温かさが伝わるようなオレンジ色の明かりが溢れている。
「帰ったわよー」
鍵を開けてお留守番していた同居人に声をかける。するとドタドタと足音を鳴らして大型犬が突進してきた。
「アメリーおかえり! あぁ、アメリーだ! 本物だ」
「大袈裟ね。ただいまシェルト。お留守番ありがとう」
シェルトは私をぎゅーぎゅーと抱き締め、つむじに頬擦りする。
付き合うようになってから、シェルトはこうやって甘えてくれるようになった。部屋の空気が私の冷たくなった頬や手先を温め、シェルトの存在が心を温める。
「王都は楽しめましたか?」
「うん。きちんと両親に挨拶もできて、実家にも行ったの。友達ともご飯を食べれて、とっても楽しかったわ。そうだ! お土産も買ってきたのよ」
私はシェルトのお土産はどれだったかなと、彼の腕から抜けて床に置いていた袋に目を向ける。
「あのねシェルトに似合いそうなエプロンと」
「それより、アメリー……」
「なぁに?」
「夕食にしますか? お風呂にしますか? それともお――ぶふっ」
「言わせないわよ! って……シェルトごめーん!」
反射で手にしていた紙袋をシェルトの顔に叩きつけてしまっていた。
紙袋の中身は落ちることなく見事に彼が受け止めたが、片手で鼻を押さえていた。
もう彼氏なんだから『俺』でも良いはずなのに……いえ、狼の降臨を意味するのなら駄目ね。
「痛かった? 見るから手をよけて」
私は傷が出来てないかシェルトの顔を覗きこんだ瞬間、鼻を押さえていたシェルト手が私の頭を引き寄せた。
「――んっ」
私の唇にシェルトの唇が重なった。彼の高い体温が伝わり、全身が一気に熱くなる。
付き合って間もなく王都に出掛けていたから、まだ免疫が少ない私は実のところキスを受け入れるだけで精一杯だ。
だというのに彼は余裕の微笑みを浮かべているのがズルい。
「温まったようですね。続きはまた後で」
「う……うるさいわね! とにかくご飯が先よ」
余裕のない赤い顔を見られるのが恥ずかしくて、シェルトの背中を押して台所に向かわせる。
笑いを押し殺しているのか、手から彼の肩が震えているのが伝わってくる。ついでに八つ当たりでペシペシと強めに肩も叩いた。
「もう笑いすぎ」
「だってアメリーが可愛くて」
「もうっ! それに叩いてるのに怒らないのね」
「だってアメリーから触れてくれているのに、怒るなんてできません」
「……失礼だけど、頭大丈夫?」
「これはアメリー欠乏症です。アメリーを補給しないと治りませんね。さっきのじゃ足りませんよ」
振り向いた彼の瞳の奥が底光りしていた。眼差しを受けて私の心臓がドクンと大きく脈を打つ。この瞳に射抜かれては逃げられないのを知っている。
「明日のことを考えてよね?」
これが唯一私がとれるささやかな抵抗だ。
「わかってます。さぁご飯にしましょう♪」
彼は心得たとばかりに、鼻唄を奏でながらオーブンから焼きたてパンを出し始めた。すでにテーブルには卵のサラダ、ピクルスが並べられ、コンロには煮込みハンバーグとデザートのココットスフレが順番待ちをしている。
彼が私の帰宅を心待にしていた事がわかるような夕食に、彼からの愛を感じる。不器用な私が彼にしてあげられることはたくさんは無い。だから少しなら噛まれるくらい……いえ、いくらでも噛まれてやろうと思った。
まぁ、それを食後に口にしたことをすぐに後悔することとなったのだが、割愛させてもらうわ。
「アメリーお待たせ」
「わぁ美味しそう。どれから食べよう」
「お好きなのからどうぞ召し上がれ」
「うん、いただきまーす」
私はたくさんの料理を前に目を輝かせた。煮込みハンバーグの人参が星型やハート型になっていたり、冷蔵庫から出てきた魚のマリネがバラ型だったり、いつもよりひと手間かけられていた。パクっと口に入れれば美味しさで頬が緩む。それをシェルトは嬉しそうに見つめてきた。
きっと私はこうやってずっと忠犬の皮を被った狼に甘やかされ続けられるのだろう。
ご主人様は忠犬の皮を被った狼に甘やかされる 長月おと @nagatsukioto
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