かわいそうという言葉は凶器~親はなくとも子は育つ、他人は余計なこと言うな~
公社
第1話
「また随分とすげー物作ってきたな」
俺が持ってきた紙袋から弁当を取り出すと、親友の祐樹が半分呆れたように俺を見る。紙袋の中からは小さいながらも二段重ねのお重、中身はデパートで買いましたと言っても疑われない(と俺は自負する)豪華お弁当。
今は運動会のお昼休み、校庭のあちこちでそれぞれの家庭が持参したお弁当で昼食をとっている。
「桐山君すごーい。全部自分で作ったの?」
「下準備から計3日の大作です」
「ねぇ、おかず交換してくれない?」
「いいよ、どれがいい?」
学級委員の加奈が声をかけてきたのを手始めに、クラス中でおかず交換大会になり、みんなで仲良く食べている中「ちょっと、アナタそのお弁当は何ですか!」と叫ぶ女性の声。
何事かと後ろを振り返ると、いかにも教育ママって感じの人。確かこの人PTA会長をやってるお母さんだったな。
その人は俺の前に仁王立ちすると「アナタ、そのお弁当は何?」と諭すような言い方をしてきた。ただ、叱る獲物を見つけたみたいな感じで、鼻息がフンスフンスと聞こえてきそうである。
「何と言われても僕のお弁当が何か?」
「あまり手の込んだお弁当は持ってきちゃダメって先生に言われたでしょ」
「それはお弁当を作るのが大変なお母さんもいるからという理由だと先生に確認しましたが」
「そうよ、だからあなたのお弁当みたいに豪華なものを持ってきたら、そういうのを持ってこれない子がかわいそうだと思わない」
俺はこの「かわいそう」と言う言葉にため息をつく。
確かに共働きや片親で、お弁当を作るのが大変な家もあるだろう。だがそれはそれぞれの事情があるわけで、赤の他人が詳しい事情も知らず簡単に「かわいそう」などという陳腐な言葉で片づけられていいものではない。
「だったら自分で作ればいいと思いませんか?」
「は?」
「お母さんがお弁当を作ってくれないなら自分で作ればいいじゃない」
「マリー・アントワネットか(ね)」
かぶせ気味に突っ込む祐樹と加奈。馬鹿にされていると感じたのかワナワナ震えてる教育ママ。
「アンタたちふざけてんの!」
「ふざけてませんよ、だってこれ僕が自分で作ったんだもん」
「嘘おっしゃい! そんなお弁当子供が作れるわけないじゃない」
俺はワナワナ震えている教育ママの姿を見て、「ハナから疑ってかかり、子供の無限の可能性を否定するとは教育ママの風上にも置けぬのう」なんて暢気なことを考えていると、祐樹が「嘘じゃないよ。コイツ料理滅茶苦茶上手いんだから。みんなも知ってるよな」と助け舟を出してくれて、クラスのみんなも「本当だよ」「哲哉君のごはん美味しいんだから」などと援護射撃してくれた。
「もしアナタが作ったとしても、アナタはお弁当だけ作ったんでしょ。お母さん達は他にもいっぱいやることがあるの。他のこともやりながらお弁当作るのが大変なのが分らないの!」
「掃除も洗濯も買い物も家のことは全部やってますけど?」
「は?」
「ウチ、じいちゃんと二人暮らしで親いないんで」
俺が家事を全部やっていることを言うと、教育ママは「は?」みたいな表情から「えっ…」みたいな表情に変わる。
この話をすると大抵の人は「聞いてはいけないことを聞いてしまった」と今の教育ママみたいな気まずい表情になる。普段こちらから抜くことの無い、俺の伝家の宝刀だ。
「6年1組桐山哲哉です。『お弁当を作ってもらえないかわいそうな子供』と話題に上がった桐山です。お弁当を作るのが大変なお母さんもいるからという理由らしいので、自分で作れば問題ないですよね」
「あっ…」
俺が名前を言うと、教育ママがはっと何か気づいたような顔をする。多分「こんなかわいそうな子がいる」って噂だけで、それがどの子かは知らなかったんだろう。
「PTAの会議で話に出たんですよね。『お弁当を作ってもらえないかわいそうな子供が差別される』からなんですよね」
「別にアナタに限ってのことを言ったわけじゃないわ」
「嘘ですね。お父さんもお母さんもいない子がいるって発言がありましたよね。今この学校で両親ともいないのは僕だけです。その発言は他の役員のお母さんに聞いて確認済みです。そのお母さんも確実にこれは僕のことを指していると思ったそうですよ」
そう、俺には両親がいない。
母親とは離婚以来会ってないし、父親は俺を実家に預けたまま俺が小2の時に失踪、二親とも生きているはずなのに親無しで、今はじいちゃんと二人暮らしだ。
じいちゃんは生活のために昔の伝手で再就職。家事全般は基本的に俺がやることになった。
幸い生前のばあちゃんから家事の基礎は教わったけど、大人がやっても大変なことを、小学生がやるんだから当然キツい。昼休みにスーパーのチラシをチェックする小学生とか我ながら異常だと思う。
それをからかってくる奴もいたし、憐れみの視線を送る奴もたくさんいたが、祐樹や加奈みたいに家族ぐるみでサポートしてくれる人もいたから今まで何とかやってこれた。
だが、世の中の大半の大人は最初に「大変ね」とか「かわいそうにね」と言ってくる。言うだけで何かをしてくれるわけではない。
そんな大人には嫌悪感しかない。
親に愛されることもなく、恵まれない環境で暮らす子供とでも思っているのだろう。
大人達と接する機会が多く、自然と難しい言葉や言い回しを覚えたことや、短時間で色々なことをやる必要があって、合理的な考え方をして、子供らしくないと思われていることも一因だろう。
「別に僕は親がいないことを、かわいそうだと思ったことはありません。自分が代わりにやればいいだけなんで」
子供相手にまさかの理詰めで責められている屈辱からか、教育ママはさらにワナワナ震えている。
「うるさいわね、子供のくせに生意気ね! 親のいない子供なんてかわいそうに決まってるじゃない、それが分からないの!」
「分かりませんよ。元からいないような存在を悲しむ必要ありますか?」
他の家族も大勢いる中で繰り広げられる子供と大人の言い合いに、周囲は何事かと様子を窺っているが、話がある程度耳に入った大人は「ああ、あの話ね」と得心する人や、「コイツが訳の分からん規制をかけた奴か」にみたいな目で見る人など反応は色々だ。
「僕は他の子がどんなお弁当を持ってきたって何とも思いませんけど、なんで僕の家のことが話題に上がるんですかね? かわいそうとか言われるのすごい腹立つんですけど」
「それは…だって親御さんのいない子は出来ないことだって多いでしょう。それはかわいそうでしょ。そのことで差別されるのはかわいそうでしょ」
「逆ですね。親がいないからこそ、他の子が出来ないことが出来る子もいます。確かに大変かと言われれば否定はできませんが、自分がやらなきゃ誰も代わりがいないんですからね。自分がかわいそうなんて思ったことも無いのに、何も知らない赤の他人に、かわいそうかわいそうって言われ続ける方がよっぽど惨めですよ」
本当に気遣ってくれる人は、かわいそうという言葉を言ってくることはない。助けてくれる人に共通するのは、気遣っていることを言葉ではなく行動で示してくれる。
逆に上辺だけの心配をしてくるのは、遠い親戚のおばさんとか、学校の同級生ってだけで、大して仲良くもない子の親とか、見ず知らずではないが、こっちの事情をあまり知らないだろうなといった位の繋がりしかない人たちがほとんどだ。
親のいる家庭と比べて、俺をかわいそうな境遇だと思うのは勝手だが、自分はかわいそうだとは思っていないので、言われても心が悲しくなるだけで何の得にもならない。一回一回は些細なものだが、長年言われ続けると、疲れているときや心が弱っているときに「俺って何なの?」とその言葉が心にグサリと刺さる。
考えてほしい。俺が「自分はかわいそうな子供だ」と泣いていたって、ご飯は炊けないのだ。誰もやってくれないんだから自分でやる。そんな自分にとって当たり前のことを「かわいそう」と言われることの辛さ、それも一回二回ではなく年単位で言われ続ける辛さを。
分かるだろうか。かわいそうという言葉は時に凶器になり得るのだということを。
「昔のドラマで『同情するなら金をくれ!』ってありましたよね? 僕はその言葉がよく分かるんですよ。さすがに金くれとはいえませんが、かわいそうなんて同情されても僕の生活が何か変わるんですか? 僕のことを親無しの最底辺の子供と思っていただくのは構いませんが、同情をお買い上げされても僕には何の利益もないんですよ」
「だから…PTAでもそういう子供たちのためにって…」
「じゃあそのせいで悲しい気持ちになった子供はどうするんですか?」
「えっ?」
「手の込んだお弁当は持ってこないようにって決めて、お母さんの作った手の込んだお弁当が食べられなかった子の気持ちはどうなるんですか?僕のこともそうですが、子供たちがどう考え、どう思っているか分かったうえで決めたんですか?」
そう言うと教育ママは俯いたまま言葉を発しない。
「風間さん、もうやめましょう。私もあの場で言えば良かったんだけど、やっぱりおかしいわよ」
「東山さん…」
声をかけたのは加奈のお母さん。この人はウチのクラスのPTA役員で、俺が会議中の話を聞いたのもこの人だ。
「哲哉君はね、いろんなお母さんや先生方にお掃除の仕方とか、洗濯の仕方とか教わってここまで成長したの。私が作り方を教えたハンバーグを初めて自分一人で作った時に、おじいちゃんが美味しいって言ってたって、嬉しそうに教えてくれたのよ。ねぇ風間さん、自分のために一生懸命働いてくれているおじいちゃんに、美味しいご飯を食べさせてあげたいって頑張る子を、かわいそうなんて言葉で片づけるのは本当に正しいことなのかしら」
「……」
その後、加奈母の取りなしもあって、教育ママが涙交じりの声で謝ってきた。
その涙が満座の中で辱めを受けたものによるのか、未だに俺の境遇を憐れんでいるためかは分からないが、さすがにこんな大勢の人の前で騒ぎを起こしたことに、ちょっとだけ罪悪感を感じたので、俺も言いすぎましたと頭を下げ、この話は終わった。
◆
あれからすぐに弁当に関する規制は撤廃され、常識の範囲でという、よくある曖昧な線引きをすることになった。PTAの会議でも極力子供の気持ちをよく考えてという方向で、議事が進むようになったそうだ。
そして俺はまたいつもの日常が戻って…こなかった。
「よう、悪の元凶」
「今日も苦情が山のように来た」
「かわいそうに」
「そのかわいそうは俺も同感。苦情は自分の親に言えってんだ」
あの騒動で、結構な数の家庭に俺の普段の生活が知れ渡ることになり、「桐山君は一人で全部やっているのに、アナタは何にもやらない!」とおかんむりのオカンが大量発生。家の手伝いという名の強制労働に駆り出されたメンツから、「お前のせいで!」という、とばっちりの苦情が相次いでいる。
我が6年1組でも女子ーズから「責任取ってね」と、聞く人によっては誤解を招きかねないフレーズで責められた結果、週1で料理教室を開くことになった。今日はその準備のため、放課後に加奈と買い出しだ。
「哲哉君、今日は何教えてくれるの」
「今日は豚ロースが安いから生姜焼きだな」
「あーあ、私が作らなくても哲哉君が専業主夫になってくれれば全部解決するのにな。どういいアイデアじゃない?」
「却下。俺にメリットがない」
「即答過ぎない!」
そして俺は今日もチラシ片手にスーパーへ行く。
かわいそうという言葉は凶器~親はなくとも子は育つ、他人は余計なこと言うな~ 公社 @kousya-2007
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