ライティング エイプ

生田 内視郎

ライティング エイプ

「よく来たな まぁ座れ」

 いかにもな古い喫茶店の一番端っこの窓際の席、そこに座った男の、静かで抑揚の無い低い声が私を呼び止めた。


「あの、猿田モンキー……さんですよね、カクヨム作家の」

 私は、おずおずと向かいの席に座り尋ねた。

「いかにも、俺がかの有名なカクヨムPV50万超え作品『猿でも分かるシェイクスピア』の著者、猿田モンキーだ」

 男はそういうと、コートの前ポケットから煙草を一本取り出した。


「すいません、今は喫煙法で喫煙室以外での煙草は……」

 私がそう言うと、男は両手を倒して肩をすくめ、

煙草を胸ポケットに戻した。


「それで、その、本当何ですか、猿田先生がまさか、オラウータン、だなんて」


 私はハンチング帽に隠れた彼の顔をチラリと覗いた。


「君には、俺がオラウータンではなく人間に見えるのかい」


「……いえ、オラウータン以外の何者にも見えないです」


 私が正直に答えると、男、いやオラウータンは嬉しそうにニヤリと笑い、器用に手を使ってカップを持ち上げ、目の前の珈琲を一口啜った。


 マスターがン゛ン゛ッと咳払いするので、私も慌てて彼と同じものを注文する。


 それにしても、本当に間違いないのか。


 事前にメールで話は聞いていたので、いざ目の前にしてもそこまで動揺はしなかったが、まさか本当に猿が現れるなんて……しかも喋ってる、流暢な日本語で。


 目の前に珈琲が運ばれてきた。

 ほろ苦く、酸味のある豊かな香りが、この非現実的な状況で混乱している私の意識を遠い異国の地に連れ去ろうとするのをかぶりを振って制止する。


 というか、マスターはなんでオラウータンがお店で珈琲飲んでるのに何の反応もないのだ、明らかにおかしくないか?常連なのか?


 私は、失礼だと思いながらも彼の頭の上空をさすってみる。


「おいおい」

「はっ、す、すいませんつい」


「ま、良いけどよ。会うやつ会うやつ、皆それ最初にやるからな。残念ながら、俺の体に糸なんてついちゃいねぇよ。

勿論、電池も歯車もついてねえ」


 彼はそういうと、オラウータン独特の歯茎もろだしの笑顔を作ってみせた。


「し、失礼しました。そ、その〜ちなみに、

中に誰か入っていたりとは」


 オラウータンは突如立ち上がり、カカカカカカッ

と叫びながら両手をパンパンと叩き始めた。

 ヤバい!怒らせてしまった⁉︎


「おもしれぇな嬢ちゃん、流石に目を付けただけのことはある」


 とんでもない無礼をかましてしまったのかと思い心臓が弾けそうになったが、どうやら怒ってはいないようだ。


「そ、それであの、どうして大作家の猿田モンキー先生が、たかが一介のカクヨムユーザーの私に……」


 つい先日、Twitterで一方的にフォローしていた猿田先生からDMが来た時は驚いた。

「会って話がしたい」と言われた時はそれ以上に驚いたし、まさか出逢い目的では無いかとも疑った。


 だってそうだろう、私はカクヨムで二、三本短編を載せただけの小説家ともいえないその辺の石っころだ。それが、大先生に声をかけられるなんて、ヤリモク以外の何の目的があり得るだろうか?


 だが、先生は私の考えなどお見通しとでも言うように、「自分はオラウータンだから安心して欲しい」との返信をよこしてきた。


 オラウータン!!私は思わず吹き出し、この一文に惹かれノコノコと待ち合わせ場所まで足を運んでしまって、今現在ここにいるのであった。


 まぁ結果、その通りだった訳だけれども


「何、たいした用じゃないんだが、一つ気になったことがあってね。

お前さん、もう小説は書かないのかい?」


 ゔっ、と声を詰まらせた。


 私は元々読み専で、幼い頃から頭の中で妄想を膨らませる事はあっても、小説どころかまともな文章を書いたことすらなかった。


 それが偶々、SNSでカクヨムの存在を知り、ユーザーの書く埋もれた作品を見るのが楽しくて、調子に乗って自分も、なんて幼い頃考えてた妄想をぶちまけた。


 だけど、そんな私の作品は誰の目にも止まる事なく、あれだけ意気込んでた気持ちは、三作目を書き終えた所で途端に萎えてしまった。

 それからずっと、自分の作品は書いていない。


「勿体ねぇなぁ、俺、あんたの作品好きだったんだぜ。荒々しくて、文法も滅茶苦茶だけど、なんか味があって」

 先生は、私の目を真っ直ぐ見て、そう言ってくれた。

 それだけで、私は目の奥から熱い思いが溢れそうになった。

 あの猿田モンキー大先生が、自分の作品を見てくれただけじゃなく、こんなに嬉しい事を言ってもらえるなんて。


「ありがとうございます。その言葉だけで、私も書いた甲斐がありました。でも……」


 これ以上、惨めな思いはしたくない。

 私が大事に育ててきたこの妄想を、これ以上晒して傷付く位なら、私は、もう


「お前さん、俺が何に見える?」

 先生の言っている意味が分からず、頭に?が浮かぶ。


「えと、……オラウータン?」

「そうオラウータンだ。お前さん、

『無限の猿定理』って知ってるか?」

「えと、猿の前にタイプライターを置いて、ランダムに鍵盤を打ち続ければ、いつかシェイクスピアの作品を打ちだす、ていう、無限を扱った哲学でしたっけ?」


「実はな、その猿っていうの俺のことなんだ」

先生は、再び歯茎全開で笑ってみせる。


 私は意味が分からず、「は?」ということしかできない。


「つまりな、俺が言いたいのは、どんな困難で不可能だと思っても、挑戦し続けりゃいつか花咲くこともあるってことさ」


 そ、そんなこと突然言われても……。

 第一『無限の猿定理』って、無限を扱うことへの危険性について説いた哲学じゃなかったか?


「その無限を超越した存在が、今お前さんの目の前にいるじゃないか。大丈夫、猿が小説を書く奇跡に比べりゃ、人間のアンタが大ヒット作家になる方が、よっぽど確率が高いだろうぜ」


 それはそうだろうけど、


「なぁ、書いてみなよ。書けばたとえ僅かでも可能性はあるが、書かなきゃゼロだ。

それに、俺はアンタの小説、一等楽しみにしてるんだぜ」


 そうだ、少なくとも先生は私の小説を読んで、続きを楽しみにしてくれてる。

 読者が一人いて、喜んでくれれば、本来ならもうそれで充分じゃないか。

 ならば、これ以上何をウダウダと迷うことがあるのか。


「先生、私書きます!先生にもっと楽しんでもらえるよう、全力を尽くします!」

 私は伝票を持って勢いよく立ち上がった。

 今は少しでも早くPCの前に座って続きを書きたい。


「おう、その意気だ。頑張れよ嬢ちゃん」

 私はレジに千円札を置いて、勢いよく喫茶店の扉を開いた。────



────ピピピピピピピピピピピピピピッ

 バチンッ!

 猿がシンバルを叩く古いおもちゃを模した目覚まし時計を止めて、寝ぼけまなこで起き上がる。


夢だったのか

そりゃそうか

オラウータンが人語を介す訳ないもんなぁ


 ベッドに座り、欠伸の後に大きなため息をついた。

 いつものようにスマホをいじり日課のSNSをチェックするが、今日も目を引くような目新しいニュースはない。


 ふと、カクヨムのマイページを開いた。

 昔書いた自分の小説に、応援のハートマークが一つだけついていた。


「しゃーない、やるだけやってみますか」


 私は勢いよく立ち上がり、大きく伸びをした。


 待ってて下さい、猿田モンキー大先生。


 読んだ誰もがワクワクして貰える、そんな小説をきっと私は書きあげてみせる。

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