帰りたい子供の行動日記



 まさおくんは幼くして死んでしまいました。死因は多分交通事故です。というのもまさおくんの頭部の損壊が激しかったせいで、正確なところが彼にはわからないのです。いろんな記憶がぼんやりしているのです。わかることといえば、自分が家に帰ろうとしていたこと、その一点だけでした。

 まさおくんは家に帰りたいと願いながらひたすら町を彷徨い続けました。それはもう寂しいし心細かったです。(おそらく)小学一、二年生のまさおくんは、同じ小学生の登下校の列に紛れ込んだりしましたが、誰も気づくことがなくかえって寂しい気持ちが増してしまい、なおのこと自分の帰る家を探すのですが、九九の八の段を忘れてしまったかのようにさっぱり思い出せないのでした。

 帰りたい。

 まさおくんはブツブツとひたすらつぶやきました。

 そうすることで誰かが彼の問題を解決してくれる気がしたのです。

 初めのうちは薄っぺらな儚い希望でした。しかし、何日も何日もつぶやいていると、まるでそれが本当のことであるかのように、彼には思えてきたのです。

 ——帰りたいと言えば、誰かがぼくをうちに帰らせてくれる。そうだ、そうに決まってるんだ。

 そういう考えがまさおくんを支配してからさらに数ヶ月くらい経った後、ついに奇跡が起きました。

 まさおくんの声が聞こえる人が現れたのです。

 山本さん(仮名)はまさおくんがついに卒業できなかった、小学校の先生でした。子供のことが大好きでお仕事にまでしてしまった偉い人なのでした。彼女はまさおくんの声を聞いてキョロキョロした後、まさおくんの姿を見つけました。黄色い帽子をかぶり、ランドセルを背負ったまさおくんはまさに小学生そのものでしたから山本さんは声をかけました。

「どうしたのかな?」

「うちに帰れなくなっちゃった」

 そう言ってまさおくんは泣いてみせました。山本さんは気の毒そうな表情をしてまさおくんと手をつなぎました。

「住所は? 何か覚えていることある? お父さんとお母さんの名前は?」山本さんはそんな質問をしてきましたが、そんなことを覚えているのならまさおくんはとっくに帰れていたはずです。まさおくんは悲しそうな表情をして「……わかんない」と言いました。

「うーん、どうしようかしら」

「先生のうちは?」

「え」

 山本先生が声をあげました。まさおくんも自分が言ったことに驚いていました。でも、なんだかとてもしっくり来る考えでした。

「ぼく、先生のうちに帰りたい」

「え、ちょっとごめんね。無理よ。まずはご両親に連絡しないと」

 山本先生は目に見えて焦り始めました。

「ぼく、先生のうちに帰りたい!」

 まさおくんはちょっと語気を強めて言いました。

 山本先生は目を見開きました。でも、そのことにまさおくんはちっとも気づきませんでした。

「帰りたい! ぼく帰りたい!」

 山本先生は悲鳴をあげ、よろめきながら逃げてしまいました。困っているまさおくんを置いてです。

 まさおくんは怒りました。

 先生の頭をつかんでアスファルトに叩きつけてしまいました。全力投球です。すると首が垂直にアスファルトにめり込んで、先生はまるでケーキに突き刺さったろうそくみたいになってしまいました。ピンと姿勢正しく伸びた先生の体は小刻みに震えた後、背中側からゆっくり地面に倒れていきました。

 我に返ったまさおくんは困ってしまいました。

 山本(ろうそく)先生はもう動かないようなので、誰か他の人に道案内をしてもらわなきゃいけません。しかしまさおくんは山本先生以外には発見してもらえないのです。

 困りきったまさおくんは百七十時間ほど考え込み、答えを出しました。

 ——案内してもらうんじゃなくて勝手に着いていけばいいんだ!

 だいぶ上手い考えでした。

 何しろ、あんなに帰りたくて帰りたくてしょうがなかった我が家が50棟ほど見つかったのです。〈佐藤宅〉〈菊池宅〉〈鈴木宅〉その他もろもろが、帰宅途中のサラリーマンとかについていくだけで、まさおくんの前に現れてくれました。まさおくんもこれには大喜びでした。

 とはいえ立てる計画の大抵がそうであるように、まさおくんの計画にも問題が発生したのです。

 家に入れないのです。

 玄関扉を開けるサラリーマンの横をするっと抜けて家に入ろうとすると、途端にまさおくんの足が止まってしまうのです。

 帰れさえすればもはやどんな家でも構わないまさおくんでしたが、これには彼も壊れた頭を悩ませました。

 理由はまさおくんにもわかっていました。

 まさおくんの家じゃない家に入れないのは当然のこと。だって不法侵入はいけないことなのです。まさおくんもばっちりわかっています。

 ではどうするか?

 まさおくんはそれから三百時間ほど考え込み、答えを出しました。

 簡単なことだったのです。

 まずまさおくんは小学生くらいの子供を探しました。自分と同じちょっと太り気味の子だとなお良しです。そして適当な子(名札には佐々木望と書いてありました)が見つかるとまさおくんは、その子をバラバラに引き裂いて川に流してきてから、その子のふりをしました。これなら佐々木家の空いた席に座っているだけなので不法侵入とはなりません。まさおくんは堂々と「ただいまー」と言いました。

 大人というのは不思議なもので身長とか体型とかが似ているだけでまさおくんのことを自分の家の子だと勘違いしてしまうのでした。佐々木望くんのお父さんとお母さんは、望くんと入れ替わったまさおくんにちっとも気づかず「おかえりなさい」と返して、夕食の準備をします。まさおくんはつかの間の団欒を楽しみました。

「ただいまー」

 まさおくんが夕食の唐揚げを口に入れているときに誰かが帰ってきました。誰でしょう?

 ユニフォーム姿の男の子でした。まさおくんがバラバラにしてしまった佐々木望くんとそれとなく似ています。身長も望くんより高いのできっとお兄ちゃんなのでしょう。まさおくんはそう類推しました。

 お兄ちゃんは土に汚れた手を洗い、ユニフォームを洗濯かごに入れると席に着きました。すぐにガツガツと夕食にがっつき始めました。

 まさおくんがその様子をしばらく見ていると、ソースを取るためかお兄ちゃんはがっつくのをやめて、顔をあげました。

「あれお前……」

 と怪訝な顔をして言いました。

 何やらよからぬことを言いそうな雰囲気でした。

「お兄ちゃん」

 とまさおくんはからあげを飲み込みました。

 お兄ちゃんは目を細めて、まさおくんの体を上から下まで見ると、ぽつりと言いました。

「お前誰だよ……?」

 わああ!

 まさかバレてしまうとは思っていなかったまさおくんは驚いてしまいました。

 でもまだ諦めるのは早いので、まさおくんは言いました。

「ぼく望だよ」

「望って……お前……望に何をしたんだよ!」

 お兄ちゃんが怒鳴りました。怒鳴られるとも思っていなかったので、まさおくんはまたまた驚いてしまいました。あまりの剣幕にお父さんとお母さんも目を点にしています。お兄ちゃんは立ち上がるとまさおくんに詰め寄りました。しかしまさおくんも負けてはいません。にっこりとして言います。

「ぼく佐々木望です」

「ひっ」

 お兄ちゃんがまさおくんの顔を見て悲鳴をあげました。

「うっわああ!」

 急にお父さんとお母さんが椅子から転げ落ちました。まさおくんの顔を震えながら指差しています。

 まさおくんはもう一度言いました。

「ぼく佐々木望です」

 お兄ちゃんはすごい勢いであとずさり、壁に背中をつけ頭を抱えてしまいます。

 そんなお兄ちゃんにお父さんとお母さんはまるで誰かから守るように彼を抱きしめ、その誰かから少しでも遠ざかりたいかのように壁に体を強く押し付けました。

 まさおくんは彼らに目を向けました。すると背後にある窓ガラスにまさおくんの顔が映っていました。割れた頭蓋骨から覗いている脳みそ、クレーターみたいに凹んでいるおでこ、飛び出た目玉、折れ曲がった釘みたいな鼻、裂けたほっぺた、引き千切れた下顎——まさにまさおくんの顔でした。

「ぼく佐々木望です」

 まさおくんは喉の奥からそういう音を出しました。

 帰れる家を見つけたのだから手放すつもりはないのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホラーの穴 在都夢 @kakukakuze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ