第5話 恐怖
扉を開けたすぐにカビや埃や、ヘドロを想起させる臭いまで漂ってきた。
通路は荒れ果てていた。金目のものはあらかた盗まれた後だろう。天井が崩れていた。
気を抜けば天井から垂れたパイプに頭をぶつけかねない。天井の破片で躓きかねない。
「帰りましょうよ。怖いんです」
「いえ、確かめるまでは帰れません」
人の気配はしなかったため、その点においてのみ毅は安心し始めていた。
通路の汚され具合とは異なり、比較的に整った部屋を見てまわる。
「なぜ部屋はきれいなままなんでしょうか」
「金目のものがないからとかでしょうよ」
「なるほど、そうなのですか」
「探索はいい加減にして、俺が入った部屋に連れていってください」
「まぁそういわずに。ゆっくりしていきませんか」
田中は毅の腕をつかんで部屋をあとにし、また別の部屋を開けた。
「すみません、カメラを忘れたので取りに行っていいですか」
「スマホで撮ればいい」
「だから、スマホを取りに行くんです。待っててください」
「いやだ。俺をひとりにしないでくれ」
「これも昨日の再現ですよ。毅さんがひとりになったって言いませんでしたか」
田中は興奮ぎみで来た道を引き返していった。懐中電灯の灯りでは捕捉できなくなるのはすぐだった。電気がついていないので置き去りにするのは容易だろう。昨日、彼女は毅がひとりで行動したというのも疑わしいと感じた。
彼は不気味さに耐えかねて田中の車に戻ることにした。ここまで一本道だったので道中に出会うだろうと天井の破片がちらばる通路を歩き始めた。しかし入口に至るまで田中に会うことはなかった。それどころか、田中の車もなかった。
そして田中の連絡先すら聞いていなかった。
警察に電話しようかと考えつつ道路を歩き始めた。雨脚がひどくなりはじめ、今朝の霧雨どころではないずぶ濡れが、彼を一層惨めにした。
どこに自分が向かっているのかはグーグルマップによって分かるが、近くの駅まで徒歩で1時間40分という現実が彼の心を痛め付けた。
ますます増えていく雨量に対して、スマホの水没をおそれたがすでにズボンのポケットは洗濯機の中の衣類と変わらないくらい濡れていた。
ようやく彼に救いの手が現れたのは50分ほど後のことだった。
一台の車が彼に同情し拾った。濡れネズミと化した彼を親切に後部座席に招き入れたのだ。
「あともう少しで警察を呼ぶところでした」
「呼べば良かったんですよ。我々の税金は困った人のために払っている意味もあるんです」
「なんとなく、世話になるわけにはいかないと思ったんです」
「海上をヨットで遭難しかけた人ですら助けるんですから」
毅は運転手の男に何があったのかを話した。信用されるはずのない田中良子にまつわる箇所はふせたものの、己の馬鹿さを晒す恥よりも辛さを話したいことが先行した。
「恋人を怒らせちゃったんですかね」
「そうなんでしょうか」
人は理解しがたいものにもなにかの原因があると考えだすようだ。毅にも説明できないものなので、そのように理解してくれるならばありがたかった。
「そろそろ駅ですけれど、よければ家まで送りますよ」
「ありがとうございます。えっと……」
「そういや名乗ってませんでしたね。大城といいます」
「大城、さんですか」
「はい。大城雄一郎といいます」
毅が家についたとき、彼のベッドで田中良子がねころんでいた。
「大城さんは親切な方でしたか?」
「お前は、一体なんなんだ」
「お風呂の用意はできてますよ? 温まったら、見てきた恐怖を小説にしましょうか」
彼女が見せたい恐怖 古新野 ま~ち @obakabanashi
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