モンブランを貴方に

第2話 主人公:栗山ジュンイチロウ

 彼女のことが、好きだった。

 それだけは、本当に、ずっと思っていた。


 初めて会った時から、良い子だと、そういう風に思っていたのだが、今思えば一目惚れだったのかもしれない。優しげな目、ふわふわとした少し癖のある髪、少し色素の薄い瞳の色。彼女は、灰木カノンは、オレの理想の少女だった。


 しかし、それが今では疑問に思う。

 オレは本当に、カノンのことが好きなのだろうか?



 ムムは、カノンの為に、何年も何年も、犯人を探そうとしている。人生の残りの時間、ムムはきっとカノンの為に使うだろう。それが、ムムのカノンへの弔う方法だ。


 そして、松葉は、そんなムムの望みを叶えようと、医者になった。昔いた老人の医者を追い出し、江ノで、医者として実質的にトップになった。その気持ちをはぐらかすつもりなのか、医者になった動機について、松葉はあまり深く話そうとはしないが、オレには分かる。アイツは、そういう奴だ。



 かくいう、オレもなりたかった教師になった。数学教師だ。生意気な中学生達を相手に、毎日奮闘している。そんな忙しい日々の中、ふと、本当にふと、カノンのことを忘れてしまう時がある。


 彼女はどんな声をしていただろう。彼女はどんな風に笑っていただろう。それが疑問に変わってしまったとき、激しい虚無感に見舞われるのだ。オレは忘れてしまうほど、カノンのことを好きじゃなかったのかと。



 いつも思う。オレはムムのように、真っ直ぐでもないし、松葉のように努力することもできない。誰かを思い、そして気づけばそれすらも忘れてしまうのだ。ただ、多分、オレが一番普通の人に近いのではないかと思う。周りに変人ばかりがいるせいで、オレが変人に見えなくもないが。



 何故こんなことを考えたのかと言えば、きっかけがある。告白されたのだ。同じ中学教師の国語担当である海松先生に。


「栗山先生のこと、好きなんです。活発で、優しくて、それでいてどこか儚げな栗山先生が、好きなんです。……結婚を前提に、お付き合いさせていただけませんか?」


 俗に言う、逆プロポーズというわけだ。海松先生とは、他の先生と同様、不可なく職場仲間として一緒にいた手前、そんな風に彼女を見たことがなかった。故に、とても驚いた。


そして、その時に、ふと、カノンのことが頭をよぎったのだ。



 告白を保留にした後、急いで松葉の経営する医院に向かった。松葉はいつものように深く椅子に腰掛けていた。オレが来たことについて、何も興味を示さない松葉に対し、オレは今日会ったことを全て伝えた。


「……なんで俺にそんなことを相談する?」

「お前しかいないんだって」


 松葉にそう言うと、松葉は至極面倒臭そうに息を吐いた。「俺には関係ない」


「はぁ? ムム相手なら返事するくせに」

「……だからなんだ? そもそもアイツにプロポーズする奴なんていないだろ」

「……それでも、そんな奴が出てきたら潰すだろ?」

「……少なくともソイツが病気にでもなれば、最期、ソイツは助からないだろう。江ノで唯一の医者である俺がそう言うんだ」


 かわいそうに。オレがそう言うと、松葉は言った。「当たり前だろ」


「そんなに好きで、なんで告白しないんだよ」

「……ほっておけ。あの馬鹿が、それを理解するのを待ってるんだよ」

 なるほど。

「あの馬鹿は理解できそうか?」

「少なくとも今世じゃ無理そうだ」

「はっ! お前も大変だな」

「あーそうらしい。……面倒くさいよ、本当に」

 松葉はこれ以上何かを話そうとはしなかった。コイツも、片想い中という訳だ。しかも可哀想なことに、その恋が成就するのは来世以降らしい。側にいるオレがこれほど理解できる松葉の恋心は、ムムが気づくことはない。

 アイツは根本が馬鹿だからな。そうなるのも、当然なのだろう。


「……俺の話を聞いて、何か得たか?」

「いーや? 何も得られないね」

「だろうな。俺だってお前の立場なら、何も得られないだろう。……海松さん、のこと、どう思ってるんだ? 嫌な印象はないんだろう?」


 悪い印象、は確かにない。しかし、良い印象もないのだ。そもそも、今まで異性として認識したことはない。単に職場仲間。それだけなのだ。


「わっかんねぇよ。オレはどう思ってんのか……自分のことが一番分かんねぇ」

「……まぁ、悩んでいる時点で察するところだが」

「確かになぁ」


 オレは悩んでいるのだ。彼女に受けたその告白を、受けるかどうするか。そして、結論が出ない。それは、松葉も言うように、悩んでいる時点で、そんな気がなかったと言うことなのだ。オレは彼女のことなど見ていない。


「……お前が結婚したら、妹はなんて言うだろうな」

「めちゃくちゃ喜ぶに決まってんだろ」

「それはないな」

「なんでだよ」

「なんとなくだ」

「なんだそりゃ」


 松葉はふっと笑った。オレも釣られて笑う。結局のところ、何かを解決できた訳じゃない。いや、元から解決していたと、そう言った方がいいだろう。オレも、松葉も、報われないのだ。どこまでいったとしても。そしてそれが、来世であろうが。


「……わりぃ、帰るわ」

「そうか。それはそれは大層な長居だった」

「今度なんか手土産でも持参してやるよ」


 松葉はその言葉ににっこり笑った。


「最近できたケーキ屋、あるだろ? あそこのモンブランがいい」

「へいへい」

 何と面倒くさい等価交換になってしまったのだろう。そんな気持ちを伝えることなく、オレは松葉に手を挙げた。


 今度来た時に持ってきてやろうと素直に思ったからだ。昔から変わらぬ甘党仲間のコイツに。手土産に、告白を断った話を携えて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それは果たして誰が主人公であったか 中尾 @hanayomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ