幸福の定義

時間タビト

第1話

――貴方の幸福の定義は何ですか?――


 何処かの店のテレビから流れてきた、何かの番組の街頭インタビュー。

 何故か気になって、敦が耳を傾ける。

(幸福……)

 その言葉は、少し前までの自分には全く縁のない物だった。


『やっぱりお金かな』

『いやいや、世界平和でしょ』


 真面目に答えているのか巫山戯ているのか微妙なところだが、一応、どちらにも共感は出来る。共感は出来るが、敦の中では若干違和感がある。

(何かしっくりこないなぁ)

「そう?どちらも敦君が考えそうな答えだけど」

「うわっ」

 いきなり声を掛けられて、それが心を読んだような言葉で、心臓が飛び出てしまいそうな程に驚いた。

「だ、太宰さん、脅かさないでくださいよ」

 声を掛けてきたのは、探偵社の先輩である太宰治。

「脅かしたつもりはないんだけどね。それより、敦君もお金は好きなんじゃないの?」

「……」

(いつも思うけど、太宰さんって本当に心が読めるんじゃないのかな)

 そんな事を考えて、溜息をつく。

(ま、考えるだけ無駄か。太宰さんなら何でも有りな気がするし)

 太宰をよく知る者ならば、どんな不可思議な事でも――太宰だから――で納得してしまうだろう。

「お金は好きだし大事だけど、それだけが幸福かって言われると違うかなって思うんです」

 気を取り直して太宰の言葉に答える。

「それじゃ、世界平和は?敦君は沢山の人とこの街を守っているじゃないか」

「それ、世界からは随分と遠いと思いますけど?それに僕一人では守るなんて事は出来ません。この街を守りたいと思っている皆と何より太宰さんがいて初めて出来る事です。守り切る事が出来れば嬉しいし誇らしいですけど、世界は無理です。そこまで自惚れてないですよ」

 そう答えると、太宰が微笑する。

「太宰さんはどうなんです?」

「ん?」

「太宰さんの幸福の定義って何ですか?」

「私かい?……そうだね……」

 敦に訊ねられて、珍しく太宰が少し考え込む。

「私より先に誰も死なない事、かな」

「え?」

 予想外の言葉と真剣な表情に、敦は太宰を凝視する。

「……」

(それって……)

 敦の脳裏に、太宰が稀に訪れる墓地が浮かぶ。

(太宰さんが死にたがるのは、親しい人を失ったからなのかもしれない。もう、置いていかれたくないから)

「なんてね。どうだい、中々善いと思わないかい?」

(僕は……)

 先程とは一転して茶化す様な物言いに変わったが、敦の耳には入ってこなかった。

(僕には家族も友人も居なかったから、正直、悲しみは解らない。でも)

「おーい敦君」

(太宰さんを目の前で失ったら……)

 その瞬間を想像して、ゾクリと悪寒が走る。

「聞いてるかい?」

「太宰さん」

「あ、聞こえてたみたいだね」

 漸く返事をした敦に、今度は太宰が溜息をつく。

「僕の答えは……」

「ん?ああ幸福の定義の」

「僕の答えは、太宰さんが天寿を全うする事です」

「……え?」

 こちらも予想外の言葉に、敦を凝視する。

「太宰さんが自殺ではなく天寿を全うすれば、僕は幸福だと感じると思います」

「敦君……」

「だ・か・ら、太宰さんの自殺は全力で阻止しますからね」

 ニッコリ笑って宣言する。

「は?」

「という訳で、社に帰りますよ。仕事溜まってるんですから」

 太宰の腕をガシッと掴んで歩き出す。

「ちょ、ちょっと待って!まだ入水してな……」

「それを阻止する為に、今僕は此処に居るんです。此処に太宰さんが居るような気がして探しに来たんですから」

 ふと足を止めてしまったが、敦が川沿いの道を歩いていたのは太宰を探す為だった。

「今日は早めに見つかって助かりました」

 話しながらも、足は止めずに太宰を引っ張っていく。

「やれやれ、敦君は本当に私を見つけるのが上手いね」

 振りほどこうと思えば出来るのだが、太宰は大人しく引っ張られている。

「これも野生の勘と言うんですかね?虎だし」

「虎は異能でしょ。私に異能は効かないはずなんだけどなぁ……」

 ブツブツ言いながらも声はどこか楽し気で、敦の顔に笑みが浮かぶ。


(僕の幸福の定義は、太宰さんが天寿を全うする事)

 それは、本当にストンと敦の中に落ちてきた。

(でも、太宰さんを悲しませたくないから……)


「僕は絶対に、太宰さんより先に死にませんから」

「……そうだね。敦君なら殺しても死なないだろうし」

「そうですよ」

「しかし、人それぞれとは言え、生死が幸福の定義とは些か物騒だね」

「そうですか?僕達……いえ、探偵社の皆もポートマフィアの人達も、天寿を全う出来るというのは凄く幸せな事だと思いますよ」

「ま、確かにそうだね」

 敦の言葉を太宰も肯定する。


「という事で、今日は仕事ですからね」

「はいはい、仕方ないね」

 そう話しながら歩いていく二人は笑顔だった。


(僕が死ぬのは、太宰さんのほんの少し後)

 悲しむのは、太宰を失った刹那だけでいい。

(大切な人を失った一瞬後に自分も死ぬ。これが本当の僕の幸福の定義です)

 それは笑顔の下に隠した敦の願い。

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