王室典範第一条

真雁越冬

王室典範第一条

 王室典範

 第一条 王位は王家の血を引く男子がこれを継承する。


        *


 私、王家の分家・西公の家のジョセフィーヌは、王立貴族学園の卒業パーティで婚約者である王太子フレデリックからこう告げられた。

「キミとの婚約を破棄するっ」

 ただならぬ雰囲気を察して、居合わせた一同が静まりかえる。

「理由をお聞かせください」

 務めて冷静に尋ねた。殿下の正妃となって支えて後継者たる男子を産むのが九歳のあの時より定められた私の務めだ。それが国の安定の為と信ずればこそ、私はこの九年のあいだすべてを耐え忍んできたのだ。

「キミはボクのマリアを虐めて巫女として神殿に送ろうとしたじゃないかっ」

 彼の隣に一歩下がって王家のもうひとつの分家・東公の家のマリアが立っている。きゅっと口元を引き締めて、何かを耐えるように。でも可愛い。そうマリアは可愛い。小さな頃、つい弾みで結婚しようと言ってしまったほどに可愛い。私の同い年の幼馴染みで大親友だ。

「たしかに卒業後に巫女になるようマリアに勧めたのは私です」

 陛下に相談して裏工作もした。でもそれはしつこく言い寄る殿下からマリアを護って……殿下のお立場を護る為だったのですよ。

 天の女神の子孫たる王家は二つの定めを破れば女神の加護を失う。一つは典範が定めるとおり正しき王家の血を引く男子が王となること。もう一つは王家または分家の娘が純潔を貫いて巫女として神殿で女神に仕えること。ひとたび巫女として神殿に入れば、王だろうと王太子だろうと手を出せない。

 なのに殿下は先週マリアを騙して呼び出して無理矢理に純潔を奪った。全部知っている。他ならぬマリアから聞いた。怒りに震えたが、それでも殿下を支えるのが私の務めと思うから呑みこんで隠蔽の手配さえした。なのに、殿下はこう叫ぶ。

「キミは醜い嫉妬から愛し合うマリアとボクの仲を裂こうとしたっ」

 私は深く溜息をついた。頭が痛い。月の物のせいもあるけれど、もちろんそれだけではない。いつから殿下はこんなにも粗暴で言葉の通じぬ方になったのか。もちろん九年前の婚約の当初はこんなではなかった。神話の女神様も弟神の乱暴に手を焼いたというけれども……。

「私は殿下の婚約者ですよ」

「だから婚約は破棄だ。ボクはマリアと結婚するんだっ」

 マリアに聞いて、まさかと思ったけれども、殿下は本当に忘れてしまったのだろうか。大勢がいるこんな場で大きな声で話すわけにいかない。だから、歩みよって殿下の顔を見上げて、遠回しに尋ねた。

「殿下、憶えておいででしょうか」

「何をだ」

「私を娶るのでなければ、殿下の即位はありえません」

「そんなコトあるものか。ボクは王太子だぞっ」

 ああ、どうやら本当にわからなくなってしまったみたいだ。

「マリアでないと駄目なのですか」

「そうだっ」

「私ではいけませんか」

「そうだっ」

「どうしても、私を妃とはしていただけませんか」

「そうだっ」

「理由をお聞かせください」

「キミは醜い嫉妬から……」

「ではなくてっ」つい言い方がキツくなって、フレデリック殿下がびくりとした。「私では駄目な理由をお聞かせください」

「……キミは、ボクより勉強ができる」

「そうですか」

「……ボクよりスポーツもできる」

「そうですか」

「……ボクより人気がある」

「そうですか」

「……綺麗だけど、可愛げがない」

「そうですか」

「……キミだって、ボクを愛してないだろう」

「私なりに努力しているつもりなのですけれども」

「だから、そういうところだよっ」

「どうしても無理ですか」

「無理だっ」

 その時、入口の戸が開いた。国王陛下と王弟のオスカー様の入場に、一同は向きなおって揃って礼をする。陛下は良いから楽にせよと告げてから、一人息子のもとへ歩みよった。

「いくらか漏れ聞こえたが、直接に尋ねよう……フレデリック、言いたいことがあれば申してみよ」

「父上……ボクはジョセフィーヌとの婚約を破棄して、マリアを正妃に迎えますっ」

 陛下はやれやれと首を小さく振った。

「問い方を変えよう、フレデリック。ジョセフィーヌでは厭か?」

「はい。ボクはマ……」

「ではなくてっ」陛下の言い方がキツくなって、フレデリック殿下がびくりとした。「ジョセフィーヌを娶るのは何かどうなろうとも拒否するのかと聞いている」

「……はい、厭です」


 こうした陛下と殿下のやりとりのかたわら、王弟のオスカー様は私のもとへ来て、キミは良くやった、頑張ったよ、と小声で慰めてくださった。いつも親身になってくださるのは、この方と私が……状況も立場もまったく違ってはいるのだが、まあ何というか……同志だからだ。

 二十年以上前のこと、王国南部の蛮族のおさが一族を率いて乱をおこした。真正面から戦えば双方に多くの死者が出る。そこで女神の秘儀・神話マイスシン調クロを使っておさを暗殺することにした。

 遠い昔の神話の時代、ある王子が踊り子の娘に扮して王国南部の蛮族のおさに近付いて討ち果たした。この神話とシン調クロしたオスカー様は見事に当代のおさを始末したのだが……シン調クロのあいだ本当に小さな可愛い女の子に変わってしまって、しかも神話のとおりに刺し殺したおさから厭味のように「オマエを王国最高のおとこと呼んでやるぜ……がくっ」と言われて、それなりの傷を心に負った。さいわい任務を果たした時点で体はもとに戻ったが、南部の町々に立つ王弟像はシン調クロの影響なのかおさたたりか、どれも可愛い踊り子姿という話で、そののちオスカー様は南方にはなるたけ足を向けないのだという。


「本当に、厭なのだな」

「本当に、厭ですっ」

「本当の本当に、無理なのだな」

「本当の本当に、無理ですっ」

 陛下と殿下が言い合うところへ、また入口の戸が開いて、入場した王妃様は息子のもとへ歩みよった。

「フレデリック、何がどうなろうとジョセフィーヌとは無理なのですか?」

 似たやりとりを繰り返したあと、陛下と王妃様は顔を見合わせて囁き合って溜息をついて、揃ってこちらに目を向けた。私の隣でオスカー様が肯いた。私は……何を言えば何をすれば良いかわからず茫然としていた。この九年間、フレデリックを支えて王国を護るのが務めと自分に言い聞かせてすべて押し殺してきたのに、それなのに突然にこんなことになるなんて。

 陛下が口を開いた。

「フレデリックとジョセフィーヌの婚約解消を認めよう」

 王妃様が殿下に告げた。

「ジョセフィーヌの指輪をはずしなさい。あれはアナタにしか抜けないのです」

 九年のあいだ私の左の薬指にあった神話マイスシン調クロの象徴たる指輪は、殿下が引き抜くとすぐに光って消えた。

 その瞬間、私のドレスが音を立てて裂けた。足に合わない靴がみしりと鳴った。いつの間に控えていたのか、メイドたちが大きな布で私を覆って早着替えさせて、ドレスの残骸と共に退いた。

「手持ちの礼服の丈が合って良かった」と横に立つオスカー様が言った。「巫女様らは体つきはそのままとか九歳に戻るとかいうケースも想定していたけれど、どうやら望ましい形で戻ったようだ」

 それをぼんやり聞きながら、私は殿下を見下ろした。今の背丈は私の胸くらいだ。殿下は状況がわからずおろおろして、たるんだズボンの裾に足をとられて床にぺたんと座りこんだ。

「え……何……これ……ていうかお腹が……頭も痛い……病気?」

 ああ、それは病気ではありませんよ、


 九年前、前陛下が疫病で亡くなって、二人の王子も同じ病にかかった。さいわいどちらも回復したが、問題はこの病を発症した大人の男の大半が種なしになることだった。当時、王太子つまり今の陛下には姫が一人、その弟には姫が二人。もしもうこれ以上は子ができないとしたら、王家の兄弟の跡を継いで王になる直系の男子はいないことになる。もちろん、そうした時のために分家の東公家・西公家が控えているのだが、そうでなくとも高齢の貴族の大半が疫病に次々と倒れて国内の諸勢力のバランスがぐらつくところで、近い将来に東公家・西公家のいずれかが大きな影響力を持つということになれば治世が乱れる。全国いちがんとなって疫病を食い止めて復興を進めるにはまず何より王家の安定こそが大事だ。

 その時、疫病対策に疲れきった一同のうち誰かが、ふと思いついてしまったのだ。

 王太子の姫フレデリカが男子なら良いのでは、と。

 そうして同い年の西公家の嫡男ジョセフ、つまり私は神話の時代に女神が弟神とを交換して王家の先祖を産ませた故事に神話マイスシン調クロさせられて、フレデリカとアレを交換して、成長したのちはその妃となって、預かったアレで現王家の血を正しく継ぐ直系の男子を産むことを定められた。

 ちなみに、フレデリックのアレは本来は西公家のジョセフのアレである。だから、もし万一フレデリックが私を娶らずに他家の女性と子を作ればそれはつまり現王家の直系の子ではなく、分家・西公の血を引く子となってシン調クロしたおおもとの意味がなくなる。だから神話マイスシン調クロの誓約にはその条件も書きこんであった。

 シン調クロの効果は大したもので、歴代の巫女様一同と直接の関係者の他はあたりまえのようにフレデリックを王家の男子として受け入れて、彼が九歳まで姫であったことさえ忘れてしまった。でもまさか、肝心の殿下までそれを忘れて、の女に目移りして私との結婚を拒否するとは思わなかった。

 まあ、今は疫病も落ち着いて治世も比較的安定しているし、オスカー様が病後に大層頑張って無事三人目に男子を授かってもいるから、神話マイスシン調クロが解けても政治の上で致命的な問題にはならない。だからこそ陛下も決断を下されたのだろう。そして私は政治が安定するまでの時間稼ぎという役目を立派に果たしたことになるのだが……。

 少し離れたところに立ちつくしてマリアが何だか泣いている。目の前ではフレデリカが座りこんだまま「ボクの巨砲が……」とか泣きじゃくっている。どこかで見たように思って気づいてみれば、ああそうだ、これは九年前の私の姿だ。そして目の隅に、破れたドレスを抱えたメイド一同が通用口に姿を消すのが映った。あの美しい衣装を身につける私はもういないのだ。ダンスの時の裾さばきも、さまざまな仕草も、王妃となるべく必死で学んだ九年間の多くが無駄になった。家はすでに弟が継ぐと決まっている。長兄が戻っても邪魔になるばかりだし、考えてみれば私はこれから男としてやっていく自信がまったくない……ここまで抑えていた涙が滲んできた。

 どうするんだよ、この状況を。

 そう、私たち三人は等しく王室典範第一条の犠牲者なのだ。


        *


 ……と、思っていた頃が、私にもあったのだが。

 その後、落ち着いたフレデリカはマリアの代わりに神殿に入って巫女になった。その純潔の宣誓は変則ながら私が務めた。私は家から小さな領地を分けてもらって独立して、自分のアレが孕ませた責任を取る形でマリアを娶った。

 そのマリアが、寝言で呟いたのだ。

「長かった……でも、勝った。取り戻したわ……」

 そう、妻は戦い続けていたのだ。九年の歳月をかけてフレデリックを巧みに罠に誘って、誰もが絶対と崇める女神の加護・神話マイスシン調クロに勝利したのだと、私はその時はじめて気づいて感動を覚えて、でも、ちょっと背筋がびくりとした。


        了

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