第118話 貴族の世界

 衛兵が悪霊に唆され、怪しい箱を開けてしまい、恐らくは中に封印されていた悪霊を解き放ってしまった。悪霊はもうどこかへ消えてしまったようなので、今のところ害はなさそうだが、リディにはいくつか腑に落ちない点があった。


 まず、強力な古代魔法で封印されていたと思われる悪霊が、なぜ衛兵を唆すことができたのか。封印されていたら、普通は誰にもなんの影響も与えられないものだ。永い時を経て、封印が弱まっていたのだろうか。


「……ディ」


 そうだったとしても、古代魔法で閉ざされた箱を、魔力をほとんど持たない衛兵が開けることができたのも妙だ。古代魔法を解くことができなくても、中級魔法使いくらいの実力がある者なら、開けられるかもしれない。しかし、衛兵は簡易魔法が使える程度だと言っていた。


「……ディ!」


 そして、この守りを固められた城の中に、あの箱を誰がどうやって、何のために持ち込んだのか。あの箱は、どこから来たのか。


「リディってば!」

「え?」


 腕を組み、ぶつぶつ呟きながら考え事をしていたリディは、シリルに小突かれ、顔を上げた。ギルバートがこちらを見ている。目の前には微笑むセルヴェ伯の姿。そして、その隣には、穏やかな、しかし威圧感のある笑顔でリディに何かを訴えかけているセルヴェ伯爵夫人がいた。リディは状況がいまいち掴めないまま、微笑む。そして、助けを求めるようにギルバートの方を見た。


「リディ殿は仕事熱心で、いつも助けられている」

「勿体無いお言葉でございます」

「実力も大したものだ。これからも、力を借りたいと思っている」

「この子も、殿下のお役に立てるのであれば、これ以上ない幸せにございましょう」


 ギルバートがセルヴェ夫妻から離れると、リディは微笑みを解除した。ギルバートが呆れた顔でリディを見ている。


「ぼーっとしすぎだ」

「すみません。考え事を」

「何を考えてた?」

「あの箱の……」


 リディはしまったと思い、ギルバートの方を見た。ギルバートの後ろでテオドアがリディに微笑みを向けていた。普通に怖い。睨んでくれた方がマシだ。


「続けろ」

「いや、あの……」


 ギルバートは会場の隅に行き、ソファに腰掛けた。夜会の華やかな空気が、リディたちの周りだけを避けているかのようだった。リディは観念して、話し始めた。面倒だったので、箱のことだけではなく、装飾品のことも話した。テオドアの顔は見ないように気をつけた。


「そうか。装飾品はエルフが持っていったんだな。箱は?」

「古代魔法の研究員に渡しました」

「デーズか?」


 リディは研究員の名前など知らないため、シリルの方を見る。シリルはリディの代わりに報告を続ける。


「はい。デーズも専門外のようで、知り合いの研究者に見せてみる、と」

「そうか。箱の解析の方は専門家に任せておけばいいだろう」

「箱の侵入経路は調べましたが何も分かりませんでした。悪霊の方も、ルッツが言うには、もう近くにはいないようです」

「そうか。それならいいが」


 ギルバートは疲れているのか、それ以上何も言わなかった。あまり面倒なことにならなかったし、話すにはいいタイミングだったとリディは自画自賛した。




 少しすると、ギルバートは会場の人混みに戻り、ひっきりなしに声をかけられていたので、リディとシリルは目の届く範囲で壁際に立っていた。


 リディがギルバートから目を離さないようにしながらも、ぼーっと人混みを眺めていると、ルッツの姿を発見した。派遣員としての正装をしているが、一緒にいるのは、身なりのいい男だった。


「ルッツって、貴族なのか?」


 リディはシリルに尋ねる。貴族の知り合いがいるのだし、今も貴族っぽい人間といるから、貴族なのだろうが、どうもそれらしく見えない。


「うん。子爵家だったかな?一緒にいるの多分お兄さん」

「なるほど。次男か」


 貴族の家に生まれても、家督を継ぐのは長男だけ。それ以外の男子は、結婚しても家に残り、長男の手伝いをするか、良家のお嬢さんに気に入ってもらい婿養子となるか、騎士になるかが普通らしい。先程の騎士風の挨拶から言って、ルッツはもともと騎士団にいたのだろう。


「騎士になるはずだった?」

「うん。もともと魔法騎士団にいて、ギルバート様の側近になるはずだったんだけど、ギルバート様が近衛兵団なんていらないって言って、近衛兵団が廃止になった。それで、ルッツは大喜びで派遣員になったらしいよ」

「なんで派遣員?研究員の方が向いてるだろ」

「まだ精霊研究が正式な研究として認められてなかったから」

「なるほどな」

「噂話ってもっとこそこそするもんじゃないの?」

「ルッツ」


 いつの間にかルッツが二人の目の前まで来ていた。


「噂じゃなくて、ルッツから聞いた話だよ」

「確かに」


 ルッツはそう言いながら、自然と二人の横に並んだ。ルッツも子爵家の子息としてではなく、派遣員として出席している。社交の場はあまり好きではないのだろう。リディはルッツに親近感を覚えた。


「よく騎士団辞めれたな」

「ああ。兄上とかなり揉めたけどね。兄上は出世欲の強い人だから。まあ結局、僕がギルバート殿下とのパイプ役になれたからそれでいいみたいだけど」


 ルッツは横目で人混みの方を見た。その視線の先では、先ほどまでルッツと話していた男がギルバートと話していた。


「貴族ってやつは面倒だな」

「君も貴族じゃないか」


 ルッツは呆れたように言う。


「そういえばそうだった」

「君、家では上手くやれてるのかい?」

「そんなわけねえだろ」

「そうだろうね」

「夫人には、遠回しに派遣員なんて危険な仕事辞めろって言われてる。気付かないふりしてるけど」

「まあ、それについてはギルバート様がさっきフォローしてくれたし、もう言われないんじゃない?」


 シリルに言われ、リディは先程のことを思い出した。なるほど。あれはフォローだったのか。完全に思考が飛んでいたので、どういう経緯でセルヴェ伯たちと話を始めたのかは知らないが、シリルがこう言うということは、ギルバートから話しかけたのかもしれない。


(使える駒がいなくなれば不便だからな。)


 理由はどうあれ、王子から直々に釘を刺されたようなものだ。セルヴェ伯爵夫人も静かになるだろう。ありがたい。


「それにしても、今日の昼、ちゃんと礼儀正しくしてたから驚いたよ」


 ルッツは冷やかすでもなく、ただの感想として言っているようだ。


「そりゃ、貴族相手にいつも通り振る舞って噂でも立ってみろよ。夫人から大目玉だ」

「そうだね。さっきも、ギルバート様の前じゃなかったら怒られてただろうし」


 呆れた様子でシリルは言う。リディは返す言葉がなかった。貴族としての振る舞い方どうこう以前に、ギルバートの側でぼーっとすること自体、あり得ないのだ。


「家族なのにえらく他人行儀だな」

「え?」

「普通は母親のことを夫人とは呼ばないだろう」

「確かに」


 ルッツの言葉にシリルも同意した。リディは口を歪める。


「母親って言っても、数ヶ月前に初めて会ったんだ。今更お母様はきつい」

「それにしても、ねえ」


 ルッツはシリルに同意を求めるように言い、シリルはこくりと頷いた。少しイラッとしたが、ルッツが言ってることが正しいのは分かる。実際、リディだって、本人に向かって夫人とは言わないのだから。呼ばないという逃げ道でどうにか切り抜けているが、それが限界を迎えるのと、リディが両親のことをお父様お母様と呼べるようになるのと果たしてどちらが先だろうか。


 ルッツはリディの微妙な表情を見て笑う。


「そんなに嫌ならさっさと結婚して家を出ることだね。僕は残念ながら次男だから、他をあたってくれ。君にお兄さんがいなければ良かったんだけど」

「お前なんか眼中にねえよ」

「それは失敬」


 ルッツはどうでも良さそうに笑う。男はいい。王族や長男でない限り、未婚でもそこまで悪く言われない。リディはため息をついた。


「結婚をせずに、体裁を保ったまま、家を出る方法ねえか?」


 ルッツに尋ねるのはなんとなく癪だったが、貴族の世界に詳しいようだし、腹を割って話せる貴族など他にいない。


「さすが、平民育ちは考えることが違うね。家出とは」

「家出じゃなくて、堂々と出る方法を」

「だから、そんなこと許されるわけがないだろう。貴族ってのは、面倒で仕方がない生き物なんだ。悪い事は言わない。結婚した方がいい。断言するよ。その方が面倒は少ない」


 リディはため息をついた。どう考えてもルッツの言うことが正しいのだ。

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半分の魂 @nanakawamisa

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