第117話 黒い箱

 ギルバートの元へ戻ると、不機嫌そうなギルバートは窓の外を眺めていた。三人が部屋へ入っても、何も言わず、三人の方を見ようともしない。リディとシリルは無言のまま部屋の隅に控えた。絡まれると面倒だからだ。テオドアの方はそういうわけにもいかないようで、ギルバートの方へ歩み寄り、軽く頭を下げた。


「問題は解決しました」

「何があった?」

「いえ、大したことではありません」


 ギルバートはギロリとテオドアを見上げたが、テオドアは気づいていないかのように涼しい顔をしている。ギルバートの矛先はリディたちに向いた。シリルはリディの陰に隠れようとしたが、リディはシリルを押し出した。


「お前らの上司は俺だ。報告をしろ」


 腕を組んだギルバートはいつも以上に偉そうに言う。シリルはリディを軽く小突いた。面倒な役を押し付けるつもりのようだ。ギルバートの向こう側で、テオドアが微笑んでいた。言うなという圧がすごい。


「大したことではありません。ルッツが片付けてくれました」

「ルッツが?精霊か?」

「ええ、まあ。私たちは精霊のことなんてよく分からないので、ルッツに聞いたほうがいいですよ」


 ギルバートは鋭い目でリディを見つめていた。リディの嘘を見抜いているのかもしれないが、リディは素知らぬ顔を続けた。


「ルッツを呼べ」

「ルッツは正門の警備から離れられません」

「そうか。もういい」


 ギルバートは吐き捨てるように言うと、奥の部屋へ引っ込んでしまった。


「あーあ。怒らせた。教えてやればいいのに」


 リディはテオドアに言ったが、テオドアは首を横に振った。


「件の装飾品はどこだとかいろいろ聞かれるじゃないですか。その方が面倒なので絶対にお伝えしません。しばらく何もないので、お二人は見回りをお願いします。また夜会が始まる頃に呼びます」


 人使いの荒いテオドアに部屋を追い出され、リディとシリルは城周りをぐるりと歩くことにした。正門以外からは来客もないため、衛兵たちがぴしっと立っているなか、若い魔法使いたちは完全にだらけきっていた。問題がないならそれでいいが、だらけすぎだろう。リディが呆れてだらけた魔法使いたちを見ていると、それに気づいた魔法使いたちは慌てて姿勢を正した。勤務態度を正しに来たと思ったのだろうか。しかし、リディもシリルもそんなことはどうでも良く、何も言わずに通り過ぎるとすぐに、若い魔法使いたちはまただらけ始めた。平和で何よりだ。知り合いの多いシリルは、行く先々で声をかけられていた。シリルは相手によって、片手をあげるだけだったり、頭を軽く下げたりしていた。


 天気も良く、ちょっとしたトラブルがあったものの、今のところ何の問題も表面化していない。このまま良い気持ちで一日を終えられればいいなあと思ったのも束の間、リディの平和ボケした頭は指で弾かれたような鈍い衝撃を受けた。シリルも何かを感じ取ったようで、リディの方を見ている。リディたちは城の西側から回り始め、もうすぐ東の門に辿り着くところだった。二人は何かの気配を辿って、走った。近かったし、移動魔法で行けるほど正確な位置が掴めなかったからだ。


 少し走ると、東の門のすぐ近くに衛兵たちが集まっているのを発見した。その中に見知った顔を発見する。衛兵に混ざっているから余計に魔法使いらしく見えないその男は、リディたちに気づくと、大きく手を振りながら二人に近づいてきた。


「よお」

「久しぶり、ダリオ」

「本当に。どっか行ってたのか?」

「ああ、長期任務で出てたんだ。また明日から任務に戻る。それより来てくれ」


 二人はダリオに連れられ、衛兵たちが集まっているところへ行った。衛兵たちが囲んでいるのは、地面に食い込むように落ちている黒い小さな箱だった。その箱はぱっくりと口を広げるように上下に開いている。


「何だこれ?」

「分からない。俺もさっき来たとこで、こいつらが言うには、この箱を開けると淀んだ空気のようなものが流れ出て、あっという間にどこかへ消えたって」


 ダリオは箱の周りに集まる衛兵たちを指差しながら言った。


「はあ?」

「目には見えない、でも、気味が悪くて、恐ろしい何かが確かに出てきたんです」


 青い顔をした衛兵の一人が言う。箱を開けたのはこの衛兵だろう。


「この箱はどこで?」


 シリルが青い顔の衛兵に尋ねると、衛兵は続けた。


「ここに落ちていました。拾って、中を確かめようと」


 リディは呆れ顔でため息をつく。普段ならともかく、今日は怪しい物を見つけたら、魔法使いに通報しろと言われているはずだ。そのために魔法使いが総出で警備しているのだから。


「馬鹿か。不用意に落ちてるもん拾ったりすんなよ。呪いがかかってたらどうするつもりだ」

「抗えなかったのです!拾って、開けなければならないと」


 衛兵は箱を目にした時からすでに箱の術にかかっていたらしい。これは、箱の侵入を許してしまった魔法使いたちの落ち度か。リディは箱を眺めた。そして、注意深く手を箱にかざす。呪い探知の魔法を使ってみたが、箱に呪いがかかっていたわけではないらしい。リディは箱を拾い上げた。


「箱には守護の魔法がかかってるくらいだ。それで、箱の外からは中身が分からなくなっていたんだと思う。だから、この箱が開くまで誰も中身の気配に気づけなかった」


 リディの言葉に、シリルは眉間に皺を寄せた。シリルの考えていることはリディにも分かった。この城の中には今、エルフが四人いるのだ。そのうち二人は先ほどまで、僅かなエルフの気配を探知するために神経を研ぎ澄ませていた。それなのに、この怪しい箱を見つけられなかった。と言うことは、この箱にかかっていた魔法は、人間の魔法なんかじゃない。そして、エルフの魔法でもない。


「古代魔法だ」


 リディは悔しさが混じった声で静かに言った。古代魔法については、リディは全く専門外だし、専門家などほぼいない。古代魔法の研究は制限されているからだ。


 リディは箱を眺める。黒くて艶のある頑丈な素材でできていた。キズなどはないが、どことなく、古い感じがする。姿は見えず、存在は分かるもの。そんなものはこの世にほとんどない。精霊か、もしくはそれに類するもの。リディの知る精霊は澄んだ空気のようなものだ。しかし、この箱の中からは淀んだ空気のようなものが出てきたと言っていた。


「この中に入っていたものは、悪霊だろうな」


 リディの言葉に衛兵たちは息を呑んだ。

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