2: 愛を教えて

「愛とは一日薔薇のようなものですわ」


暖炉の熱で温かくなった部屋。雨が降り注ぐパリの街並みを眺められる窓の傍で彼女は言った。


「知りませんか。種から花を咲かせるまでに千日、花は一日しか保てず、枯れてしまう薔薇のことを」


「それは知っているとも。御伽噺に出てくる花だ」


もちろん、と僕は頷いた。


「咲き誇るまでたくさんの時間がいりますのに、咲くのはたった一日。しかし、その一日が最も人を魅了させ、輝く」


「愛は一時しか存在しないと、そう言いたいのかい」


僕がそう聞くと彼女は艶やかな唇に微笑をたたえた。シーツ一枚だけを羽織っている彼女のその仕草は妖艶という言葉がぴったりときた。思わず見とれてしまう。


「そういうことではありません。地面に根付いた時点で愛はあると思います。

その根付いた愛へ、情熱や様々な欲、感情という水を注いで育てるのです」


先ほどまで貴方が私にしていたように。


言葉にはしていなかったが、視線でそう投げかけられた気がして、ベットの上に腰かけたまま視線をそらした。


「愛を育てるというのは分かったけどそれは愛の四分類でいうところのエロス、男女間の愛情だけなんじゃないのかい」


黙っているのもいたたまれなくなり、彼女の語りに合わせる。


彼女は何も言わずにアメジストのような瞳を向けてくる。


「家族愛は物心ついた時からあるものだと思う。それにアガペー、あれは無償の与える間から育むものじゃない。友愛は、育むというより僕には積み重ねるのほうがしっくりくるかな」


親友と喧嘩して仲直りすることも絆を育むというより、経験を積み重ねるの言い方のほうが好きだ。


ほぼほぼ考えずにしゃべりだしたことだったけど、彼女はわずかに頷いた。


「いいじゃないですか」


「え……」


「その捉え方はいいと思います。即興で話したにしてはいい内容ですわ」


くすりと微笑む。


「まいったな。全部わかってて話させたのか」


困ったように頭をかいた。


彼女に弄ばれていたのか、僕は。


「いえ、それは半分の理由です。あなたが必死になって考えをまとめ話す様子が面白かったのも事実ですけれど」


くすくすと楽しそうに笑う。魔性を感じさせる仕草で、見ているだけで心が奪われてしまいそうだ。


「あなたの考え方が他の方とは違ったので、新鮮で。確かに友愛は育むよりもそれぞれが感情を出し合ってレンガのように積み重ねるほうがいいですね。響きが好みですわ」


「からかわないでくれよ。咄嗟に言っただけなんだから」


「あら、からかってなどいませんよ。わたくし、本当にこの考え方、いえ、感覚のほうがいいかしら。ともかくそれを好ましく感じましたから」


向けてくる視線がむずがゆくて僕はほとほと困ってしまう。


そこまで言ってくれるのは嬉しいけれど本当に大したことは話していない。とにかくこれ以上、僕の話は続けたくないので本題に戻す。


「えーと、それで愛が一時的なものっていうのは結局どういうことなんだい」


「あら、それを言っていませんでしたね。あなたの反応が面白いのでつい……」


「そ、それはもういいから……」


「簡単です。人が愛されていると、愛を認知できるのは花が咲くときだけ。そういう意味で言いましたの」


まだわからなかった。たぶん考えが顔に出ていたのだろう。


彼女は数秒考えこむように目を瞑った。


「少しわたくしの言いたいこととは違うんですが、大切なものは失ってから気が付くというアレに近いですわね」


「それならわかる、かな」


あれは十歳の時だ。飼っていた犬が死んだ。僕にとっては生まれた時から一緒にいて、いることが当たりまえだった。僕のおもちゃや人形を噛んで壊してしまうこともあったけれど嫌いではなかった。


犬が死んでからは、僕のおもちゃは僕だけのものになった。壊されることも取られることもないけれど、じゃれついてきたり寂しいときに体を寄せて眠る犬もいなかった。


しばらくの間、心にぽっかりと穴が開いたようだった。多分、底なしだ。何をしたって気分が晴れなかったし、ふとした時に思い出して泣いてしまった。


犬は僕にとって大切な友人だった。


「僕にも経験はある。けれど、それこそ喪失感というべきもので愛とは違うんじゃ?」


「いいえ、同じですわ。喪失感とは愛があればこそ感じるもの。根底に愛がなければ存在しない感覚です。例えば、そこにある薪を暖炉にくべても喪失感は感じませんわ」


「確かにそうだね」


ベットから立ち上がり、少し勢いが弱まっていた暖炉の火に薪をくべる。多めに薪を入れたせいで火が押しつぶされたが、わずかな間をおいて勢いが回復する。


部屋が先ほどまでより暖かくなった。


「芸術家の完成はわかりずらいね。わざわざ薔薇の話なんてしなくても最初からそう言ってくれれば伝わるのに」


つい皮肉のような感じで言ってしまってから、しまったと思った。


恐る恐る彼女を見ると眉根をよせてむっと膨れている。


「自分の感覚を他人にわかりやすく説明するのは難しいでしょ。それに途中までの話がなければ、きっとあなたは納得しなかったわ」


「ごめんって。職業柄、考えや出来事をわかりやすく伝える癖がついているんだよ」


「まぁ、あなたなりの感覚や考え方を聞けたので、特別に今回は許してあげます」


うろ覚えの知識だったし、ほとんど考えこまずに話したことだったけど満足してくれたのならよかった。これからは色々と知識を蓄えるようにしようと誓った。


「そういえば——」


ベットに座り直しながら疑問に思っていたことを聞いた。


「どうして愛の話を始めたんだい?そりゃ、芸術家にとっては魅力的なテーマだと思うけどさ、君はそういう作風ではなかっただろ」


一年の付き合いでそれなりに彼女のことは知っているし、理解もしたと思う。あくまで自己評価ではあるけれど。


彼女の作品は寂しさ、静けさといったものをモチーフにすることが多かった。情熱や愛をモチーフに作れないのではない。依頼されたときはそういったものも作るから、自発的に作ろうと思わないだけだ。


「最近、自分の作品と向き合って考えてたの。自分の作りたいもののカタチを。そしたら、愛に行き着いたから貴方に話したくなって……」


「そっか……」


きっとその答えに行き着いた道筋は僕には理解できないものだろう。なんせ芸術とはあまり縁がないし、それを言葉にするには薔薇以上に難しい話になりそうだ。


「今度の作品、貴方に一番に見せたいわ。期待してもいいかしら?」


本当に珍しい。アメジストのように蠱惑的で強い意志を秘めている彼女の瞳が、不安に揺れていた。


けれど、その美しさが損なわれることはなくて。彼女の姿が網膜に焼き付いた。


僕はこの瞬間を永遠のように感じながら答えた。


「もちろん。君の新作ならいい記事がかけそうだよ」









その二日後だった。

彼女は馬車にひかれた。即死だった。

買い物帰りだったらしくて、あたりには潰れたリンゴや泥まみれのパンが落ちていた。


彼女が与えてくれた喪失感あいは、僕が引き金を引くのに十分すぎるそうしつだった。

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くろねの短編集 くろね @kameneko

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