くろねの短編集

くろね

1: dog  雨の日に

ざあざあと雨が降る。

ごうごうと風がなる。


水を吸って垂れた毛が邪魔だったから頭を左右に振って水を切ろうとしたが、またぐに同じように張り付いた。


なぜこんなところにいるのか。それは僕も疑問だ。


どうしてだろう。


あの人は何も言わずに去っていった。通り過ぎる人も僕を横目でちらりと一瞥する人がほとんどで大抵素通りしていく。


それはいいのだけど、車に乗ってる人は嫌いだ。


彼らは僕がいてもお構いなしのスピードで走ってすれ違いざまに水たまりの水をかけてくる。


僕の部屋には壁があって風は防げるし、硬い地面よりはマシな程度にやわらかい。


けれど致命的なダメなところは屋根がないことだ。


屋根がないから雨も車にかけられる水を防ぐこともできない。


雨に打たれてしばらくたつと体が寒くなってきた。


壁に足をかけて周りを見ていたけれど、つらくなってやめた。


じっと動かず、体を丸めると寒さが和らぐ。


そうしていると、近くの家の塀を歩いている奴が声をかけてきた。


なんでそんなところで雨にうたれている?


僕は答えた。


あの人を待っていると。


するとそいつは、ふっと鼻で笑った。あの人の家にもいたやつがしていた小ばかにする笑い方と見下すような視線だ。


お前、捨てられたんだよ。迎えなんてこない。あの人なんてものを信頼してバカじゃないか。


最初は意味が分からなかったけれど、ゆっくりと理解し始めると無性に腹が立った。

あの人は優しい人なんだ。馬鹿にするな!


怒っていたことは覚えているけれど、怒りが強すぎてなんて言ったかぼんやりとしている。


いつの間にかそいつはいなくなっていて、僕は一人体を丸めて雨の冷たさから身を守る。


周囲が暗くなってきた。人も意地悪な車も少し前から全く通らない。


聞こえてくるのはざあざあという雨の音。そして、塀の上のあいつの言葉が頭の中で何度も再生される。


そんなはずないと否定し続けた。でも、本当かもしれないとも思ってしまう。


だってこんなに寒いのに、まだあの人は来ない。迎えに来てくれない。


だんだん雨の冷たさが忍び寄ってくる。


身体を丸めているのにすごく、すごく寒い。身体が震えてきたのも起き上がるのがつらいのも気のせいではない。


つらい。今すぐあの人に抱きしめ欲しいけれど、やってこない。


ようやく塀の上にいた奴の言葉が真実だったのだと、心にすっと刺さった。

僕は捨てられたんだ。


もう何もかもどうでもよくなってきた。


きっと雨宿りできる場所に向かうべきなのだろうけど、どうでもよくなった。


こんなにも寒くて、冷たくて、つらくて、寂しいと生きていたとも思えなくなった。




ざあざあと雨は降る。

ごうごうと風が吹く。


夜が朝になっても冷たい雨が降っていた。身体は冷えているしお腹もすいているけど、動けない。


動きたくない。


近くを通る人は一瞥すらしなくなった。少なくとも屋根のない上から覗き込んでいる人はいない。


足音はたまに聞こえるから人通りはあるみたいだけど。


今日も昨日と変わらない。雨にうたれ続けるだけだと思っていた。


けれど、少し離れたところから声が聞こえた。


それが歌だと気が付くまで時間がかかった。だってあの人の歌はもっと激しかったし、聞こえてきたのは僕でも下手だと思うものだ。


それがだんだんと近づいてきた。そして、僕の部屋の前で止まった。

唐突に冷たい雨が遮られた。


「どうしたの?」


上から声をかけられた。塀の上の奴と話しかける角度は同じでも心配するような声音だった。


今は見上げるのも瞼をあけるのさえ億劫だ。黙っていれば他の人と同じようにいなくなるだろうとそう高を括っていたのに、その声の主は違った。


「おーい、寝てるのかい?」


おーいと何度も呼びかけてくる。そいつはしつこい。すごくしつこい。


いい加減にしろと、言ってやろうと重たい瞼を開け、見上げた。


空がくすんだ赤色に染まっていた。まるで夕焼けのようだったが、その正体が雨を遮るために差し出された傘だと気が付いた。


「あ、反応した!」


目があうと嬉しそうに破顔した。黄色い帽子を被った子供だ。


その笑顔が本当に、心から嬉しそうだった。


「君はどうしてここにいるの?」


不思議そうに聞いてくるが、答える気はない。顔を背け、目をつむった。


「うーん……あ、箱に何か書いてあるじゃん。えっと、——って、した、さい?した、くだか」


ぶつぶつと独り言を呟き続けている。この子がいる間は、冷たい雨が降ってこない。


「あ、これひろってくださいって書いてあるのか」


声のトーンが露骨に下がった。僕もその言葉を聞いてずきりとした痛みが走った。


自分の状況を再認識してしまったからか、余計に寂しさを感じてしまう。


バサッと何かを体にかけられた。途端に寒さが遠ざかり、わずかに温かい。


思わず子供のほうを見た。


その子は上着を脱いでいた。両目に涙を溜めながらも強く光るものを瞳に宿して。


「待ってて!迎えに来るから!」


ばしゃばしゃと水しぶきを散らしながら足音が遠ざかっていく。


あの人も同じことを言っていたけど来ない。だから、あの子にも期待はしない。


———けれど

与えてくれた上着で寒さを防いでくれたことと、傘で雨を遮ってくれたことだけは感謝しよう。


久しぶりに感じる温かさに瞼が重くなって、抗えない睡魔に襲われる。


ばらばらと雨は傘にあたる。


忍び寄る寒さはあの子の上着が遮って届かない。


ゆっくりと意識を手放した。



規則的な寝息が聞こえた。それにこれまで感じていた寒さはなく、快適な程度に温かい。


心地よいまどろみだった。理由は分からないけれど考えなくてもいいか。


今はただ心地よく抗いがたいまどろみを享受しようと思った。


しかし……


「は、ハぁッくしょん!」


大音量、かつ耳元で大声を出され、耳がキーンとした。


おかげでまどろみはどこかへ吹き飛んだ。


瞳を開けると全く見知らない、人間がいた。


いや、よく見ると傘と上着をくれたあの子だ。


顔の下半分を覆っていて、目の上にも何かよくわからないものをつけている。


この子は本当に戻ってきたようだ。僕を迎えに。


あったかい部屋で、僕が寝ているのはふかふかの寝床だった。温かい毛布も掛けられている。


助けてくれたと、思った瞬間、嬉しさとか安心感とかがごちゃ混ぜになった感情が湧いてきた。


「はっくしょん!」


けれど、それも耳元でくしゃみをされて急速にしぼんでいった。


今度は感謝と苛立ちが混ざり合って、抑えきれず思わず前足で子供の頬を叩いた。


ぱちと、音がしそうな勢いで子供が目を開いた。


そして、何度が瞬きを繰り返すとぱぁと笑顔になっていく。


「おはよう!起きたんだね!」


ぎゅうーと抱きしめられた。少し息苦しい。まぁ、悪くはない。


急に解放されたかと思ったら子供が起き上がって扉のほうに向かっていった。


扉を勢いよく開けると、誰かに呼びかけている。


「パパ!ママ!きゃらめる起きた!起きたよ!」


どたどたとこちらに来る足音が二つ。


「こら!またベットで寝なかったのね。ちゃんと寝ないと治らないわよ!」


「おお、よかった。元気になったのか」


と、やってきた男女がそれぞれ怒り喜んでいた。




その日の夜。


腹いっぱいドッグフードを食べ与えられた寝床で横になっていた。


あの子供は随分と僕の傍で寝ると駄々をこねていたが、母親に怒られると観念して両親と一緒に寝ることにした。


くしゃみで耳を攻撃される心配がなく、安心して眠れる。あの人と同じことをされるまではゆっくりしよう。


そう思い眠ろうとしたけれど、耳の奥で雨音と塀の上の奴の言葉がこびりついていて離れない。


冷たく寂しさを伴った寒さが体の芯を冷たくする。


何度、頭を振っても消えないそれに耐えていると、不意にがちゃりと音がしてドアが開いた。


子供が来ていた。


片手で毛布を引っ張りながらコソコソと部屋に入ると、指を口元にあてシーとする。


多分、静かにと言っているのだろう。


そして、僕に近づくと毛布を掛け、横になって抱きしめてきた。


「もう寒くないよ、きゃらめる」


僕を安心させるように言いながら背中をさすってくれる。


まるで僕が寒いことを知っているみたいだ。言葉だって通じないのに、と子供を見る。


「ああ、君の名前だよ。きゃらめる。いい名前でしょ!」


そうじゃないけど。


まぁいいか、すごく眠いし。


いつの間にか、寝息が聞こえてきた。


規則的で安らかで。




眠りに落ちるころには雨の音も、あいつの言葉も聞こえなくなっていた。












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