第八話 祖父の手記
なにがあったのか、今まで熱心ではなかったのに突如として世界を元に戻すことを主張した梨紅とともに、再び祖父の家に来ていた。
もちろん汚れてもいいように、いつもの格好に着替えてきた。
「なにボーっとしてるんだい! はやく詠も探してよ!」
梨紅の号令のもと、部屋中をひっくり返す勢いで捜索した。
他の部屋まで確認したが、いっこうに見つからない。
梨紅は俄然として書斎の中を探索しているが、詠は疲れ果てて座り込んでしまった。
「なあ、あれって夢だったんじゃないのかな?」
詠は、ぽつりとこぼすように言った。
「実は二人して頭を打って記憶障害を起こしているとか」
世界がおかしくなっていると考えるよりも、二人がおかしくなっていると考えるほうが、まだ現実味がある。
「そんなわけないだろう! じゃあ、なにかっ? ボクは素の実力であの
道中に聞いたが、梨紅は今まで一度も負けたことがない同中スプリンターに負けたのだという。
それは、世界がおかしくなっていなければ起こり得ないことであり、二人の方がおかしくなっているということを認めるならば、そのスプリンターに実力で負けたことになるという方程式が成り立ってしまう。
梨紅はガルルと唸るように詠を睨みつけている。
少し涙目になっているかもしれない。魔法世界になったことよりも、短距離走で負けたことのほうが、梨紅の精神を揺さぶっているようだ。
詠は嘆息して、天を仰いだ。
「失言だったよ。さっさと本を見つけ……よ、う?」
詠の言葉が不自然に途切れた。
視線の先に不自然なものが引っかかったのだ。
それに気づいた梨紅も天井に目を向ける。
「どうしたんだい、詠? なにか見つけ、たの、か?」
そこには蜘蛛の巣があり、見たことのある『栞』が引っかかっていた。
「「あぁ────っ!!」」
慌てて取ろうとするが、天井の蜘蛛の巣に引っかかっているのだ。
いかに身体能力の優れる梨紅がジャンプしようにも届くわけがない。
「──っ! 詠!」
「ガッテン承知!」
幼馴染特有の呼吸で、彼女がなにを言いたいか察した詠は梨紅の前で屈む。
そこに何の躊躇いもなく梨紅が跨った。肩車である。
「よっいしょぉ──っ!」
渾身の力を込めて立ち上がる。
決して、梨紅が重いために、力をふり絞ったわけではない。
ただ、運動不足の身体に鞭をいれているだけだ。
大事なことなので、心の中でもう一度言い聞かせる。
梨紅が重いわけでは決してない。
「とった──!」
梨紅が掴んだ栞を掲げる。
彼女をおろして、二人で確認する。
「これって、あの時のやつだよな?」
「うん、間違いないよ」
この奇妙な存在感。肌が粟立つ感覚。あの本と同質なものだ。
「これがあるってことは、少なくても夢じゃあなかったってことだよな?」
梨紅は、うんと頷きながら首を傾げる。
「だけど、肝心な本はどこにいったんだろう?」
「もしかしたら、今見たら本が元の場所に戻ってたりしないか?」
キーアイテムぽいものを手に入れたし。RPGではあるあるの展開だ。
「そういえば、あの引き出しは今回見てなかったね」
二人は机に向かうと、引き出しを取り外し、二重底をそっと剥がした。
そこには──ただ底がのぞいていた。
「やっぱり、無いよねー」
梨紅はがっくりと項垂れた。
「まあ、そんなに都合の良い展開はないわな」
詠は嘆息しつつも二重底を元に戻し、机の中に入れようと、引き出しを持って立ち上がった。
梨紅はへたり込んだまま、その行動を目で追っていたが、突如声をあげた。
「詠、ストップ!」
「は?」
詠は引き出しを持った状態で固まった。
「どうした、梨紅?」
「ちょっと、そのままこっちに来てくれない」
引き出しを持って梨紅の方へ歩いていくと、彼女は座ったまま引き出しを下から見上げた。
「やっぱり。引き出しの裏になんか貼り付けてある!」
「マジか!」
詠は引き出しをひっくり返して床に置いた。
ノートがビニール袋に入れた状態で貼り付けられていた。
「あの『本』ではないな」
「でも、同じ引き出しに隠されていたんだよ。全く無関係というわけでもないんじゃないかな」
「そう、だよな」
二人は慎重にテープを剥がし、袋からノートを取りだした。
表紙には手書きで『魔法世界の考察』と書かれており、その下に日付と名前が書かれていた。
「この日付って、60年くらい前だね」
「名前は祖父さんのものだ」
一ページ目を開くとこのような一文から始まっていた。
『──私はオカルトが嫌いだ』
「「嘘つけぇっ!」」
詠と梨紅は思わずノートの一文に対してツッコミを入れてしまった。
誰のオカルト好きのせいで、こんな目に遭っていると思っているのだ。
「ヤバい。読まずにこのノートを焼き捨てたくなったよ」
「それには激しく同意するけど、もう少し我慢して読んでみようぜ」
梨紅を宥めながら、詠は先を読み進めた。
『そんな私の価値観を破壊する出来事が起きた。──この世が魔法世界に変わったのだ』
二人は顔を見合わせた。
「これって」
「ああ、ビンゴだ」
詠と梨紅はかぶりつくように祖父の手記を読んだ。
ぱらぱらとページをめくると、そこには祖父が体験した不可思議な出来事が事細かに書かれていた。
始まりは、祖父がおかしな『栞』を見つけたことだという。
「本より先に栞を見つけてたのか」
読み進めていくと、祖父は栞に導かれて本を見つけた、と記載があった。
栞に導かれるという表現がよくわからないが、そこは重要ではなかった。
祖父は、見つけた本のことを、こう綴っていたのだ。
『開こうとしても開かず摩訶不思議な本』
二人はノートから顔を上げて、思わず視線をあわす。
「本が開かなかったって書いてあるけど……」
「俺らのときは、栞に触れただけで、勝手に開いたよな?」
首を傾げたが、再び地面に視線を這わせた。
疑問はすぐに解消した。
祖父は、二人の友人に話して酒の肴に開かないことを示そうとすると、なんと開いた。
その後の祖父の考察にはこうあった。
『開かずの本を開く条件は、その場に人が
二人は顔を見合わせた。
「「三人?」」
●△◽️
詠と梨紅が祖父の手記を読み、驚愕の事実を見つけたとき、香夜はレナと共に図書館にいた。
深月に勉強しろと言われて追い出されたが、もちろん勉強などしていなかった。
では、なにをしていたかというと、当たり前のように兄を落とす企みを進めていた。
「どうレナ? いけそう?」
香夜は彼女にそう問いかけた。
「うん、これで手札はそろった」
レナの前には民法の本が数冊置かれていた。
彼女は、結婚についての法律を調べ尽くし、法の抜け道を見つけ出して、兄と結ばれる算段をつけたのだ。
さすが
諸々セカンドを犠牲にしてでも味方にした甲斐がある。
レナは表情筋をぴくりとも動かさず、目だけで不敵に微笑んだ。
「この世界は、強く想えば願いが叶う──」
二人の視線は、机に置いてある一冊の『本』に注がれた。
香夜はレナの言葉を引継ぎ答える。
「そう。──どんな願いでも、ね」
それは、兄妹で愛しあうという禁断の願いを叶えることができる唯一無二の魔法の『本』だった。
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