ネヲハルヒトビト

古博かん

根を張る人々

「あなた、何しているの?」と、前から歩いて来た人が唐突に尋ねる。

「ええ、歩いていますよ」と、唐突に尋ねられた方は自然と答えた。


「そうなの、どこから?」と、初めに尋ねた人がまた尋ねる。

「そうですね、ずっと遠くからですよ」と、尋ねられた方もまた自然と答えた。


 ——ずっと遠くですって?

 ——ええ、ずっと遠くです。


「そういうあなたは、どこから来たのですか?」と、初めに尋ねられた方が今度は尋ねる。

 初めに尋ねて今度は尋ねられている人は、しばし逡巡しゅんじゅんしたまま黙ってしまい、そして困ったように尋ねた方に尋ね返す。


 ——わたし?

 ——そう、あなた。 


「さあ、どこからかしら」と、初めに尋ねて今は尋ねられている人が、ぼんやりとうそぶく。


「ずっとずっと歩き続けてきたから、どこから歩いてきたのか分からないの」


 ——分からないのですか?

 ——そうよ、分からないの。


 最初に尋ねて今は尋ねられている人は、すっかりと困ってしまった。そして、初めに尋ねられて今度は尋ねている方も、同じように困ってしまった。


(自分が、どこから来たのか分からないなんて、そんなことあるだろうか?)


 困ってしまった初めに尋ねられて、今度は尋ねている方が、改めて、初めに尋ねてきた人に問いかける。


「どこから来たのか、忘れてしまったということですか?」


「そうね、忘れたのかもしれないわ」と、最初に尋ねて今は尋ねられている人は、困った表情のまま、曖昧アイマイに答えた。


「かもしれない、とは、どういうことですか?」と、最初に尋ねられて今は尋ねている方が、また初めに尋ねてきた人に問いかける。


「かもしれないから、かもしれない、ということよ」と、最初に尋ねて今は尋ねられている人が、曖昧なまま同じ言葉を繰り返した。


 ——だって、道が分からないんだもの。

 ——道が分からないですって?


 初めに尋ねられて今度は尋ね返した方は、びっくりした様子で初めに尋ねてきた人の曖昧な言葉を繰り返した。

 初めに尋ねて今は尋ねられている人は、途方に暮れた表情で、ぼんやりとしたまま大きく頷いた。


「そう、道よ。自分がどこから来て、どこへ行くのかというルート。わたしには、それが分からないの。だから、どこから来たのかも、どこへ行こうとしているのかも分からないの」


 分からないまま、気がついたらここまで歩いて来ていたのだと、初めに尋ねて今は尋ねられている人は、途方に暮れた表情で、ぼんやりとしたまま、それでも前を見つめている。 


「自分で決めたら良いではないですか」と、初めに尋ねられて今度は尋ねる方が告げる。

 すると、初めに尋ねて今は尋ねられている人は、またびっくりした様子で、告げられた言葉に耳を傾けた。


「決める? 自分で決められる? だって、自分がどこから派生したのか、分からないのよ。何の為に生きて、ここまで歩いて来たのか分からないのよ?」


「分からないのですから、思い悩むよりも、あなたの気が済むように、あなたが決めたら良いではないですか?」


「そうね。分からないなら、それも良いわね。でもね、わたしは分からないだけじゃなくて、忘れてしまっただけなのかもしれないの」と、最初に尋ねた人は途方に暮れた表情のまま、曖昧に嘆いた。 


「何を忘れてしまったのですか?」

「それが分かれば、苦労はしないわ」


 初めに尋ねられた方は不思議そうに問い続けるが、初めに尋ねた人は、どんな問いにも困った表情を見せるばかりだ。


「忘れてしまって思い出せないものなら、初めから大したものではなかったかもしれませんよ」と、最初に尋ねられて今は尋ねている方が、そう告げる。


「いいえ、とても大事なものよ」と、最初に尋ねた人は首を振って断じた。


 ——とても、とても大事なものよ。


「そんなに大事なものを、どうして忘れたりできるでしょうか」と、初めに尋ねられて再三尋ねる方も断ずる。

「そうね。大事なものを、わたしは忘れてしまったのよ。どうしてなんて分からないわ」と、初めに尋ねて今は尋ねられている人が、悲しそうに肩をすくめた。


 ——忘れたりしなければ、わたしは歩いたりしなかったもの。


「どういうことですか?」と、初めに尋ねられて今は再三尋ねている方が、度々問いかける。


「わたしはね、分からないから歩くのよ。あなたは何で歩いているの?」と、初めに尋ねて今度は尋ねられている人が、また尋ね始める。


「何で、とは?」


「あなたこそ、どこへ行くつもりだったの?」と、初めに尋ねて今度は尋ねられている人が、重ねて問いかける。


「どこへ……」

 初めに尋ねられて今は尋ねていた方は、またまた尋ねられて返答に窮する。


「ほら、あなたもわたしと同じじゃない。あなたも分からないから歩くのよ」と、初めに尋ねた人が大きく頷きながら、また断ずる。


「違います」と、初めに尋ねられて今度は尋ねて、またまた尋ねられて返答に窮した方も、大きく首を振って断じた。


 ——違いますよ。

 ——何が違うの?


「わたしは探しに行くのです」と、初めに尋ねられた方は返答に窮したのが嘘のように、滑らかに続けた。

「あなたの言うとおり、わたしもどこから来たのか分かりません。ですが、わたしは探しに行くのです、わたしが歩いてきた場所を。そのために歩いているのです」

 ——それが、歩く目的です。


「ああ、そうね。それ、いいわね」と、最初に尋ねて今度は尋ねられて、またまた尋ねた人は滑らかな返事を受けて、にっこりと穏やかな笑みを浮かべた。

 

 ——ありがとう。じゃあね。

 

 そう言い残して、初めに尋ねた人は、尋ねられた方とそのまますれ違い、また歩き始めた。

 初めに尋ねられた方はゆっくりと振り返る。

 颯爽サッソウと歩き去る最初に尋ねてきた人の足元には、長い長い根っこが続いていた。


「あなたの道、ちゃんとあなたが歩いてきた場所から続いていますよ!」と、初めに尋ねられた方は、去りゆく背中に向かって呼びかけた。すると、初めに尋ねた人がゆっくりと振り返った。

「あなたの道も続いているわよ!」と、去りゆく彼方から、初めに尋ねられた方に返事が届く。


 ——ありがとう。お元気で。


 初めに尋ねられた方も、にっこりと微笑ほほえみを浮かべると、そう呟いて、また前を向いて歩き始めた。もちろん、その足元には、ちゃんと根っこが続いている。

 そして、すれ違った根っこたちは、両者が歩き去ったあとで互いに一つにくっついて、少し太く大きくなった。

 よく見ると、地には誰かが歩いた痕跡が、無数の根っことなって縦横無尽に張り巡らされている。根っこに出会い、一つすれ違うたびに、残された道は互いにくっついて、少しずつ少しずつ太く大きくなっていく。

 しかしそれは、前を向いて歩き続ける限り、歩く当人には決して見えないルートだった。

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