花の名腐し
足元にまでまとわりつく湿気がひとの精気を奪っていくのと裏腹に、森田さんの目は爛々とし、此処に咲くあらゆる花を吟味し始める。左手に持った小さなノートにそれらの花ひとつひとつの名まえを記しながら、森田さんはこう言う。
あなたはいつまで、何処の誰が名付けたかわからない名前で「それ」を呼び続けるつもりなの?私はもうそんなのこりごり!「それ」には、もっと相応しい名まえがあるはずなの。誰もやらないから私が「それ」の名まえを付け直すの!急がなきゃ!終わってしまう!早くやらないと「それ」が腐ってしまう!
卯の花、舘葵、弟切草……。ノートに連なった名まえが黒線で消され、その横に新しい名まえが太く、揺るぎない筆致で書かれていく。むらさきの髪を隠すように帽子を深く被った森田さんは、花を探すことを止めない。湿度がさらに高まり、葉の気孔から立ち上る蒸気が此処に咲くものすべてを濡らしていく。
森田さんの後ろ姿が、合歓の木(今はもう違う名まえかもしれない)の繁みの影にふっと消える。そっとしゃがんで足元に咲いている新しい名まえの花を手折ると、かすかな棘が指を刺してちいさな赤い玉が咲いた。
けものみち・野藤狂 理柚 @yukinoshita
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