番外編 カンナギの過去『孤独のスケッチ』 第7話

 オープン棚から一冊、本を抜き取る。心理学系の本らしく、何度もページをめくったような跡と書き込みが確かめられた。丁寧にもとあった場所に戻し、さらにもう一冊適当な場所から本を取り出す。年号と見覚えのある人物の記述から、歴史系の本であることがわかった。


 ただし、単なる出来事の羅列とは違い、「歴史が『書き換えられてきた』」という立場から歴史を辿ろうとする立場を採用する専門書であった。僕が今すぐ読み解けるようなレベルの本ではなかったけれど、それでも、ただ疑う余地なく「覚える」対象でしかなかった「歴史」が、「書き換えられてきた」ということを銘打ったタイトルはとても魅力的に感じられた。


 何冊かランダムに手に取ったのち、今度はじっくり背表紙を追う。数学、宗教、哲学…多岐に亘る分野はどうやらジャンル分けされているらしかった。左右の壁一面の殆どを占有する冊数は尋常ではなく、集中してタイトルを見るだけでも骨が折れる。

 しかし――、「出会い」は突如訪れた。まるで、自分に向けられたような文言を携えたそのタイトルに、「目が合った」ような感覚に陥り、僕は瞠目した。



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 『脱常識の社会学』ランドル・コリンズ

 『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス』好井裕明


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 脱常識…? あたりまえを疑う…⁈ インパクトある字面が、頭の中で繰り返される。

「あたりまえ」は、疑っても…いいんだ――僕がこれまで感じてきたしっくりこない感じを、ちゃんと解き明かす方法があるかもしれないんだ。そう思うと心が高鳴った。


 ここで僕はあることに気がついた。どちらの本にも、「社会学」と付されているのだ。小学校でやっているのは「社会科」。小学校の社会の授業中に常識を抜け出そうとしたり、あたりまえを疑ったりするような、そんな大胆な試みに取り組んだ記憶はない。名前は似ているが、おそらく中身はまったくの別物だろう。


 ポケットからスマホを取り出し、「社会学」と入力し検索する。すると、検索結果ページの一番上に、こんな定義が表示された。



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 社会学とは…ズバリ「異なる価値観をもった人間たちが多数集まって形成されるこの社会を解き明かす学問」です。

   一般社団法人 日本社会学会 社会学への誘い

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 簡潔でわかりやすい説明だと思った。…とはいえ、具体的な内容はまだ掴めない。他のサイトもいくつか見てみると、社会学はどうやら数えきれないくらいたくさんの分野やテーマを扱っているらしいということが分かった。

 

 社会問題や労働、宗教、犯罪、環境問題、災害といったものから、家族のあり方や友だち関係のような僕にも身近に感じられるテーマもあった。なんでも、この「社会」に関係することなら何だってテーマになりうるというのだから驚きだ。


 (面白そうだな…でも、肝心の「脱常識」とか「あたりまえ」を疑うって、どうするんだ?) 


 見るともなく視線を二冊に移す。

 数秒迷ったのち、まずは比較的親しみやすそうに感じられた後者を選んだ。本屋さんで立ち読みをするときのように、僕は本棚を前にして立ったまま読み始めた。



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 個人の心理や精神のありようを調べ、自分とどう異質でどう一致するのかを明らかにするのではなく、普段の暮らしの中で、自分は他者とどう関係しているのか、他者とどう繋がれなくなっているのかを明らかにしたい、他者との関係の中での自分の位置、自分の場所を知りたいと思っているのではないだろうか。

 個人的な心理・精神の束として自分を考えるのではない。身近な親しい存在から始まり、はてなく続いていく無数の匿名の他者との繋がりの束として、自分を考えたいのではないだろうか。

社会学は、こうした他者と自分の繋がり、関係のありようを読み解いていく営みである。

好井裕明(2006)『「あたりまえ」を疑う社会学』p.11

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「他者とどう繋がれなくなっているのか……」


 無意識に記述された一節を読み上げる。

 ――これだ。いつしか僕のなかにひっかかっていたもやもやのひとつが、言葉となって表されている。やっぱり、あったんだ。気のせいじゃなかったんだ。自然と頬が緩む。


(この本にしおりは…ないか。ページは折りたくないし、付箋を準備しなきゃな)


 “他者と自分の繋がり、関係のありようを読み解いていく営み“

 

 手元の記述を眺め、読み返し、紐づけられそうな自身の記憶と疑問を手繰り寄せる。十年そこそこしか生きていなくとも、心の引き出しにはそれなりに切実な思いや問いが詰まっているものだ。

 

 ――人と繋がることが尊ばれ、また人との「繋がり」が希求される点は、僕なりに自身の感覚や経験になぞらえるかたちで理解できた。家族なくして生きられない自分、育ててもらっている自分、家族を大切に思う自分。……家族の中にあっても、孤独感と孤立感に駆られている自分。そしてまた、数々の「集団」から浮いてなお、友だちができることをどこかで願う自分。


 「繋がり」の重要性を肌で感じながらも、僕は「繋がり」の語られ方について偏りを感じずにはいられなかった。どうして、誰も話そうとしないんだろう。


 幼稚園や小学校では一貫して「みんな仲良くしましょう」、「友だちをたくさんつくりましょう」と号令がかかる。幼稚園はまだよかったのかもしれない。なんだかんだ言いつつ、無邪気に互いの手を取り合えたように思う。

 しかし、小学生の“友だちづくり”とは、そう簡単なものだろうか。幼かろうと、集団になればそれなりに序列が、立場が生まれる。「選ぶ者」と「選ばれる者」に分けられていく。僕はそのどちらでもなく、誰からも「選ばれない者」であり、そして「除け者」だった。




参考文献

⚫︎ランドル・コリンズ『脱常識の社会学』(1992)岩波書店

(※こちらは2013年に岩波現代文庫から第二版が出版されています)

⚫︎好井裕明『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス』(2006)光文社


参照サイト

 「一般社団法人 日本社会学会 社会学への誘い」 

 https://jss-sociology.org/school/(2022年1月16日閲覧)

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