番外編 カンナギの過去『孤独のスケッチ』 第8話

 小学三年生への進級時、初めてのクラス替えがあった。


 一年、二年生ととうとう友だちができなかった侑は、今度こそと心機一転、友だちづくりに挑んだ。勇気を要した。覚悟も要した。難航すると思われた挑戦は、拍子抜けするほど呆気なく成功した。初めての友だちができた。侑の胸はこれまでになく弾んだ。そこまではよかった。そこまで、だった――


 新しいクラスになってしばらく経ったある日、侑は陰口を叩かれ、仲間外れにされている女の子の存在に気がついた。女の子の顔は少し青ざめていて、伏せ目がちに最前列の中央席で小さくなっていた。侑はそんな彼女の姿にかつての自分を重ね、これじゃいけないと声をかけた。女の子は驚いた顔をしていたが、嬉しそうに笑った。侑も嬉しかった。大丈夫、みんな仲良くできる。自分が味わったような悲しい思いは、誰にもさせたくなかった。


 次の日、侑がいつものように「おはよう」と挨拶しながら教室に入ると、返事の代わりに「うわ、キモっ」という声がどこからか上がった。侑の胸がどくん、と波打つ。


 侑は動揺をかき消すように、努めて明るく「ねぇどうしたの」「何かあった?」と訊ねたが、誰も反応しない。


 幾人かが侑の様子をうかがい、ヒソヒソ声で話をしてはクスクスわらっている。嫌な空気だった。口の中に苦いものが広がり、身体が強張っていく。声をかけた女の子は昨日まで自分と一緒にいた友人らの中心で目を伏せたまま、こちらを見ようとはしない。


 なるほど、そういうことか――


 「交代」したんだ。彼女と、自分が。そうであるならば、もう何を言っても無駄だ。そう判断した侑は、心ない言葉や態度を背に受けながら自分の席に直行した。口を真一文字にきゅっと結び、歯を食いしばる。絶対に泣いてやるもんか。縋るなんてもってのほかだ。自分くらいは、これ以上自らを惨めな立場に追いやりたくない。


 「あいつ泣かないな」「やっぱり変なやつだ」という追い討ちがちらほら聞こえてくる。「やっぱり」という声に、侑は遅かれ早かれ、こういうときがきていたのだろうと悟った。


 そうして、侑は新しいクラスにおいても「除け者」になった。そんな侑の姿を目の当たりにした担任は、何かにつけて「仲間外れは良くないわ」「仲良くしなきゃ」を繰り返し、「かんなぎさんがかわいそうだからみんな仲良くしてあげて」と呼びかけた。

 

 空虚な呼びかけの数々に効果がないことがわかると、今度は学級活動の時間を使って友だちと仲良くすることの重要性を説き、侑を除く生徒らに「友だち」をテーマにした作文を書かせ、出来上がったそれらを順に読み上げさせた。この時間が一分一秒でも早く終わってほしいと願いながら、侑は固く目を瞑った。


 「仲間外れはいけないことだと思います」「これからはみんなと友だちになりたいです」「みんなが仲良しのいいクラスにしたいです」など、その場凌ぎとしか思えないような決まり文句が次々と読み上げられていく。誰が聞いても本心でないことは明らかだった。が、担任は「みんなわかってくれて良かった」と目を潤ませ、拍手を送り、満足気に頷いた。


 そして「良かったですね、巫さん。今の気持ちはどうですか?」と訊ねてきた。クラス中の視線が侑に集中する。身体から嫌な汗が噴き出してくる。ここで質問されるなんて考えてもいなかった。だからといって何も答えない態度が許される空気でもないことはよく分かる。悪意と好奇が入り混じったまなざしが、侑を追い詰めた。


 とりあえず起立する。深く息をしようとするが上手く吸うことができない。心臓がどくどくと波打っている。どうする、どんなに不本意でも、模範回答――「先生、みんな、ありがとう。これからも仲良くしてください」といったところか――をするべきか。そうすれば、きっとこの場は丸く収まる。そう、。何の解決にもなっていなくとも、きっとそれが「正しい」ことなんだ。侑は気が遠くなりそうだった。


「無理して仲良くしてもらわなくてもいいです」


 ――言えなかった。頭では「正解」にたどり着いていたのに、もう心の方が限界だった。侑の拒絶の言葉に、教室がしんと静まり返った。

 が、その沈黙はクラスメイトたちの罵声によりすぐに破られた。「こいつ最悪!」「こっちが無理なんだよ!」といった非難が飛び交い、教室はあっという間に異様な熱気に包まれた。

 

 侑は背筋を伸ばし、起立し続け、誰の顔を見ることもなくひたすら前を見据えた。可愛げがないと言われるであろう態度だと知りつつも、かといって落ち込んで見せることが最善とも思えない。何より、そんな姿を晒すのは悔しかった。


 ちょうど目線の先、「友だちを大切に」と書かれた黒板が嫌でも視界に入り、侑は苦虫を噛み潰す。騒ぎ立てる生徒らを諌める者はおらず、担任は額に手を当て「ふうーっ」と溜息を吐きながら空を仰いだ。芝居がかったその仕草には、それなりの年季が感じられる。大ブーイングのうちに学級活動は終了し、その放課後、侑は職員室に呼び出された。


 日々の学校生活を締めくくる「終わりの会」を終え、侑はランドセルを背負った状態で職員室に向かった。どっと疲れが押し寄せたが、本番はむしろここからだと気を引き締める。


 放課後、といっても高学年はまだ授業中だ。校舎内は人の気配が濃く、廊下を歩いていると遠くから賑わう声が耳に入ってくる。窓の方を一瞥すると、グラウンドで短距離走やドッジボールに勤しむ生徒らの様子が見えた。走るのはいいけどドッジボールは嫌だな、とぼんやりした感想が浮かんだが、どうでもいいことだとすぐに頭を切り替えた。侑は自身がこれまで抱いてきた「みんな仲良くしましょう」に対する違和感を表明するためのことばを探り続けた。


 侑の読書量は多い。それに、おじいちゃん子であること、比較的周囲に大人が多い環境で育ったことも手伝ってか、侑には年齢にそぐわない話ぶりが板についている。そのことが、これから臨む「呼び出し」の場面において吉と出るか、凶と出るか――


 職員室まであと数歩というところまで来ていたが、侑はまだ適切なことばを見つけられないでいる。違和感、息苦しさ、そうした掴みきれない諸々をより正確に表そうにも、似たり寄ったりの表現しか思いつかない。実際のところ、どう考えていいのかもよくわからない。同じようなところをぐるぐる回っているようなもどかしい感覚をひきずったまま、侑は教えのとおり、「失礼します」の声とともに職員室の引き戸を開け、一礼。いつもより深く頭を下げた。「どうぞ」の声に従って、担任のもとへ近づいた。


 先生、と後ろ姿に声をかける。担任は返事の代わりに座った状態で回転椅子をぐるっと回し、侑に向き合った。侑は姿勢を正し、目線を合わせた。


「巫さん、どうしてあんなことを言ったの? せっかく先生がみんなと仲直りさせてあげようと思ったのに……」

 

 口調の穏やかさに反して目は笑っていなかった。仲直り、という言葉にわずかな反発を覚えたが、本題のために受け流す。大きく息を吸って、心を落ち着けた。


「先生。教えてください。先生はよく『みんな仲良くして』とか『友だちをたくさんつくりましょう』って言いますが、どうして『みんな』と仲良くしなきゃいけないんですか? 友だちをたくさん作ることがそんなに大切なことなんですか?」

「なっ…」


 自分の母親より年上であろう担任の面食らった顔は次第に赤く染まり、口元はわなわなと震えている。不快感を隠そうともしない表情は、逆鱗に触れる一歩手前のものかもしれない。やはり駄目か――それでも、まだ何も言ってこないあたり、侑がさらに何を言い出すのか様子を窺っているようにも見える。ならば――


 決して反抗しているでも、不貞腐れているが故の疑問ではなく、心から「わからない」というこの歯痒さをわかってもらうべく、侑は渾身の意思表示を続ける。


「仲良くなれるなら、僕だって仲良くしたいです。最初は友だちができたと思って嬉しかった。でも……今、僕がどうなっているか先生ももちろんご存知ですよね。たぶん、この先クラスのみんなと仲良くすることはできないと思います。みんな仲良くしましょう、の『みんな』のなかに僕は入れてもらえそうにありません。僕を仲間に入れようとする子がいたとしたら、きっと次はその子が仲間外れにされます。無理やり仲良くしようとするより、もっと他に考えるべきことがあるような気がします」


 言った。満点にはほど遠いにしても、今の自分に言える範囲のことは言えたはずだ。鼻息荒く、じいっと侑の「演説」を聞いていた担任は、睨め付けるような視線をぶつけ、興奮気味に反撃とばかりにまくし立てた。


「巫さん、言いにくいけど、あなたのためを思って言いますからね。前々から思っていましたが、あなたは授業中もしょっちゅうおかしな質問ばかりしてきて、あなたのそういう素直じゃないというか、あたりまえのことをわかろうとしないところが、みんなから仲間外れにされる原因ですよ。私にはね、あなたより小さい子がいますけど、素直で可愛くて、ちゃぁんとみんなと仲良くして、たくさん友だちをつくってますからね。みんな仲良くするなんて簡単なこと、幼稚園の子でもできるのに! そんなあたりまえのこと、どうしてできないんですかっ? 口ばっかり達者で屁理屈ばかり言って、ほんとうに可愛げがない…! ああ、どんな育て方をされたらこういう心根の捻じ曲がった子が……友だちと仲良くするなんていう、ごくごくふつうのことがどうしてわからないの?! あなたみたいなね……」

「先生!!! ちょっと落ち着きましょう、ね?」


 担任のすさまじい剣幕に隣のクラスを担当する教員が止めに入った。担任の怒りに火を着けたのは間違いなく侑であったが、その怒りに薪をくべたのは彼女自身であると思われた。

 怒気を帯びた口ぶりは、だんだん悲鳴めいたものに近くなり、職員室中に響き渡っていた。職員室では授業をひととおり終えた教員らが仕事をしていたが、いつのまにか皆、侑と女性教員の一騎打ちを見ていたらしい。担任はまだ何か言いたげな顔ではあったが、さすがに周囲の目が気になったのか、怒りをひた隠すように「わかりました」と咳払いした。


「ちょうど家庭訪問の時期ですからね。あなたのお母様と一度ゆっくり話をしなくては、ね」


 そう言うと、にぃっと口端を持ち上げ、侑の肩に手を置いた。手の置かれた肩のあたりから、重苦しい嫌な気持ちが侑の身体に広がっていく。自分はともかくとして、大切な母がなんと言われるかを想像すると、今度こそ涙が出そうになった。侑は力なく項垂れた。

 

 侑のあまりの落ち込みぶりを見かねた教員――先ほど仲裁してくれた隣のクラスの担任――が、「今日はもう帰りなさい」と侑を促した。


 職員室を出て、とぼとぼと玄関口へ向かう。上履きをかかとで交互にずらして脱ぎつつ、少し背伸びをして下駄箱に手を入れると、手の甲に何かが触れた。それは、小さく折りたたまれた紙だった。

 中を確認すべきか少し迷ったが、気になって広げてみると、可愛い猫のイラストがプリントされたピンクのメモ用紙に無記名で「ごめんなさい」とだけ書かれていた。職員室を出る時から堪えていた涙が、右の頰を一筋つたった。


 昨日友だちになったはずの彼女が、自宅で猫を飼っていること、そして、猫が大好きだと言っていたことを思い出す。多分、そういうことなんだろう。侑はじっと考えこんだ後、メモ用紙を折りたたみ直し、ブレザーのポケットにしまい込んだ。

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