番外編 カンナギの過去『孤独のスケッチ』 第3話

「侑へ」と記された封書。引き出しの中に入っていたのはこれだけで、まるで、僕が来るのを待っているかのように見えた。


 はやく「おじいちゃん」に会いたい気持ちを抑え、深呼吸をひとつはさむ。両手でそっと封書をすくい上げ、のり付けされた封筒を丁寧にがしてゆく。あの不可解な夢から目醒めたばかりでまだ少し頭がふわふわしていたものの、実際に祖父が遺した封書を手にすると改めて現実――祖父が亡くなってしまったということ――を突きつけられた気がして、急速に意識が冴えていった。


 あれは、僕の「願望」がみせた夢なのか。


 目にした情景は迫真以上だったし、右手に残る祖父の温かさ、抱きかかえられた感覚のたしかさ、これらもすべて「夢」で片づけてしまうのはあまりにも割り切れない。糊を剥がし終え、複雑な気持ちで封を開ける。


 中に入っていたのは、半分に折りたたまれた手紙、図書カード、そしてディンブルキー。まったく心当たりのない鍵には目もくれず、すぐに手紙を確認した。


 四隅に杜若かきつばたがあしらわれた便箋びんせん――白練しろねりの紙が、杜若の色を際立たせている。

 いったいいつ、祖父はこの手紙をしたためたのだろうか。もちろん、そのことを知ろうにも祖父にくことはもうできないのだけれど。


 本文に目を遣り、あることに気がつく。


 僕がよく知る祖父の筆致は、いわゆる「くずし字」というのだろうか。大きく伸びやかで勢いがあるのに、繊細な印象も与える。祖父という存在がもつ奥行きをそのまま表したかのような文字だ(何かにつけてつい祖父の自慢をしてしまう。大目に見て欲しい)。

 ――が、手紙に残された肉筆は、初めて見る祖父の楷書体かいしょたいだった。おそらく、僕が読みやすいようにとの配慮なのだろう。

 ひとつひとつに宿る祖父の心配りを感じ取って嬉しいはずなのに、僕の寂しさは増していくばかりだった。それでも、僕が取る選択肢はひとつしかない。一旦目を閉じて「おじいちゃん、ありがとう。今から読むからね」と心の中で呼びかけ、お手本のような楷書を辿った。



――――――――――――


 侑、少し早いけれど、誕生日おめでとう。

 長いお手紙になってしまうけれど、ゆっくりでもいいから、どうか最後まで読んでください。


――――――――――――



 「どうか〜」の箇所はわずかにインクのにじみがみられた。込められた筆圧に祖父の想いを推し量った。どんなに長くても、最後まで読むに決まってる。なにしろ最初で最後の、祖父からもらった手紙なのだ。



――――――――――――


 侑、おじいちゃんは侑にずっと謝りたかった。たくさん、謝りたいことがあります。

 まずは家族想いの優しい侑に無理をさせてしまっていたこと。

 でも侑は、きっと本心から「無理してないよ、大丈夫」と言うんだろうね。


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(無理なんか…「僕」がしたくてそうしてるんだよ)


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 大切な人が喜んでくれるととっても嬉しいよね。おじいちゃんも侑が喜んでくれたらとても嬉しいから、侑の気持ちはよくわかるつもりだよ。でもね、侑。少しだけ、立ち止まって考えてみて欲しい。喜んでもらおうとしている「侑」は、どんな状態だろうか。それについて目を向けたことはあるかな?


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(――僕の状態……?)


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 おじいちゃんからみた侑はとても感受性が強くて、想像力も豊かだ。そして、大人顔負けの鋭さも持っている。

 ただ、そうであるがゆえに相手すら自覚していない奥底の要求や期待も汲み取って、応えようとふるまっていることが頻繁にあるのではないかとも思うのです。

 相手のためを思って実際に行動に移すことはとても尊い。けれどもそれは「自分が無理なくできる範囲」、つまり「等身大の自分で応えられるもの」に収まっていることが条件です。おじいちゃんはね、侑が相手の願いや周囲が求めている(かもしれない)望ましさに則ってふるまおうとするたび、自分でも気がつかないうちに自らを抑え込むことを繰り返しているんじゃないか、その積み重ねが「侑として生まれてきたこと」を否定している行為に繋がっているのではないかととても気がかりです。

 そうは言っても、大切な人のためなら多少無理をしてでも、つい応えたくなってしまうよね。それでも、おじいちゃんは、まず侑が「侑でいること」を大切にしてほしいです。おじいちゃんの言う「侑でいること」がどういう意味で、なぜ大切なのかは、あとで書くからね。


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 ――ねぇ先生、あの子やっぱりなんか変だよ。あっち行って!

 ――あんたなんかもう産むんじゃなかった!

 ――まったくお前は何を考えているのか分からん子だな…気持ち悪い

 ……………


 僕に向けられてきた拒絶や否定の言葉が鮮明に再生される。苦い記憶ほど消えるどころか、その存在感をどんどん増して僕の中に蓄積されていくものだから困りものだ。

 僕が僕でいること、それは周りのみんなを不愉快にしているだけなんじゃないのか。そもそも生まれてきたこと自体が…いいや、あれは違う。きっと本心じゃない。

 おじいちゃんは、僕のおじいちゃんだから、優しいから、僕を可愛がってくれたんじゃないのか――?

 祖父の意図を見誤らぬよう、一字一句見逃すまいと肉筆を必死で追いかける。


――――――――――――


 おじいちゃんが侑に小学校で仲が良い友だちがいるのかいたことを覚えているかな。そのとき侑は「いないよ。大体ひとりでいるから」と言ったんだね。おじいちゃんが思わず「寂しくないのかい? 大丈夫かい?」とたずねたら、侑は力強く「最初はどうしようかと思ったけど、今は大丈夫。無理やりわかってもらう必要はないし、僕はひとりの時間も好きだから」と応じてみせた。そんな風に言えるようになるまで侑がどれほど孤軍奮闘したかを思うと、どうしておじいちゃんはもっと早く気づいてあげられなかったのかと心から悔やみました。

 そして、…侑はさらに「ひとりの時間が好きなのに、時々ひとりがすごくさみしい」とおじいちゃんに話してくれたね。それからこう続けたんだ。「家族がいるのに、僕はひとりだ」と。「ひとり」の時間が好きな侑、家族のなかで「ひとり」であることを感じた侑。おなじ「ひとり」という言葉を使ってはいたけれど、小学校でいる「ひとり」と家族のなかでの「ひとり」は、侑にとってまるで意味が違うよね。

 あのとき、おじいちゃんはなにより侑の感性の鋭さにとても驚きました。きっと侑はおじいちゃんが考えているよりずっと、細やかに色んなことを感じ取って心に留めてきたんだね。

 おじいちゃんの驚きが伝わってしまったのか、侑はハッとした顔をして「ちゃんとおじいちゃんがいるのにね。おかしなことを言ってごめんね」と申し訳なさそうに笑ってくれた。おじいちゃんはたしかに驚いた顔をしてしまったけれど、さっきも少し触れた通り、それは決して侑の発言に傷ついたからではないんだよ。そのことをその場ですぐに伝えるべきだったのに、「学校でひとりでいること」を選んだ強い侑が、大好きな家族のなかで「ひとり」を体感している事実を目の前にして、やはり胸が詰まってしまい何も言ってあげられなかったことをとても後悔しています。


――――――――――――



(覚えてる。二年くらい前かな。学校でも自分なりの過ごし方にようやく折り合いがついた頃だっけ…)


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 大好きな家族と一緒に居ながら「ひとり」の感覚を抱えること。その感覚…つまり「孤独」はとてもつらく、苦しいね。どうにか逃れたくても、一度気づいてしまったらもう知らないふりはできなくなってしまう。侑は冗談めかして「お父さんもお母さんも僕を見捨てず一生懸命育ててくれている」と言っていたね。いつも相手の立場や気持ちの面まで想像しようとする侑だ。相手なりに自分を大切にしてくれていることもわかっているんだね。わかってしまうだけに信じたい、大好きだからこそ悪く思いたくない…もやもやした気持ちをたくさん抱えながら、ひとりになってしまう理由や孤独を感じる原因をすべて自分の内に求めて、ぐっとこらえ続けた侑は本当に頑張ったね。


――――――――――――



(僕は…そうか、頑張ってたんだ。頑張ったね、って言ってもらえるんだ…)


 手紙が小刻みに揺れる。全身が震えていた。下まぶたのあたりが熱くうるむ。


 ――今ならわかる。気がつけば内罰的な考え方をして、いつも僕自身を責めていたこと。他に方法を知らなかった。だからって周りのせいにすることも何かに落ちない。それは違う気がしていたし、今もそう思っている。つくづく面倒くさい考え方をしてしまうけど、きっとこれが僕の性分なのだろう。



――――――――――――


 侑、望まない「孤独」はたしかに寂しいね。誰かにその孤独を埋めてもらえたら楽かもしれないけれど、その「誰か」は誰でもいいわけじゃないね。おそらく侑は、もう既にそのことに気づいている。だからこそ、学校で「ひとり」いることを選んだのだと思います。

 孤独が生じるのは…そうだね、互いの関係性や社会のあり方そのものにも大きく依拠しているとも考えられるから、人々の中に身を置いている以上、一切の孤独を感じずに生きることは難しいかもしれない。


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(「互いの関係性」「社会のあり方そのもの」…どういうことだろう? 心の問題だけではないってことなのかな…?)



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 ここで少し考えてみようか。孤独を感じない時…言い換えると、自分はひとりじゃないと思えるのはどんな時かな?

 いろんな場合があると思うけど、たとえば、誰かに自分のことを理解してもらっていると感じている時なんかはそうかもしれないね。お父さん、お母さん、まわりにいる大人の人たちに自分が考えていることや感じていることを理解してもらえている、受け入れてもらえている。理解者だったり、理解しようとしてくれる人がいるというのはそれだけで心強いよね。

 一方で、「誰かと同じである」という状態も、自分ひとりじゃないと感じられて安心できるかもしれないね。お友だちと好きなものが同じだったり、興味の対象が似通っていたりすると気が合うと嬉しくなったりするよね。

 でもね、侑。


――――――――――――


 祖父の声で語りかけられているような感覚を覚えながら、僕は四枚目の便箋をめくった。

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