応援コメント

「第11話 キーワード:感情の社会学、社会学ってなに?」への応援コメント

  • 刺さるものがあり、眉間にしわを寄せて読ませていただきました。
    紫月さまの意図するところではないのかもしれませんが、カンナギくんがクラスで超然と構えているように見えるのが、少々つらく感じてしまいました。
    現代社会、学校であれ、企業・団体であれ、組織にいる以上、他とかかわらざるを得ません。
    たとえば、教師から「今日は好きな相手とペアをつくりなさい」と言われた場合、カンナギくんはどのように行動するのでしょう。
    色々と考えながら読み進めております。
    このあと、ミシェル・フーコーなども登場するのでしょうか。
    関係が意味をつくることなどにも触れていただければなあ、と勝手に夢想しています。

    作者からの返信

    大変丁寧にお目通しくださり本当にありがとうございます。

    「意図するところではないのかもしれませんが〜」とのこと、とんでもないことでございます。北島さまが物語に、カンナギに心をお寄せくださったこそのご感想なので、大切に受け止めさせていただいております。

    “超然と構えているように見える”とのことで、もちろん、作中でカンナギが言っていた通り、全く何も感じていないわけではないのですが、どうしてそこまで堂々としているのかについて、実はこの後の番外編で語られるカンナギの過去にキーがあります。もし、お気が向かれましたら、ぜひご覧になってみてください。

    「社会」に生きている以上、いかなる集団においてもほかと関わらざるを得ないのは本当にその通りですよね。
    「好きな相手とペアをつくりなさい」という教師からの指示に対するカンナギの行動については、私の中に画はあるのですが、あえてここでは申し上げずにおくことをご容赦ください。

    フーコーは登場するとしてもかなり先になりそうですが(私の思いとしましては、できるだけ、一人ひとりが提唱した理論や概念にしっかりふれていきたくて…)、作中全体を通して、そしてこの後の社会学カフェの中で、社会学の骨子の一つである「関係が意味をつくる」ということについて多面的に(直接・間接含め)触れておりますので、この先も長い話にはなるのですが、よろしければお付き合いいただけましたら幸いに存じます。

    ご感想を本当にありがとうございました。