第3話

 ようやく昼休みに入った。

 安くて美味しいと評判の学生食堂には、学年を問わず大勢の生徒が我先にと詰めかける。この食堂は学校としても自慢らしく、学校案内のパンフレットには「文化財に比肩する歴史ある食堂」と紹介されているのだが、創立以来一度も建て替えたことがないというだけで、建物から内装まで何もかもがとにかく古い。


 築年数の経った建物ならではの色褪せた壁に傷だらけの床。年季の入った簡素な長机と背もたれのない木製椅子。


 見渡す限り古びた要素しかないにもかかわらず、建て替えや改修を望む声が出ないのは、食堂の清掃を請け負う老婦人らのおかげであると思われた。彼女らの完璧な仕事ぶりによって、食堂は清潔感に溢れ、そしてまた、学校側も堂々と文化財に比肩する――などの謳い文句を用いることができているのだろう。 


 食堂には全校生徒分の座席数が用意されているため、利用者が席取りに困ることはまずない。が、その収容人数に比べて食堂の調理担当は明らかに少なかった。


 昼休みとして割り当てられた時間はみな等しく五十分。ゆとりをもって食事にありつくには、いかに早く注文を告げるかにかかっている。


 それゆえ、先頭の者が「カレー」と注文すれば、後ろに続く何名かが「俺らも!」「私もー!」と声を上げるスタイルがいつしか定着していた。


 食券を調理担当者に手渡しするのは先頭から数えてせいぜい二、三人。後ろにいる生徒らは食券を投げ込むようにして注文を完了させる。


 当然、カウンターには食券が乱雑に散らばっていくわけだが、熟練の担当者たちは混乱することもなくバラバラの食券を即座に整理し、誰が何を注文したのかを見分け、配膳していく。


 部外者から見ればわざわざ食券を購入し順番に並ぶ意味があるのか、文句は出ないのかと疑問に感じるだろう。


 しかし、心の内はどうあれ、異を唱える者はひとりもいなかったし、「郷に入っては郷に従え」よろしく、上級生らのやり方に倣って新入生らもこのスタイルを学び、そして当然のように受け入れている。


 人が集まるところで円滑に物事を進めるにはなんらかの「規律」や「ルール」が必要だ。しかし、それらがあるだけでは意味がない。


 人々がその規律なりルールなりを受け入れて、それらに従って行動することが重要なのである――この食堂で通用している特殊な注文スタイルはいつから始まったのか。最初からこうだったとは思えない。一見滅茶苦茶な注文のやり方だけど、なぜみんな受け入れているのか。過去に誰か注意する人や異議を唱える人はいなかったのか。

 捌ける担当者がいなくなったら、一気に崩壊しそうな危ういルールだ。いや、それよりも……。


 日常の些細な一コマを見つめるカンナギの頭の中で、ちいさな疑問と推測が次々と浮かんでは消えていく。


(まぁ、サンドイッチを持参している僕にはあまり関係ないし、そもそも食堂の独自ルールやなんやらに興味はないんだけど)


「お待たせー」

 無料で提供されているお茶を汲みに行った蓮が戻ってきた。カンナギは「ありがとう」と蓮に礼を言ってからプラスティック製のコップを受け取り、早速一口啜った。


 外は大雨で、少し肌寒い。

 ほんのり温かいお茶が、有り難かった。




「今日も混み合ってるね」

「まぁね。僕らご飯あるんだし、わざわざこっちまで来なくても」

「でも教室で食べるのは……ちょっとさ」

 蓮の言わんとすることを察したらしいカンナギが軽くため息をついた。

「まあ、たしかにジロジロ見られながら聞こえよがしにごちゃごちゃ言われるのには煩わしいものがあるな」


 やっぱりそうだよな、と蓮は食堂を選んで正解だったと胸をなでおろす。学内でカンナギと距離を縮めようにも、教室では当然のように横槍が入る。その点、食堂は色々と都合が良かった。

 もちろん、食堂を利用するクラスメイトらがいないわけではない。が、そこは他学年や教職員も入り混じる雑多な空間である。座る場所に気を配りさえすれば、教室よりもはるかに視線は分散するし、余計な雑音も入りにくくなる。

 蓮にとって食堂は、カンナギと気兼ねなくコミュニケーションを図るための「隠れ蓑」であった。


(どうして、カンナギだけが……)

 蓮は胸の内だけでやりきれない思いをつぶやく。

 新しいクラスが発足してまだ一週間と経たないうちに、カンナギはクラスメイトから「異分子」とみなされ、爪弾きの対象となった。


『仲間はずれにされるあいつの方に問題があるんだよ。だから気にすんなって、レンレン』


 まるで自分達の側に正義があると言わんばかりのクラスメイトらの言葉が蓮の脳裏に蘇る。

 個人的な感情を差し引いたとしても、蓮はカンナギに非があるとは思えなかった。


 カンナギは、一見すると地味な印象だが、クラスの中で目立たないというわけではなかった。むしろその逆で、カンナギの個性的な存在感はクラスメイトらの目を引いていたように蓮は思う。

 何を感じ・考えているのか分かりづらい表情、こちらの存在が霞むような油断ならない雰囲気。それらは蓮にとって「ミステリアス」という表現がしっくりくるのだが、クラスメイトからすれば「気味が悪い」ということになってしまうらしい。


 そんなカンナギに、新たなクラスで友人づくりに勤しむクラスメイトらが話しかけることはほとんどなかった。集団を形成するのに、異質な人間は真っ先に排除の対象となる。


 それでも、クラスの「お調子者」や「道化」ポジションにいる生徒らが、自分たちとの共通項を見つけようとしたのか、同調の笑いを誘うような悪ノリ――カンナギを、あるいはクラスの誰かや教師を揶揄することで笑いを取ろうとする――をカンナギに持ちかけたことがあった。


 しかし、カンナギは最後までそうした同調関係に与しなかった。ある時は穏やかに、またある時は毅然として、同調を強いる行為を退けた。そんなカンナギの姿勢は、クラスメイトらのさらなる不興を買った。


「せっかく仲間に入れてやろうとしているのに、空気が読めないやつ」――そんな共通認識が、彼・彼女らの結束を固めてしまったのかもしれない。


 本来であれば、「異分子」カンナギと一緒に居る蓮も、クラスメイトらによる「同調圧力」の制裁を受けるはずだった。


 が、今現在まで誰一人蓮を悪く言う者はいなかったし、矛先は依然としてカンナギにのみ向けられている。


 なぜ自分は未だに「人気者」として扱われているのか。


 クラスメイトらは蓮が人気者たる根拠を文武両道、容姿端麗、その上温厚篤実な人格者といった完全無欠ぶりに置いているようだったが、これらの他者評価を額面通りに受け取れるほど蓮の自負心は強くない。


 それに、他人の評価というものが時にいい加減で、移ろいやすいものであることを蓮は知っている。個人そのものではなく、境遇も含めて判断されることも――

 蓮という人物を語る上で外せない点は、この地域に住まう者なら誰もが知る地元の名士の一人息子であるという事実だろう。


 由緒ある有力な「イエ」とは、さしずめ本人の意志とは無関係に発動する強力な防壁と言うべきか。その「防壁」を失ったとき僕は果たして――蓮はぐっと奥歯を噛み締め、向かい側に座るカンナギを見遣る。


「カンナギはさ、その……学校に来るのがつらいとか、しんどいとかはないの?」

「なんだ急に」


 カンナギは目線を下にやったまま持参のサンドイッチを包むフィルムを一生懸命剥がしていた。せっかくの昼食が不味くなるような話題を振っている自覚があるだけに、蓮は言い淀む。


「だって……カンナギに対するクラスのみんなの態度はちょっと……」

「ああ、まぁ良くはないな」


 憤りも悲壮感もない淡々としたカンナギの口調に蓮はかえって心配になる。カンナギは、本当のところ、どう思っているのだろうか。


「そもそも、『学級』って制度に無理があると思うんだよな」

「えっ?」

 

 てっきり、「つらい」とか「悲しい」とか、もっと情緒的な返答が返ってくるものと思っていた蓮は、らしくない素っ頓狂な声を上げていた。制度? なぜそういう話に? カンナギの言わんとしていることに合点がいかず、蓮は目を丸くする。


「いや、考えてみてよ。好みや考え方も違う、ただ同じ年齢ってだけの人間をまとめてひとつの狭いクラスに詰め込んで、さぁみんな仲良くやりましょうっていうの、無理があるだろ」

「……言われてみたら……そう、思えなくも、ないかな」


 学級によって区切られた教育制度で育った蓮にとって、考えてもみなかった切り口であった。

「みんな仲良く」するのは正しくて、いいこと。

 だから、「仲良く」するためなら多少無理をしてでも「みんな」に合わせるべきだ。「みんな」からはみださないよう、常に空気を読み、気を配るべきなのだ。それらは決して無意味な我慢や苦行などではない。しかるべき社会性――そう、「協調性」を育むためには必要な態度で…………


(無理があるっていうのはわかるけど、かと言って仲良くしようとしないのは協調性が欠如していると思われるんじゃ……)


「こういうこと言うとさ、『協調性がない!』って怒られそうだよな」


 自身の思惑を見透かしたかのようなカンナギの言葉に、蓮は動揺する。試されているのか? いや、それは違う。即座に蓮の直感が否定する。しかし、どう返していいのか分からず、「そんなことは……」とつぶやくのが精一杯だった。


「みんなと仲良くしましょうってことに無理がある、とは言ったけど、それは好き勝手に振る舞っていいって意味じゃないぞ。

『協調性』っていうのはさ、自分と違う意見を持っていたり、異なる立場にある人たちであっても、互いに譲り合ったり歩み寄るとかして力を合わせていくことをいうだろ? でも、学校生活や集団生活で身につけるべきとされる『協調性』って、周囲と合わせることばかりに重きが置かれて、本来の『協調』を履き違えているような気がするんだよ。『協調』は『同調』ではないはずなんだけどな」


 一呼吸置いて、カンナギはさらに続ける。

 

「合わないなら合わない、でいいんだよ。お互い、個性の違う人間同士なんだから、それは仕方ない。ただ、合わないってなった先で、どうするのかっていうのは色々あっていいと思う。歩み寄るのも良し、無理なら無理で一定の距離を置いたっていいんだ」


 カンナギの柔軟な考え方に触れ、蓮は自分が思っている以上に「あるべき論」に縛られていることに気づかされた。自身が置かれた状況に疑問を抱かず甘んじて、誰かがつくったルール、みんなが共有しているであろう「一見」望ましいとされる価値観に浸かりきっている。


「……合わないからって、わざわざ攻撃してこなくったっていいよな。僕だって、悪意を向けられればそれなりに傷つく」


 思いがけず打ち明けられた、カンナギの本心だった。

 深い悲しみを宿しているかのような、静かな微笑みを浮かべるカンナギを前に、蓮は言葉を失う。飄々としているように見えても、心まで鋼であるはずがなかったのだ。


「ま、やられっぱなしというのも悔しいから、受け流す術も身につけつつはあるけどね」

 動揺する蓮を気遣ったのか、カンナギはまたいつもの調子に戻り、サンドイッチをぱくりとかじった。


 きっと、たくさん傷ついてきただろう。それでも、挫けず、泣き言も言わず、周りに流されることもなく、カンナギはまっすぐ生きている。

(僕も、君のようにあれたらな――)


「カンナギは強いね。強くて、すごくかっこいいよ」

「突然どうした、買い被り過ぎだぞ」

「本心だよ。それに、他の人たちとは全然違う方向で物事を捉えてるところも、すごいなって思う。でも……クラスのみんなのこと、嫌になったりしないのか?」

「そうだな、控えめに言って」


 神妙な面持ちのカンナギに、蓮は自然と背筋を正す。


「だいっっっ………きらいだ!!」

「ぷっ」

 思わぬカンナギの口振りと声量に蓮は吹き出した。こんなおどけ方をするなんて。

「あはは! 全然控えめじゃないじゃん!」

「そうか? それはもう手加減したんだが」

「いやもう力の入れようもそうだけど、間のとり方とかすごかったよ」

「あ、そろそろ昼休み終わるし、行くわ」


 サンドイッチを口いっぱいに頬張ったカンナギがそそくさと駆け出した。


「あ! 待ってよ、僕も行く!」

 

 カンナギは切り替えが早い。そろそろ慣れなくては。

 残ったお弁当は後で食べればいい。蓮はためらいなくカンナギの背中を追う。


 二人の背中をじっと見つめるクラスメイトのひとりも遅れて食堂を後にした。

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