誰のモノ
手の拘束が祓われる。手が勝手に持ち上がった。
「やめてくれ!」
止まれ。動くな。畜生。
「くそっ」
手のひらに、脆くやわらかい感触が伝わってくる。ラフィの首が僕の指の形に合わせて沈んでしまった。引きはがそうと力を込めているのに、暴れまわる力は何も聞いちゃくれない。
「違うんだ、ラフィ」
「ええ。分かっています。暁さんが、こんなことするはずないですものね。聖女ヴィーネ、でしょう?」
穏やかで深い笑みと、対照的な万力のような力。
腕が少しだけラフィの首から離れると、ラフィの目が静かな怒りを体現する。
「死人なら、私たちの門出を祝ってくださいよ」
「がっ」
誇張なく、視界が白くなった。
体内で、別の穢れが暴れ、ひっかきまわし、塞ぎまわしてくる。
『ずるい』『羨ましい』『あなたは自由なのに』『ずるい』『邪魔』。
何も出るわけないのにえずき、腰が曲がり、視界が歪む。
それでも手はがっちりと掴まれているのだから、今の僕は随分と滑稽な姿をしているのだろう。
気が付けば、僕の指も僕のもがきに合わせて動いていた。
解放、されたのか?
違うか。
先程流し込まれたラフィの『穢れ』が、暴れているだけ。勝手に戦われて、体力がどんどん消耗していっているだけか。
何でこんなことしているんだろうな。
「理解してくれたみたいで、なにより」
笑いを含んでいたラフィの言葉が途切れた。
遅れて、僕の左手が突き飛ばしたのだと理解する。よろめいたラフィに、追撃の光。黒いステンドグラスがラフィの前に展開され、光を防いだようだ。
ひとまずは、安心だけど。
「ヴィーネ様、やめてください」
左手を右手で掴む。瞬間、右腕を内側から掴まれたような気がした。足も、ナニカが覆うように巻き付いてくる。肩にも違和感が走って、体勢が崩れそうになるのにナニカに支えられて崩れはしない。崩れはしないが、頭は下に。足は、何にも巻き付かれていなかったか。内側から? いや、肌の下からか。良く分からない。
喉に何かがせり上がってきた気がした。気道が埋まった気がした。
でも、普通に呼吸は出来る。塞がれてはいない。
耳に何かがつまり、膜が張られたような気がした。
こちらは、音の聞こえがどうなのかは分からない。それどころじゃない。
手足の感覚もどこか違う。僕の意思とは直接繋がっておらず、どこかでナニカを介して遠隔で繋がっているような。自分の肉体から引きはがされているような。
僕を、吞もうとしているのか?
そんな、まさか。馬鹿な。
光が目に刺さる。
眼球は僕の思い通りに動いてくれるようで、すぐに光源を見つけられた。
銀色の、手の甲と指を銀色の金属で覆い、残りは黒い布で覆われた手甲が、左手に。
その左手は宙に顕現しつつある直剣を掴もうとしていた。銀色の刃を金色の線が淵となり囲っている、シンプルだが人を見惚れさせる剣。太陽の剣。ヴィーネ様の愛剣。
「やめてください」
右手は、何とか動かせる。
なら、やることは一つ。自分の左手を抑えるだけ。
左手を掴む力を強くすれば、抵抗するように黒いナニカが左腕から噴き出した。
巻き付き、腕を何倍もの太さにして。聖なる鎧とは対照的な忌々しさ。グロテスクな見た目。剥き出しの筋肉とヒルの脈動。
浅くなりかけた呼吸を、飲み込んだ。
心臓はうるさいのは変わらないけど、やらねばならないことは変わらない。
右手で、左手を下げるべく力を籠めた。左手は、意に介さずに何年かぶりに完成した剣を掴む。
「ラーミナ、ラーミナ!」
呼べば、力を復帰させたらしい連れが一直線に僕の左腕に突っ込んできてくれた。
大あごで肥大化した黒がついている左腕を挟み、地面に押し当ててくれる。
「ふふ。そう言うことですか」
ステンドグラスを幾つかに分けて宙に浮かせたまま、ラフィが顔を覗かせた。
初めて、ラフィの表情から何も読み取れないと感じてしまう。怖いと思ってしまう。
「そう言うこと?」
予想以上に、自分の声は途切れ途切れで。
「ヴィーネ様の意思はバラバラでしたかと思いまして。ふふ。だって、年上のお姉さんとして暁さんを守りたいと思っているヴィーネ様は私を攻撃しようとして、私と遊んだ経験のある無邪気な少女は私を護ろうとしてくれている」
ラフィが一歩近づいてくるごとに、左腕の力が強くなる。
暴れて、暴れて。ラフィを攻撃しようと。
僕はラフィを攻撃なんてしたくないのに!
「可愛い子ではないですか」
ラフィが手を伸ばした。
ラーミナが、僕の左腕から離れてしまう。
「ラーミナ」
語気を強めちゃったけど、ラーミナを責められないとは分かっている。
カンパーナの連れのグラッソを祓えるだけの力の持ち主が、一度でも敵意を向けてきたのだ。ラーミナがやられることは、僕も絶対に避けたい。
左腕が振り上げられた。
「ラフィ! 逃げて!」
攻撃なんてしたくないのに! なんで!
「心配しないでください」
状況に合わないほどやさしい声のあと、左腕がナニカにぶつかって止まった。
ステンドグラスだ。黒ではない、紫と黄色と桃色の、いつもの綺麗なステンドグラス。
「貴方は、私の許可していない『穢れ』ですよ」
ラフィが笑顔のまま、僕のグロテスクに肥大化した左腕に触れた。
どくん、と鼓動を打ったような衝撃が走る。
黒いヒルでできたような肉塊が溶けるように崩れ落ちて、汚らしい水音を立て始めた。吐瀉物のような黒いヘドロの間からいつもの僕の腕が覗く。
力を失ったように落下していく僕の左腕だが、未だに僕の思い通りには動いてくれない。
それでも右手一本で抑えられるようになったのはまだマシか。
上から押さえつけて、剣先を地面に埋めて。あとは体重をかければ左腕がラフィに剣を向けることはできないだろう。
「ラフィ。それだけの祓える力があるなら、ラフィ自身のその『穢れ』を」
顔を上げた先に、ラフィは居なかった。
一瞬の視界の乱れの後、唇に、また、馴染みの感覚。
「んっ」
脳が内側から弾け、目玉が両脇から潰される様な錯覚に襲われた。
あまりの衝撃に膝が折れ、左手が自由になってしまう。
「それは聞けませんよ、暁さん。でも、暁さんが私を攻撃したくないという気持ちは良く伝わりました。暁さんが苦しんでいることも」
攻撃に行ったはずの左手が、ラフィの手に優しく包まれる。
光、暴れまくるが、ステンドグラスにも捕まって。
左手の動きは完全に封じられたようだ。
「一緒になりましょう、暁さん。そうすれば、暁さんを苦しみから解放してあげられます。暁さんは私を攻撃しなくて良い。体を奪われることもない。そうでしょう?」
「それは、そうだけど」
「何を迷うことがあるのですか?」
何を?
……何を、迷うことがあるんだろうな。
このまま呑まれるくらいなら。呑まれてラフィを攻撃してしまうくらいなら。
ラフィの提案を受け入れた方が、良いんじゃないか?
「この力は、ずっと暁さんと一緒に居るために手に入れた力です。私が作る街はもう誰も私たちを傷つけはしません。誰も非難はしてきません。みんな、私と暁さんの子供です。理想の街を守り抜けるのです。誰も不幸にならないのですよ。私と、暁さんが一緒になってくれれば、ですが。でも、これ以上誰も聖女を堕とさせないことだって、可能です。見たでしょう? 私の力を。暁さんが居れば、もっともっと頑張れますから。ね」
左手が暴れ続けるも、ラフィに祓われ抑えられ。害を加えることができなくなっている。
本当は自分で抑えるべきなんだろうけれど。ラフィに任せて安全なら、全てをラフィに預けても良いかも知れない。なんて、思ってしまったりも、する。
「ええ。それで良いのです。私に、全て任せてください」
ラフィの手が僕の後頭部に回った。どろり、と布団のような黒が肩までを覆う。
無味無臭の粘液のような物体のはずなのに、やけに気持ちが良い。
このままで、良いか。
左手も、なんか、楽になった気がするし。
「んー」
夢心地でいたのに、不満気な、少し抜けた声が聞こえた。
ラフィが離れてしまう。
「口を出さない気なら、最後まで出さないでいただけますか? 奏雨さん」
あれ、なんで。
いや、それよりも黒に覆われて良いはずがない。
「会ったことも無いのに。良く名前が分かったねー」
「そちらこそ、強化個体でしたのに随分と楽に倒してしまうだなんて」
「ほら。ボク、天才だから。ごめんねー」
よっ、と声を出して、奏雨が黒い花畑に降り立った。
ラフィの目が奏雨に行っている内に、黒の下でラーミナから刀を受け取る。力を籠めて、いつでも黒を消し飛ばして脱出できるように。
後は脱出した瞬間に左腕がラフィを襲わないですむタイミングをはかって。
呑まれるのは御免だ。けど。うん。何度か認めてしまっているのは、僕の心の弱さ故か。
「天才ですか。天才と呼ばれる人の発想がどのようなものかは分かりませんが、人の恋路を邪魔するのはいけないことだと分かっておりますよね?」
「うーん。ボクも黙っているつもりだったけどさあ。様子から見て暁は呑まれそうになっていたでしょ? 呑まれたらボクのエモノだからさあ。まあ、キミもそのうちボクが食べるつもりだったけど、バラバラの内の方が長く楽しめるよなーって思って。うーん。どっちだと思う? やっぱり、まとまったほうが闘って楽しい? それともバラバラの方がやりがいがある?」
この人は、全く。
「どちらにせよ、人の恋路を邪魔する人は馬に蹴られて死ねば良いと思います」
「ラフィ?」
ラフィが? 死ねば良いと口にした?
呆気にとられる僕の前で、ラフィが歯木を取り出した。見覚えがある、と言うか、僕がラフィの家にいた時に使っていたものだと思う。
それを、ラフィが落とした。
黒が迎えに来て、瞬く間に像を形成する。
産まれた『ソレ』は、基本的には馬に似て。違うのは後ろ脚がやけに発達して、どこかバッタみたいな存在になっていること。大きな後ろ脚であること。
黒々とした後ろ脚の筋肉がやけに発達しているのが見え、蹴られたらひとたまりもないと、例え頭がない馬鹿でも分かるだろう。
「なるほど。暁との思い出の品なら全部『ソレ』になるっぽい感じ? それとも、ボクに対して使うからこそ『ソレ』になったのかなあ。ま、いっか」
奏雨がアルティッリョの剣を振った。
心地良いほどの風切り音が鳴る。
「今は、楽しく遊べればそれで良いからさ」
奏雨の口角が、裂けるほどに持ち上がった。
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