距離

「いっで……」


 視界の揺れが収まって見えたのは、薄暗い木の天井。崩れた壁。差し込んでくる光。


 あんだけ整然と左右に家屋が並んでいるところで飛ばされたのならどこかには入るか。


 頭上に幾つかの気配を感じ、槍を掴む。追ってきたラーミナが激しく羽を鳴らしてはいるものの、ハスタは何もしていないからそこまでの脅威ではないのだろう。


 気配の方に槍を横に向けながら、ゆっくりと立ち上がる。

 そこにいたのは、クズ共。

 ラフィの邪魔をし、ラフィが作った弁当を踏みつぶし、ダイスケに石を投げた街の人。


「助けてくれ」

「断る」


 発露させたままの堕聖で近くにあった椅子を蒸発させる。


 家の中の造りは、大体画一的らしい。

 台所が良く見える場所に、大きな机。並ぶように椅子。少し離れたところに狭くなる間取りがあって、居間に繋がっている。

 んで、道路から少し遠い台所にガクブルと固まっていた、と。この五人はそんなとこだろう。


 頭の中で、殺せ、と囁かれる。

 消せば良い、と声が鳴る。

 勝手に誰かが呪詛をどんどん紡いでいく『穢れ』が活性化して、恨みつらみを吐き出し、肥大化していく。


 槍を硬く握りしめ、熱くなり過ぎた空気を吐き出した。のたうち回る『穢れ』を、強制的に鎮静化させる。


 一時的な措置でしかないけどさ。


「下郎に構っている暇はない」


 後で殺すにせよ、生かすにせよ。

 飛ばされている時にちらりと見たのは、あの灰色の鎧を纏った紫色に光る『ソレ』だ。

 倒さねばどうにもならない。


「待って! 助けてください!」


 男を蹴り飛ばすのは、すんでのところで我慢する。

 掴まれた裾から手を外すように、乱雑に足を動かしたのは、仕方がないことだろう。誰だってそうするさ。


「違うんだ。私たちは悪くない。お前が、そう、お前が聖女様をかどわかさなければこんなことにはならなかったんだ。違うか?」

「はっ」


 思わず、足が止まってしまった。


 意味が分からない。助けて欲しいのか、罵詈雑言をぶつけたいのか。

 理解不能だ。


「お前が家を壊したから私たちは隠れられなくなったんだ。つまり、お前には私たちを守る義務がある。そうだろ? だから助けてくれよ。な」

「一足先に楽にしてやることもできるんだけど?」


 ヴィーネ様からの抵抗は薄い。

 事ここに至って、こいつらを守るべきかどうか。揺れていると言うことだろうか。

 言い方は悪いが、自分の過去を鑑みて。


「善良な私たちを? なぜ?」

「善良な人が他人に石を投げるか?」

「街をここまで壊したのはお前たちだろ? 私たちは被害者だ。守られるべき民だ」


 呑まれている、わけではないらしい。

 これが素か。『穢れ』は多量に生み出し続けてはいるが、ここまで理解できないのが、素のこいつらか。

 こんな奴らをラフィは守っていたのか?

 こんな奴らのために、ラフィは全てを投げ出して聖女に就いていたのか?


「本当に、聖女はどいつもこいつも救えない大馬鹿だ」


 堕聖で机と残った椅子を蒸発させる。

 奥の奴らの肩が跳ねた。意味不明な下郎が慌てて頭を下げてくる。

「ごめんなさい」は誰の声か。何人の声か。

 そんなのは知らない。

 知らないが


「謝罪の言葉は、ある程度の信頼関係が無いと意味をなさねえんだよ」


 一時しのぎで謝る野郎の如何に多いことか。

 大した反省もなく、同じことを繰り返す。馬鹿は死ななきゃ治らないと聞いたことがあるが、こいつらは死んでも治らない。自分勝手な主張で暴れまくる『ソレ』らとなり果てるだけ。


 喚き声を無視して、壁を溶かし消す。

 奏雨は発光体を持つ『ソレ』と存分に戯れているようだ。


「世界をあまねく照らす太陽よ、生きとし生ける者たちの源である太陽よ。『穢れ』を祓い未来を照らしたまえ。聖域、侵攻」


 槍の刃から発せられた白い光が、一気に広がっていった。

 空を飛ぶギョロ目鳥が消え、ナメクジ猪が溶け落ち、道路が綺麗になる。発光体は砂嵐が何度も体表面を走っており、立ち上がれそうもない。奏雨はハスタが渡していたヴィーネ様の力で無事のようだ。


「行けよ」


 後ろに飛ばした声に続きをつける。


「今なら、無事に脱出できるかも知れないぞ」

「私は! 守ってくれと言ったんだ。街から出たいなど言ってない!」

「じゃあ死ね」

「はあ?」


 肩をすくめて、槍をクズ共に向けた。

 光が当たって、家が燃え上がる。

 悲鳴と共に、女子供から駆け出して行った。何かをぶつくさ言いながら、男も追いかけていく。

 感謝の言葉なんてない。あるわけない。


「暁は相変わらず馬鹿だねー。もう少し待って堕ちてから食べれば良かったのに」


 弱った発光体に止めを刺しながら奏雨が言った。


「石ころ痛かったってことは、話も聞かずに一方的に暁を追い出した人たちでしょ? そんな人、外に出てもやっていけないよ」

「別に。僕は街が戻らないとも思ってませんから。その時に、ああ言う人たちは不要でしょう?」

「まあねん」


 発光体の頭部が割れた。


「でも、食べた方が良かったのに。ボクらは強くなれるし、確実に排除できるし。一石二鳥だよ。一挙両得だよ。にふの利だよ」

「漁夫の利、ですか?」

「うーん。そうとも言うっぽい感じ?」


 発光体が消えて現れたのは、下半身が既に消え去ったカンパーナ。

 頭頂部を奏雨が掴むが、消滅は続いている。


「ほーい。これで良い?」


 奏雨が適当にカンパーナを揺らした。

 槍をカンパーナの前の地面に直立で突き刺して、頬を掴んで顔を上げさせる。


「ラフィはどこだ? どこにやった」

「暁の尋問下手過ぎ」


 奏雨の笑いは無視して、カンパーナの顎を掴むように持ち方を変えた。

 カンパーナの顔が上がり、目と目が合う。ゆっくりとカンパーナの口が開いた。


「知らんな」

「下郎!」


 力を入れるが。

 これ以上、どうしようもない。


 そんなことはカンパーナも分かっているのだろう。憎たらしいにやけ面を浮かべている。


「どうせ消える身。痛みによる尋問しか知らないのなら、君はもう手が尽きているだろう? 尤も、俺っちに嘘を吐く利益はないが、それを証明する手段もないんでね」

「この街は、てめえがやったんだろ?」

「なら自分が死ぬような結末を迎えると思っているのかい?」

「本当に死ぬかも怪しいもんだ」


 既に半分ほど消えたカンパーナの胸が上下に揺れた。

 奏雨が顎をしゃくったらしい動きをする。顔を上げて目で追えば、片角の仮面だったと思わしき破片が散らばっていた。


「君だって本当は分かっているんじゃないか? 街に異形が溢れ、しかも手練れの使穢者三人を相手取れる『ソレ』らを生み出せる存在を。グラッソを瞬殺して、街ごと取り込んだ俺っちのエンゲージ相手を瞬く間に祓えるような奴が二人も三人もいてたまるか」

「黙れ」

「あらかた、堕ちた聖女の力を含んでいるから俺っちのだと思ったんだろ」

「黙れ」

「でも残念。俺っちは街の人に『穢れ』を仕込みはしたが、ここまで大規模なものは仕込んでない。俺っちがこの形態になる。即ち、絶壁の聖女は俺っちでは勝てない相手だってことだ。それなのに、大規模なものが発生した。祓われもせずに。そうだろう?」

「……黙れ」

「街を徘徊しているが、意外なほどに被害は少ない。あの攻撃能力があればすぐにでも数を減らせるのにな。なんでだと思う?」

「…………黙れ」

「愛着があるんだ。度し難いことにな。いや、聖女って言うのはどいつもこいつも」

「黙れっつってんだよ下郎がっ!」


 感情に任せて地面に叩きつけたのに、カンパーナは笑っている。

 森の時と同じく、笑っている。


「案外、俺っちがさっくり堕としてやったほうが幸せだったかもな」


 下郎が。

 頭部を踏み砕いてやる。


「くそっ」


 だけど、踏み砕かれる、殺されるのが目的だったら?

 あるいは、この状態から僕の体を乗っ取る算段でもあったら?


「図星か? 俺っちの言葉を否定できないか?」


 上げた足を、何もせずに下ろした。

 カンパーナの体はもう胸まで消えている。肩と首と頭、腕のみ。何もしなくても良い。下郎は、消える。


「太陽の街の生き残りは誰もいない。みんな死んだ。太陽が落ちて生きていけるモノなどいない。でも、この街ではクズも生きている。聖女は度し難い馬鹿だからな。それだけで、てめえが落とすよりマシだ」

「じゃあ君が代わるか? 希望を見せてから絶望させる。手始めはその手法が一番楽だろうさ」


 鼻で笑ってから、下郎に背を向けた。

 うきうきした様子の奏雨が近づいてくる。


「もう良い?」

「どうぞ」

「じゃあ、食べちゃえ。アルティッリョ」


 踏み絵、と言うかトカゲのしっぽも兼ねてか。

 後ろをちらりと窺えば、アルティッリョが元の連れに巨大な鉤爪を突き立てて、食らいつくしていた。


「あのさ、暁。ボクは一度撤退してししょーでも呼んできた方が良いと思うけど」

「ラフィを探すのが先です」

「この状況で?」


 ロコ・リュコスの武装を解除した奏雨を追うように目を動かす。一度祓ったにも関わらず、ギョロ目鳥も復活していて、多足眼球もナメクジ猪も、首長も。


「ラフィはあの日、結婚式場の近くに作った花畑に行こうと言っていたんです」

「カンパーナは鐘を意味しているってししょーが言ってたこと、覚えてる? 聖女を気取って名乗ったのかは知らないけどさ、街の終わりを告げる鐘なんだって」

「別に、ついてこなくても結構です。奏雨は次の街にでも行ったらどうですか?」

「嫌だなあ。こーんなに楽しい場所から居なくなれとか、正気じゃないよー」

「どっちが」


 ハスタを呼び寄せて、槍についてもらった。


「ボクも一緒の方が早く目的地に着けると思うケド」


 腕が止まる。


 奏雨が力になってくれるのなら、これ以上ないほどに心強い。勝手に強敵に食って掛かる上に僕が知っている使穢者の中でも三本の指に入る実力者なのだ。戦力としては、申し分ない。


 一抹の不安はぬぐえるものではないけれど。


「ボクはこの街について良く知らないからね。一応、猟師の家を探りながらになるけど、良いよね? 治療もあるっぽい感じだし?」


 自分の手が首の後ろに伸びたことに気が付いたものの、別に今更下ろすこともなく。


「そこの家が、そもそも猟師の家ですよ」

「うっへえ。ボロボロじゃん。と言うかさ、嫌われているってことは遅れているんじゃないの?」

「元から嫌われていたかは分かりませんけどね」


 ハスタを射出して、ギョロ目鳥を打ち落とし、吸収する。ラーミナは少し遠くに行かせてナメクジ猪に攻撃を仕掛け、ロコ・リュコスがラーミナの援護を。ウラガーノは奏雨の肩に止まり、アルティッリョを遊軍として家の壁に置いて、家の中に入った。

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