ナニモノ
「これは予想外」
奏雨が口角を吊り上げつつも、腰を落とした。目には先程までが児戯に思えるほどの真剣な光。
余程の強敵か。
「ハスタ、纏え」
ハスタが槍につく。
『ひゅひゅへひゃひゃひゃ』
空気を揺らさない不快な笑い声が再度響き渡った。
ラーミナは僕の後方。ロコ・リュコスは奏雨の左斜め前。ウラガーノは上空。カンパーナと片角は並んで、闖入者(ちんにゅうしゃ)への警戒。
全員の警戒を一身に浴びながらも、球体は時折鐘の音のようなものを鳴らして笑い続けている。
違う。パイプオルガン、か? 鐘の音もするけど。高音域の歌声にも聞こえてくる。
何なんだ、『コレ』は。似たようなものも、全く記憶にない。
球体に、砂嵐のようなものが走った。球体全体が一度揺れ、小さな長方形ごとにズレ、そして戻る。それを、幾度も。形は分かるのに、見えている像がブレる。
「来る」
奏雨がつぶやくと、嗤っているのか泣いているのか、良くわからない声と高い機械音が大きくなった。オルガンの音色に近い音でもあり、良く聞けば、讃美歌のリズムでもある。
そんなのはどうでも良い。
重要なのは、一瞬の膨張の後で球体が変形をした、と言うことだ。
紫色の球体を埋め込んだような頭部に、人間と同じような形の体。ただし、指は太いのが三本。人間で言うところの薬指と小指、人差し指と中指をくっつけたようにぐるぐると輪っかが巻かれている。脛と太腿、胸部、そして腕も足と同様に。関節部分は露出したまま灰色の装甲が着いているように、硬く、簡素な紋様が入っている物体がついている。
「随分と、シンプルな見た目をしてるネエ!」
奏雨が低い体勢のまま斬りかかった。
不快なオルガンの音色に嗤い声が混じる。次の瞬間、『ソレ』の体が三つになったように見え、一つに戻った。奏雨が『ソレ』を通り抜けたように後ろに出る。確かに、殴りかかった直線上に居たのに、通り過ぎた。
槍を握りなおし、腰を落とす。
奏雨が両腕を上げ、後ろから『ソレ』に斬りかかった。直撃。爪が深々と刺さっているのに、『穢れ』による消し飛ばしも行われているのに『ソレ』は気にせず立っているようにも見える。
『ソレ』が手を伸ばした。奏雨が蹴りで応戦する。『ソレ』の腹部に吸い込まれたと思った一撃は、一瞬ですり抜けた。奏雨の足に貫通されたように『ソレ』が立っている。いや、奏雨の足を捕えているのか?
『ひゃひぇ、ひゅふひゅ』
高音を発すると、『ソレ』が回転した。奏雨が振り回されて、吹き飛ぶ。
「奏雨!」
別の家屋に突っ込んだ奏雨を目で追いながらも、『ソレ』を観察する。
右に首を傾けたと思ったら、次の瞬間には左にある。手を上げたと思ったら下に行っていて、足を出したと思ったら同じ姿勢のまま前進している。
何だ、こいつは。
カンパーナが離脱するかのように下がった。また『ソレ』に砂嵐がかかる。次の瞬間、全く体を動かした様子がないのにも関わらず、『ソレ』がカンパーナと片角を捕まえていた。
『ひゅひゃ、ひゃはやはやひゃひゃ』
発光が強くなり、波状に何度も光が空気中に輪を作った。
「くそっ」
少し距離があるのに、こっちまで頭が痛くなってくる。
ずぶり、と『ソレ』の両手がカンパーナと片角の首に埋まった。同一化した。
腕が縮むように『ソレ』と下郎どもの距離がなくなる。
取り込む気か? 取り込めるのか?
取り込んだ後に、やるか。今やるか。
「堕聖、発露」
は?
『ソレ』が振り向いた気がした。同時に、振り向いていない気もした。
ただ、確かなことは僕の首にもいつの間にか『ソレ』の太い腕がくっついていたことだ。
当たった感触もなく、こっちに伸びてきているのも見えず。
首の横に強い痛みを感じながらも、体が持ち上がる。時折、『ソレ』の頭部の球体が膨張したように見え、萎む。その度に不気味な高音を発しながら、『ソレ』が揺れる。
手に力を籠め、槍で跳躍するように地面を押した。
体が上がるが、首に着いた手はそのまま。『ソレ』の足も地面に着いたまま。
どうなってやがる。
ハスタが勝手に槍から離れた。
「い、く、な」
絞り出した声はハスタに届かず。『ソレ』の伸びた腕を回りながら、ハスタが突っ込んだ。『ソレ』がハスタに押されて家屋に飛び、僕の視界が一気に下がった。首から『ソレ』の腕を外そうとするも、落下が先。
耳に届いた家屋の破壊音の後に、受け身を取ろうとする。背中に衝撃。少しだけ楽になる呼吸。
目をあげると、大穴の開いた家屋から、『ソレ』の腕が僕に伸びているようだった。
「しつこいな」
腕を掴んで、回転するように地面に叩きつける。
外れない。
槍で突いても、形が変わって残り続ける。放さないとでも言っているように。ずっと。
『ひゅひゃひゃへひゃ』
吹き飛んでいたはずの『ソレ』が、さっきと同じ場所に立っている。
「お呼びしてないんだけどな」
想像を読んで、ではない。
少なくとも、僕はハスタによって吹き飛んだコイツか、ハスタの攻撃もすり抜けたコイツしか想像していなかった。
お腹から片角とカンパーナを垂らして余裕綽々で立っている『ソレ』なんて、思っても見なかったよ。
「ハスタ……」
突進してくれたハスタは、倒壊した家屋に潰されるようにぐったりとしていた。
不味い。早く助けないと。
不意に足が震えた。
目の前に『ソレ』。
『ソレ』の腕が短くなり、目の前が紫色の球体でいっぱいになった。
「ラーミナ! 僕の首ごといけ!」
一瞬戸惑ったのを感じたが、ラーミナが僕の首を挟むように『ソレ』の指ごと『ソレ』の頭部を挟んだ。
「速く!」
また戸惑ったラーミナに叫ぶ。
やらなきゃ、やられる。
切羽詰まった意思を汲み取った相棒が、ラフィの力を僕の首元で爆発させた。
「ぐがっ」
首を絞められているのに、肺を押されて空気を吐き出される感覚。
脳が内側から膨らんで圧迫されているかのような感覚。
あまりの衝撃に、足がもつれて地面に尻から落ちてしまった。
くっそ。頭はガンガンするし、圧迫されてんだか膨張してんだか良くわからない気持ち悪さが体を満たしてるし。
こめかみを強く掴みながら、数度咳き込めば、多少はマシになった。
心配そうに近くを飛んでいるラーミナを撫でる。
目の前の『ソレ』は、吹き飛んだ手を眺めるように持ち上げていた。球体からは二か所、涙のように黒い粘体がどろどろと流れ出している。ラーミナの大顎が当たった場所だろうが、泣いているように見えるのが、得体のしれないものに人間くささを与えていて。
余計に、不気味だ。
「キミはサイッコーだよ!」
奏雨のイッちゃっている声が、空気を切り裂いた。
ロコ・リュコスの毛皮に近いモノを纏い、両手に鉤爪を着けた奏雨が、家屋を壊して跳び出て来る。跳んだ状態で『ソレ』の首を掴むと、勢いのまま地面に倒し、引き摺って家屋にぶつけた。奏雨の右手が大きく振り下ろされる。黒い液体が三か所から噴き出た。
液体は近くに居る奏雨を通り過ぎて、地面を黒く濡らす。
舌なめずりをした奏雨が、今度は突き刺すように爪を落とした。しかし、何にも当たらず地面に刺さる。『ソレ』は、先程濡らした地面に立っていた。手も元に戻っている。
「オモシロイねえ」
奏雨が悦に濡れた声で、口角を吊り上げた。目も恍惚としている。
「ラーミナ」
急突進したラーミナが、『ソレ』の手を躱して膝下を吹き飛ばす。それでも、『ソレ』は普通に立っていた。
何だよ、本当に。
でも、攻撃は通じてはいる。たまに効かないのがあるが、基本は通っている。ラーミナの攻撃も通った。だから、『ソレ』の力を奪い、充填させた一撃なら通るはず。はずじゃない。通る。
もう一度嗤い声を上げた瞬間に、槍を突き出した。ぶつかるかどうかで力を解放する。
『ソレ』は吹き飛ぶように上半身を動かしたが、次の瞬間には元の位置に戻っていた。槍は貫通している。
「は?」
もう一度力を込めて、槍を引き抜く。
釣られるように『ソレ』が体を前に出した。体の穴からは、黒い粘体が地面に落ちることなく垂れている。
回復していない、と見なして、堕聖は有効だと考えれば良いか?
「太陽の光よ。『穢れ』を照らしたまえ」
槍の黒き発光が強くなる。
『ソレ』が片角を取り出した。苦悶の声が上がる。人質、と言うよりも盾か。畜生。
……畜生、か?
片角もどうせ消すなら、一石二鳥か。
「コレはボクのエモノでしょ!」
奏雨が異様に低い体勢で突っ走り、『ソレ』の足を切り裂いた。
『ソレ』が一度吹き飛ぶが、砂嵐のように象がブレた後、何事もなかったかのように戻る。僕の攻撃は防ぎ続けたまま。
取り込む力があるのに、最初に近づいてきた奏雨は吹き飛ばした。
カンパーナたちを襲い、堕聖発露をさせてから僕に攻撃が来た。
今も、僕の攻撃は防いでいるが奏雨の攻撃は体で受けている。
ラーミナが解放したラフィの力で腕が吹き飛んだ。僕の拘束を解いた。
何となく、見えてきた気がする。
瓦礫の下で気力を溜めていたらしいハスタと目が合った。それだけで、十分。
槍を派手に振り回し、光を強くする。『ソレ』の注意が、恐らく僕に多く割かれた。ハスタが高速で瓦礫の下から脱する。
「奏雨! 受け取って!」
ハスタが奏雨の背から頭にかけてくっついた。ヴィーネ様の力が奏雨に渡る。『ソレ』が奏雨に振り返った。腕が伸びる。奏雨が体を倒しながら紙一重でかわし、懐へ。
「これは暁の分、なんちゃって」
ふざけた声と共に、別の意味でふざけた威力の攻撃が『ソレ』を切り裂いた。
黒い粘体が吹き散る。
僕も距離を詰め、叩き潰すように『ソレ』の腕を圧し斬った。片角が地面に落ちる。『ソレ』はよろめくように足をもつれさせて。
ロコ・リュコスの毛皮が奏雨の右足をも覆った。
「纏え!」
ハスタを呼び戻す。
奏雨の蹴りとタイミングを合わせて、ヴィーネ様の力を籠めた一撃を。『ソレ』に。
体の真ん中から消し飛び、頭部は後ろの家屋へ。二本の足は粘体を散らしながら直立して。
カンパーナは、巻き添えで消えちゃったかな。
消えてないと良いのだけど。
「聖女の力じゃないとまともに通らないとか、使穢者泣かせだねー」
「ですね」
奏雨の方を見れば、ロコ・リュコスの武装を上半身だけに戻して顎を拭っていた。
汗もかいていないのに。
「ウラガーノ、アルティッリョ。それ、食べといて」
奏雨が地面に落ちている片角を指さした。
ロコ・リュコスが頭部をかみ砕くように抑え、ウラガーノとアルティッリョがそれぞれの武器を足で掴んで片角に突き刺す。徐々に徐々に。力が二人へと消えていく。
「カンパーナは残しておいてくださいよ。ラフィの居場所を聞き出さなくちゃいけないんですから」
「暁!」
珍しく切羽詰まった奏雨の声に対して、どこか僕の意識は呑気で。ついていけず。
気が付いた時には視界が激しく揺れ、背面に大きな痛みを覚えていた。
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