再会
救急セットを掴んで飛び退く。掴んだ僕の手をめがけて、黒いモノが伸びてきた。手だ。太い指が三本だけある、手だ。
辿った先には、顔に当たる部分から体の中ほどにかけて亀裂のように発光体が埋め込まれた『ソレ』。玉虫色に明滅を繰り返しており、頭部を傾げるごとに無機質な声を出している。頭上には途中で折れ曲がったかのような二本の角と、真っすぐに伸びている一本の角。足は太く短い。ただ、根っこが生えているかのようにだらだらと細い紐が幾つも生えて、伸びている。口は無く、顔についている甲虫の触覚のようなモノが四つ、しきりに動いて開いていた。胴体からは、十二本の甲虫の足のような細い物体が生えている。
体全体が骨ではなく甲殻で覆われているようで、明らかに他の異形と一線を画していた。姿形も、どこか甲虫らしさを残して。
「ラフィを、どこにやった?」
声がするまで気が付かなかったな。この距離なのに。
つまりは、こいつがステルス機能を持つ『ソレ』であることは確かだ。
問題は、一体か、それとも複数か。一種類か他にもいるのか。
ラーミナに左手から離れてもらい、刀も右手へ。
救急箱の中から消毒液を取る。耳障りな声が大きくなった。
消毒液は、微かに温い。
ラフィがベッドから出て、多大な時間が経ったわけじゃない。
温もりの消えていた箱に消毒液を戻すと、『ピロロロ』言っていた『ソレ』が黙った。腕も下がる。
戦意が消えたようだ。
少し下が変形している枕に手を伸ばす。
再び声が大きくなった。三本角の姿勢が前傾になる。
触らせないって?
なら、ここにラフィの居場所のヒントがあるんだな?
「ふぅ」
煮えたぎるマグマを一度鎮めて。
左手を大きく回しながらもう一本の刀を受け取った。カンパーナから食らい取った力を籠める。右足を下げて、右手の刀を三本角と僕の体の直線上に隠した。
向こうは棒立ち。ラーミナはやや上へ。ハスタはベッドの下で第二撃に備えて。
静かになり、心臓の音だけが内側から聞こえる。
やがて、それすらも静かになった。
亀裂のような発光体の色が薄くなる。瞬間、膝を伸ばした。
勝負は一瞬。
振り下ろした双刀が、籠められた力が三本角を吹き消した。
はずだった。
軽くなった感触もあったが、消したわけではなく吹き飛ばしただけ。
間違いなく消し飛ばせるだけの『穢れ』を籠めたのに。
そして、過剰に減った双刀に籠めていた『穢れ』。どうすればこうなるのか。一つ、覚えがある。
堕ちた聖女の力だ。
それならば、穢れでありながら等量の穢れは効かない。ラフィの反応が遅れてもおかしくない。
一人だけ、思いつくよ。これだけ点がありゃあな。
「カンパーナ……!」
双刀を握りしめた手が、ぎちぎちと音を立てる。『穢れ』は抑圧されるが、恨み、怒りが抑圧される感覚はない。今度は肉体の主導権を奪われないで済む。
死にぞこないめ。無駄な置き土産め。とっとと、くたばりやがれ。
「カンパーナァッ!」
足が床を強く蹴り飛ばし、眼前が三本角だけになった。
逆手に持った双刀を振り下ろす。砕くように振り下ろす。発光体に、触覚に、頭部に胸部に。
何度も。
何度も。
何度も何度も何度も。
突くんじゃない。叩くように。砕くように。
壊れろ。壊れろ。壊れろ。
とっととなくなり消えろ下郎!
「くたばれえ!」
石が砕けたような手応えと共に、発光体が砕け散った。
刀が二本とも深々と床に刺さる。
「ハスタ! 槍!」
引きながら、槍を受け取った。
全体重を乗せて胴体を貫通させる。
「あああああ!」
槍を抜き、ぶん回して再び突く。
今度はハスタがついた状態で。
そして、全てを食らいつくした。
対した抵抗も受けずに三本角が消える。
「……くそがっ」
荒々しくなった息を吐き捨てて。
口元を拭ってハスタに槍を返し、双刀を引き抜いて片方をラーミナに返した。
やらかしたな。イライラし過ぎた。怒りに任せ過ぎた。
『穢れ』を飼う以上は必要なことだけど、これでは奏雨が呑まれないかなと見に来るわけだ畜生。
「ふう」
息をもう一度吐き出して。ゆっくりとベッドに近づく。
ハスタは警戒するように周囲を見回していて、ラーミナは恐る恐ると言ったように僕の背中に抱き着くようにくっついてきた。
ラーミナを優しくなでつつ、枕へ。手を伸ばしてひっくり返せば、僕の予備の指輪が置いてあった。後は何もない。
「ラフィ……」
予備の指輪に、ラフィのぬくもりがあるように感じて。
ゆっくりと握りしめた手を口元に当てた。何かがあるわけじゃないけど、手は、震える。
大丈夫。
ラフィは無事。
ラフィほどの聖女が、やられるはずがない。
問題ない。大丈夫。大丈夫。
「行こう」
刀を落としてからヴィーネ様のネックレスを左手で掴み、胸を大きく叩いてからハスタとラーミナに覚悟を告げた。
最低限の医療品を取り、補充をしてからラフィの部屋を後にする。
外に出れば、奏雨が曲刀で鳥を真っ二つにしているところだった。喜悦がにじみ出た顔が僕の方を向く。
「思うようにはいかなかったっぽい感じだねえ。どうする? 『コレ』らはきっと、堕ちた聖女の力が入ってるけど。太陽の街の時のようにね。つまりは」
「カンパーナだ」
奏雨の言葉を遮り、前に出る。
奏雨が肩をすくめたのが視界の端に映った。
「あいつが街中で出した『穢れ』は集合体のような奴だった。生き残り、住み着いて取り込んだとしてもおかしくはない。それが発端なら、気づかれないうちに『穢れ』を増して行っても不思議じゃないだろ?」
刀を返して、槍に換装する。
「実際に産み落としたの?」
「さあ。力を全部見る前にラフィが祓ったから。断言はできませんが」
槍を右手に持ったまま、壁の上から跳んだ。「ふーん」と言う奏雨の声が後方に。
落下に合わせてハスタが僕の左手を掴み、目的地、街の人から攻撃を受けていたダイスケの家の方面へと飛んでいく。
遊軍として周囲を飛んでいるラーミナに攻撃を仕掛けられることはないのが救いか、見逃されているのか。あるいは、誘い込まれたか。
奏雨がカンパーナが僕に殺されたがっているように見えたって言ってたっけ。
そして、カンパーナが欲しているヴィーネ様の力を僕は内包している。
理性的で正解に近い考え方は、きっと、僕はダイスケの家の方へ行かないことなのだろう。
ラフィの街で騒ぎを起こせば僕が来る。『ソレ』らが多ければ、ラフィはそっちに手がかかりっきりになるし、何らかの方法でラフィを拘束した。なら、とても楽に。
僕を攻撃できる。
「やっぱり、気に食わねえ」
見逃すのも策略に乗るのも。
何もかもが気に食わない。気に食わないなら踏みつぶす。それが使穢者が使穢者たる所以で、使穢者の生き方が嫌われる原因の一つだとしても。
ハスタに手から離れてもらい、槍についてもらった。
槍を上に掲げて、地面に一度叩きつけて跳躍をしてから着地する。
相変わらずの埃の少ない街。区画通りに整った家。罵詈雑言の並んだ一軒の建物。
『穢れ』の淀みはあまり変わらず。
居るとすれば、主犯格側の家だとは思うけど。
合理的な動きではないのは元から。今更関係ない。
足を、ダイスケの家の方に向けた。人がいるとしたら、逃げ遅れる可能性が高いこの一家。
「入りますよ」
槍で扉を粉砕する。
どのみち、逃げねば意味は無いし。謝るつもりなんかない。
「いらっしゃーい」
「下郎……!」
踏み入れた先には、机に足を置いた状態でパンをむさぼっているカンパーナが居た。
コイツは、コイツ自身は確かに死んだはず。
頭部を粉砕されて死なないなんて、人間ではありえない。心臓も止まっていた。死体も解剖した。バラバラで、地面に埋めてある。
「死んだはずなのに何で俺っちが此処に居るのかが気になっている感じかい?」
食べかけのパンを床に落とすように手放し、カンパーナが口元に弧を描いた。
「君には一つ感謝を……いや、肉体を潰したのはもう一人の方だったか。まあ良いや。無駄な争いを避けるためにも教えておいてあげよう」
「無駄な争いね」
両足は机の上。手に武器はなし。椅子からもすぐには降りられず、隙だらけ。
「ああ。無駄な争いさ。俺っちがヴィーネを欲しているのは未だ変わらず、だけど、今の俺っちでは制御できないのも事実。なら、俺っちから仕掛ける理由にはならないってわけだ」
「そう、かっ」
泥水を穿ったかのような感触の後に、脆い椅子が砕ける感触。
槍はカンパーナの胸部を貫き、椅子を砕いたのにも関わらず、カンパーナは余裕綽々としていた。
「話は最後まで聞きたまえよ」
槍が掴まれて、押し返される。
圧倒的な怪力は、生前とは比べ物にならないほど。
生前と言って良いのかは分からないが。
押し込み、動かすのを諦めて下郎の力も借りて一気に槍を引き抜いた。
再び距離ができる。
「さて、俺っちが生きているか死んでいるのかと言う話だが、君はどう思う?」
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