帰還

 ここ数日の日課通り、街の方へと足を向ける。

 あくまで、森に隠れるように、遠巻きに。

 壁の上の人は減ったようだが、荷物が落ちていると言うことはなく。

 僕の荷物は未だにラフィの家の中にあるのか、あるいは売られた、とか? 売るか? ラフィが勝手に人の物を? それはない。断言できる。


 でも。


「今ならラフィエットの家に行けるかもって?」


 奏雨の声が、髪を揺らすほど近くから聞こえてきた。


 何で気が付かなかったのかと言うほどに息づかいがシンクロしてくる。視線の先も、僕と同じくラフィの家。


「かも、と言うより、今しかない、と言う感じですかね」


 人の気配は無い。壁の上の見回りも、全く見えない。

 いつでも槍を受け取れるようにハスタを近くに来てもらい、森から足を出す。少し湿った空気が離れ、乾きつつもやや重たい空気に変わっていった。

 奏雨の足音も続いてくる。


「なんですか?」

「いやあ。随分とゆっくり歩いているなって思ったっぽい感じかなー」

「随分?」


 慎重にはなっているが、速めのはずだ。


「ん? んんー、まあ、暁が言うならそう言うことにしておいても良いけどさー」


 奏雨から目を外し、壁上へ。


 人は居ない。見えない。広がっているのは、壁で聖女の力を使う場合に良く見られる空気だけ。それと、青空も。

 使穢者になってから幾度となく見てきた、普通の街だ。


 …………良く見られる空気? 普通の街?


 手首の外側から、寒くなる。小指が冷たくなる。背筋を伸ばす寒気から逃れるようにハスタから槍を受け取った。何も言わずにハスタが槍の先についてくれる。


 問題ない。大丈夫だ。

 元々ラフィの街は綺麗すぎたんだ。だから、この程度。普通のこと。普通の街になっただけ。悪い話ではない。

 そうだよね、ラフィ。


 槍にカンパーナから食い取った力を籠めて。

 思いっきり、地面に叩きつけた。


 強風が耳朶を打ち、景色が一気に上に。落下より早く壁の階段を打ち付け、階段に従って文字通り跳び上がる。


 三回目の跳躍で壁を越えた。


 真っ先に目についたのは、頭部がやけに肥大化した黒い鳥のような『ソレ』。羽毛のほとんどない体からやけに目が飛び出ているように見える。ぎょろりとした目と同じく特徴的なのは、ウラガーノのように大きな嘴。ただし、こちらは刺突に特化しているかのように太く鋭い。それが、時折家に落下して。


「嘘だろ」


 口元を手の甲で拭い、何も無いのに上がってきた塊を飲み下す。

 街はまさに『ソレ』が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしている街だ。


 のったりと黒い六本の足を動かし、骨が見えるような体で屋根を闊歩している六つ脚。長すぎる手で木などからぶら下がっている刃付き。これらは、確実に後出だろう。『穢れ』が溢れた後、街の人が想像したからできてしまった代物だ。


 じゃあ残りは?


 黒い眼球から細い手足が無数に生えたような『ソレ』は、街の中を所狭しと走り回っている。


 時折家屋に眼球が入り込み、扉から雪崩を起こしたように大量に転がって出てくると、屋根に突撃するのは羽の生えた『ソレ』。


 黒く染まってしまった池から湧き出ているのは、ザリガニのようなフォルムをしておきながら、胴体は肋骨で出来ている異形。目はなく、爪はさびているかのようにぎこちなく開閉を繰り返している。大きさは一メートルほどだろうか。


 そして、やけに首の長い『ソレ』。頭らしき場所の先は、汚い髪の毛がぼうぼうと伸びており、人間のような歯がずらりと見えている。ただし、目は小さく丸い。足は右が八本、左が六本。太さはまちまち。胴体は毛のようなもので覆われ、不自然に開いて見える場所からは大きな目や鼻、口が覗いていた。


 そして人型。

 いや、人型と言うべきなのだろうか。人間と同じような形をしているが、肩から胸を地面に付けるようにして、足で動き続けている。通った後は黒く塗りつぶされ、汚くぐちゅぐちゅと音を立てていた。何より細すぎる手足と、でっぷりと出ている下腹部。例のごとく、骨の形はわかるのに、下腹部は膨らんでいるのだ。目は瞼が閉じているような感じになっており、その下に眼球はなさそうだ。脳みそが平べったく潰されて後ろに伸びているような頭をしている。


 さらには、巨大な猪の皮のような『ソレ』。足はなく、スカートのように、ナメクジのように地面に接している。動いてなくてもひらひらと、もそもそと動き、鼻らしき場所からは絶え間なく粘性の高い液体が鼻水のように零れ続けていた。牙は伸び縮みを繰り返しており、激突しては顔を動かして物を壊す。しかもだ、人を突くのではなく、のしかかって飲み込んでいっていた。中に収容するように。手を伸ばせども人は逃れられず、食われる。

 そうすれば背中がボコボコと動き、ナニカが産み落とされる。鳥であったり、眼球であったり、人型であったり。繋がれば一つ目一本角の、手が十本も生えた怪人にすらなった。爪はひたすらに長く、先が丸くなっている。叩けば黒が飛び散り、跳んだ場所からさらに一回泥が跳ねる。背中のコブはできては消えて、絶え間なく広い背中の形を変えていた。


 何故、ここまで広がっておきながら『穢れ』があまり感知できない?

 いや、それよりもラフィは?

 聖域が発動していない。街も襲われている。それなのに動かないなんて、あり得ない。


 振り返った先のラフィの家には特に異常は見受けられないが、街の連中の「ラフィを守る」と言う意思が別の思いに変わったのなら。監禁に目的が変わり、『穢れ』が満ちたなら?


 僕らの感知を。失礼。奏雨は出来ていたな。僕の感知にかからなかったということは、『穢れ』の能力としてそう言うモノを手に入れた可能性もある。


 ラフィに対して負い目があった。だから、ラフィに気づかれないように僕を消すため、あるいは追い返すため。そのために手に入れた力。それでもって、ラフィの意識を一時的に奪ったものの……。


 意識を奪うだけなら良いけど。


「ラーミナ」


 槍をハスタに返し、ラーミナから一本だけ刀を受け取る。

 そのまま、ラーミナが僕の左手にくっついた。ラーミナで心臓や肺を守れるように構えつつ、家の前へ。


 気配なし。音なし。心臓は少しばかりうるさいが、心はいたって平静だ。

 刀を左手に持ち替えて、合鍵を取り出す。差し込んで、開けて、中へ。


「失礼」


 ただいまと言って、というラフィの拗ねた声が聞こえた気がした。

 もちろんそんな訳はなく。

 人影はなし。動体もなし。

 衣擦れすらたてぬように刀を右手に持ち替えて、ゆっくりと中へ進む。


「ラフィ?」


 声を出しつつ、足音は消して。

 奏雨ほど気配に敏感でもないから、こちらの位置をある程度知らせて動いてもらった方が待ち伏せされるよりマシだ。


「ラフィ、返事して」


 ラーミナの目と僕の目の見ている場所が常に違うように気を付けて。

 台所、お風呂場、お手洗いと進むも気配はない。扉を開けてももぬけの殻。


 さして広くはない家だ。いればわかるはず。街の人を祓うための部屋にも入るが、相も変わらず綺麗すぎる部屋で、誰もいない。カラフルなステンドグラスが光を変えて空間を異質なものに変えているだけ。他の聖女が聖堂として用意している部屋と違って、話を聞きやすいようにと花や果物、お菓子が置いてあるが、それらも片付けられることなく。


 焼き菓子を手に取って、口に含んだ。少し硬い。

 風味も消えかけており、薫り高いはずのバターはべたっと舌に絡みつく。


 らしくない。下手をすれば、長い間帰っていなかったかもしれない。


 僕が追放されてからそこまで長くはないが、手作りの焼き菓子が乾燥するには十分な時間があるだろう。ラフィの焼き菓子も、ヴィーネ様が買ってくださった焼き菓子も放置したことはない、と言うか、流石にできない。でも、今ばかりは一度くらいしておくべきだったか。

 そうすれば、焼き菓子からある程度の推測はたてられただろうに。


「くそ」


 食べかけの菓子を口に放り込み、聖堂を出る。

 最後に残ったラフィの部屋へ。

 彼女の残り香は、しっかりとあった。開けた瞬間に、ラフィだとわかるくらいに。今日もいたのではないかと思うほどに。


 目を動かして、息を飲んだ。


 軽くめまいも覚える。足元がぐらついたような気もする。


 綺麗に置かれていたのは、僕の荷物。

 それだけならまだ良い。

 全てが鞄から出されて、綺麗に並べられている。服は皺などなく、鍋の類は収納を解かれて。なのに、予備の靴は僕が結んだ歪な縛り方のまま。リュックの紐も一部は僕が結んだ形のまま。恐怖すら覚えるほどに整えられた部屋でこの適当加減は余計に目立つ。


 ゆっくりとリュックに近づいて、刀の先で持ち上げた。少し重い。

 刀を床、と言うよりも荷物の上に置く。床なんて、僕の荷物に埋め尽くされて見えないのだから仕方ない。そのまま、中を見るとヴィーネ様が好んで吹いていた横笛や焼け焦げた絵本が入ったままだった。一切手を着けられていないのか、こちらも乱雑気味に。壊れていなくて本当に良かった。


 ラフィの前では何となくつけにくかったヴィーネ様が良く首からかけていた小さな白い盾のネックレスを取り出し、握りしめる。


 何かが、変わるわけじゃないけど。

 ラフィが居ないことは、確かなのだし。


 背中に軽い感触。

 振り返れば、ハスタがベッドの下を指していた。


 頷いて確認してもらいつつ、ネックレスをつける。

 成長と共に短くなってしまったが、問題はない。

 昔は長かったのにね。


「頼むから、無事でいて、ラフィ」


 情けない声に奥歯を思いっきり噛み締めて。

 刀を左手で拾ってから、ベッドに近づいた。


 掛布団をめくる。


 ラフィが横向きにものを抱えるように寝ていたとわかる皺の形と、抱えられていたであろう場所に僕の救急セット。


『ピロ、ピリリリロロロロ』


 中を確認すべく手を伸ばした瞬間、異質な声がした。

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