消えた
生暖かい物が顔面にぶつかり、黒い髪のようなものが目の前を横切って帰っていく。
「他人の話は耳に入れる物じゃないよ」
振り下ろす先を失ったはずなのにやけに軽く腕が戻る。
無意味にナイフを回して。
顔を、カンパーナに止めを刺すためだけにエンゲージに宿した『ソレ』を使った奏雨に向けた。無機質な状態の奏雨の目と僕の目が合う。
「誰もかれも、自分に都合の良いことしか話さないんだから」
目と同じ、冷徹な声。
「そうでしたね。そういうものでしたね」
ナイフを服の裾で拭い、ポーチに仕舞う。
視界の端で極寒の目のまま奏雨が口を開いたのが見えたが、らしくもなく何も言ってこなかった。他人に言ってはいけない言葉が分かる程度には成長があったらしい。
「暁が大分弱くなっていたとは言え、主導権を簡単に奪おうとしてくるのも考え物だね。すぐに独り立ちできるようにした弊害かなあ」
訂正。
何も変わっちゃいない。
「ヴィーネ様は、私利私欲で動く方じゃない」
「そんなに怒らないでよ」
ひょい、と奏雨が肩をすくめたまま続けてくる。
「今の暁と闘うつもりは無いんだからさ。やるなら暁が呑まれたとき。その方が、サイッコーの闘いができるでしょ?」
返事代わりに、ハスタが二度威嚇音を奏でた。
ロコ・リュコスが小さく唸る。狼の鋭い犬歯をむき出しにしたが、ハスタも立派な大角を見せつけるように一度動かした。
ハスタから槍を受け取る。
奏雨の目に狂気が宿り、口角が吊り上がった。膝も曲がる。
奏雨と目を合わせたまま、槍をカンパーナの死体に突き刺した。肉を突き刺す心地良い抵抗の後、『穢れ』が流れ込んでくる。意志薄弱な、ほぼ淀みと言って差し支えない力だけの残滓。使穢者としては正しいが、人としてはおかしい恨みの形。歪みの形。負の遺産。
奏雨が詰まらなさそうに鼻を鳴らした。
ロコ・リュコスが警戒態勢を解いて奏雨に近づき、奏雨が背中からロコ・リュコスの大きな背中に倒れ込む。ロコ・リュコスは奏雨の行動に迷惑そうに顔を歪めつつも、四つ足を折ってゆっくりと地面に座った。ウラガーノが二人の元に行き、ロコ・リュコスの鼻先に止まる。
重そうだが、別に気にならないらしい。
「あ」
奏雨が反動をつけてロコ・リュコスの背中から起き上がった。
首を左右に動かして、目的の物を見つけたかのように止まってから動き出す。
「そう言えば奪っている途中だったよ」
ご飯の後なのにお腹が減っていたら、お菓子を隠していたことを思い出した子供のように奏雨が言って、アルティッリョの剣を拾い上げた。
『穢れ』が注入され、アルティッリョが悶え始める。
暴れて。暴れて。暴れて。
翼は苔の欠片や土で汚れ、鉤爪は何度も地面を抉った。
実際、他の使穢者の連れを完全に奪うなど聞いたことがない。精々が一時的に使えなくするために強奪する程度。使穢者の連れとは『穢れ』を共有することになる存在で、力を借りる存在でもあるが同時に自立した個でもあるのだ。彼ら彼女らの意思がある。協力してくれるとは限らない。
例え、圧倒的な力を見せつけたとしても。
「責任をもって食べるのが一番だと思いますけど」
カンパーナから槍を引き抜いた。
生者のまま『穢れ』を使用していただけなので、消えることは無く。空の肉体が地面に転がったままとなる。
「えー。勿体ないじゃん。折角良い武器なのにさ。コンドルの肉は、確かにおいしそうだけど……。暁が居るなら、こんがり良い感じに焼ける?」
否定したくせに、食欲には揺れるらしい。
らしいっちゃらしいけど。
「ヴィーネ様の力を何だと思っているんですか。……まあ、できますけど」
「焦げ目のついた美味しいお肉……。いや、だめだ。アルティッリョはカナリアなんだから」
コンドルですけどね。
あと、よだれを垂らしながら言っても説得力は無いです。
「奪えるんですか?」
「常に力で抑え続けるエンゲージみたいな感じでしょ。よゆーよゆー」
それならそれで良いですけど。
槍をハスタに返し、双刀も拾ってラーミナに返す。
どうすっかな。
服の替えも無いのに、服で血を拭っちゃったよ。湖で洗うにしても流石に乾くまでずっと裸はきつい。借りようにも奏雨の服は僕には小さすぎる。
「奏雨さ、僕が着れるくらいのサイズの服もってない?」
「そこにあるじゃん」
奏雨が指したのはカンパーナ。
正確には、カンパーナの服だろう。
「コイツの着るの?」
やだなあ。
気に食わない奴は服まで気に食わないんだから。遠慮願いたい。
だいたい、コイツの服も血まみれだ。奏雨は予備のことを指しているんだろうけど。
「嫌なら聞かないでよ。と言うか、替えの服はどうしたのさ。それで良いじゃん」
「ほとんどラフィの家ですよ」
「らふぃ……?」
「向こうの街の聖女ですよ。絶壁の聖女って言った方が分かりますか?」
ぽん、と奏雨が手を打った。
「あの聖女、ラフィって言うんだ」
「ラフィエット」
思ったよりも低い声がになった。
「?」
奏雨が首をかしげる。
「聖女ラフィエット。あるいはラフィエット様」
「ああー。おっけーおっけー。ラフィエット様ね、うん」
本当に分かってるんだろうな。
「つまり、そのラフィエットのところに着替えがあるわけね。で、他の物は?」
「だから、ほとんどがラフィの家だって言ったでしょう?」
段階を踏みながら、折れるのではないかと言うほどに奏雨の首が横に倒れた。
それから、勢い良く戻る。
「着替えのほとんどが、じゃなくて荷物のほとんどが、だったのか。分かりにくいよ。まったくもー」
本当に僕のことは見ずにカンパーナばかり追っていたんですね。言いませんけど。
これから色々頼む立場としては無駄に暁の機嫌を損ねて良いことはない。『穢れ』も少しは回復しているからわざわざ互いに不要な『穢れ』を生む必要もないだろう。
「分かりにくくてすみませんね。ついでと言っては何ですが、数日過ごすために必要な道具もいくつか貸してくれません? 薬とかもラフィの家なので動けないんですよ」
「取りに帰れば良いじゃん」
本当に僕のことは全然見ていなかったんですね。
監視するように見られていても困りますけれど。
「追い出されたんですよ」
奏雨がお菓子を地面に落としてしまった子供を見るような表情を浮かべた。
「ちゃんとごめんなさいした? 早くラフィエットに謝って家に入れてもらいなよ」
「そうじゃなくて」
ああうん。そっちに取られるんですね。
そりゃそうか。普通は、追い出されたと聞いて街からだとは思わないよな。痴話喧嘩だよな。
それだったらどんなに平和だったことか。
この状況で痴話げんかと思うかよ、とか思わなくもないけど。奏雨だからと言う理由で完全に納得できてしまうのもどこか腹立たしい。
「使穢者だと街の人にバレたんですよ」
「ああ」
ぽん、と奏雨が手を打った。
合わせたかのように、アルティッリョが大きく跳ねる。
「それは仕方ないね。熱湯かけられた? 石かな? 汚水……ではないか。そこまで臭くないもんね。食べ物も投げつけてこないってことは、そこまで余裕がある街ではないんだね。となると、石とか砂とかナイフとか?」
「弟弟子がやられたんですからもう少し寄り添うふりとかしてくださいよ」
「えー、気持ちわるーい。良いじゃん。なれっこでしょ?」
「それが傷心中の弟弟子に取る態度ですか」
「余裕ありそうじゃん」
「本当にそう思います?」
「うん」
じゃあそうなのだろう。
「ま、呑まれて死ぬならともかく、暁に普通に野垂れ死なれても困るからねー。と言っても、薬や非常食は生命線だし、補充できるとも限らないから、うん、ひとまずは貸すけど、ボクがラフィエットのところに取りに行ってあげようじゃないか。何。ボクは兄弟子だからね。感謝なんかいらないよ」
とは言いつつも、ちら、ちら、と目線をこちらにやって感謝しろと訴えてきている。
「はいはい。ありがとうございます」
「はいが多いなー。感謝が感じられないなー」
そりゃあだって、何が悲しくてラフィに奏雨を単独で会わせなくちゃあいけないんですか。
そう言うことが起こるとは思ってないし、奏雨がそういう感情を抱くとも思ってないけど。
何でわざわざ僕が会える機会を減らさなくてはいけないのか。
「さっきは感謝しなくて良いって言ってましたよね」
奏雨の提案に乗るのが一番だとは分かっているけどさ。
ラフィのためにも。
「さっきはさっき、今は今だよ。全く、過去に生きるなんて古いよ、暁」
ちっちっちっちっ、と暁が人差し指を立てて振る。
「はいはい。すみませんでした」
「だからはいが多いって」
けらけら笑いながら、暁がロコ・リュコスに跨った。
「今行くんですか?」
「もちろん」
奏雨が即答してくる。
「僕からの使いと言うか、僕に渡るって確実な証拠が必要じゃないですか?」
出来れば手紙とか渡したかったんだけど。
手紙を書く時間をくれなんて言えば、手紙なんかいらないでしょ、と言うような返事が来るのは分かっている。
「ウラガーノを見せれば大丈夫じゃない? ラフィエットも見ているわけだし」
ラフィはその時しっかりと名乗っていたのに、名前を忘れていたとか。
不安しかないのですが。
「だいじょーぶだいじょーぶ。じゃ、ちょろっと行ってくるから。ウラガーノは暁をキャンプ地に案内してから来てね」
奏雨の言葉が終わるかどうかのタイミングでロコ・リュコスが走り出す。
「多分連れの姿を見られたら入れないと思うんですけど」
僕の言葉は奏雨には届かず。
代わりに、ウラガーノが力なく返事をしてくれた。
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