興味
樹上から飛び降りてきた奏雨がその小柄な体をさらに沈める。片角が慌てて振り返り、剣を伸ばした。奏雨が大きく体を倒して、剣をかわす。そのまま片角の持つアルティッリョの剣を片角の手の上から掴んだ。
「ちょーだい」
菓子をねだる声と同じ声色で、奏雨の手から片刃の剣へ大量の『穢れ』が流れ込む。アルティッリョがもがき、地面に落下した。ハスタが角でアルティッリョを木まで投げ飛ばす。
僕もカンパーナも内包する『穢れ』が非常に少なくなっているのに対し、奏雨は万全。
剣の所有権をあっさりと強奪すると、奏雨は勢いのまま足を前に出して片角を斬り、体を回すようにして家系図を両断した。
家系図が断面から溶けるように骨と木材、鍋だけを残して消えていく。大鎌は距離を取って奏雨を見据えたまま。
「来ていたならさっさと出てきてくださいよ」
発露させた堕聖を体に戻しながら言えば、緊張感の欠片もなく奏雨が僕に顔を向けてきた。
「えー。だって、どっちか吞まれてからの方が楽しいじゃん。むしろ今の状態の暁達は呑まれでもしないと弱すぎて話にならないっぽい感じ? そう思ってずっと見てたんだけどさあ、どっちも呑まれなさそうで暇になっちゃって。ま、でも良いよね。どうせどっちもボクのモノなんだしさ」
奏雨が肩をすくめた瞬間に、片角が爪を突き出した。
ウラガーノが急降下してくる。若草色の鳥は保護色になっていたのか。片角の腕にウラガーノの大きい嘴が突き刺さった。逃げようとした大鎌を、今度はロコ・リュコスが噛んで捕まえる。白銀の立派な狼に咥えられる線の細い女性という図が、もう戦力差を十分に表しているようだ。
奏雨が二本の曲刀をウラガーノから受け取り、片角の爪を切り落とす。
「思ったより弱かったなあ……」
残念そうな呟きと共に、奏雨の目から興味の色が消えた。
大鎌はロコ・リュコスに振り回されて一気に弱り、片角は無数の切り傷が発生して、ぐたりと首を垂れた。
「どっち食べる? あ、カンパーナはあげるよ。暁が仕留めたに近いからね。でも、助けたのはボクだからさ、どっちかはちょーだい」
双刀を逆手に持ち直す。
「では、片角をください」
「かたつの…………、あ、こっちか。えぇ、こっちぃ……」
奏雨が顔を四度行き来させた後、片角を指さした。すぐに、露骨なほどに嫌な色が顔に浮かぶ。
片角の方が強いから食べたかったのだろうけど。僕が仕留めたようなものって言ったよね。
「ねえ、暁。大きな鎌ってカッコ良くない? すごいよね。男の子のロマンだよね。いやー、強そうだし。それに対して爪って……。ねえ。爪だよ。うん。爪。鎌の方がカッコ良いよ」
「奏雨が食べるのは大鎌の方だから良いじゃないですか。平和的解決ですね。良かった良かった」
「遠慮しなくて良いんだよ。ボクは兄弟子だから。弟弟子のために、少しくらいは我慢しようじゃないか。うん。ボクは心が広いからね」
「いえ。してません」
片角の足をラーミナが挟んだ。
片角は倒れずに持ちこたえるが、右腕をウラガーノ、左腕をハスタに封じられている。
「待って。譲ってくれても良いじゃん。カンパーナをあげるんだから。ね。一番と三番をあげるから二番をちょうだいよ。ちょーだいちょーだいちょーだい!」
「心が広いんじゃなかったんですか?」
普通の人間の心臓部分めがけて、逆手に持った刀を片角に突きさした。
「ああっ!」
予想以上に『穢れ』が少ない。
カンパーナと連動するようになっていたのか、カンパーナが裏切られないようにするためにカンパーナに渡していたのか。あるいは大立ち回りで大分消耗したのか。
「ばーかばーか。暁のばーか。待ってって言ったのに」
「待ってとは言ってないですよね」
頂戴と連呼していただけで。
「あんなの実質待ってじゃん。暁のばーか。あほ。あーほ。おたんこなす! 人でなし。ばーかばーか。お前のやり方人でなし! あほー!」
「罵倒のレパートリー増えなかったんですか?」
一年も旅していて何の成長も感じない。
「ボクは兄弟子だぞ。ばかにするな」
暁が片角の腹に曲刀を二本とも突き刺した。片角が急速に力を失っていき、肌が干からびどんどん消えていく。
約束やぶりだけど、まあ、奏雨だし。
いつものこといつものこと。
片角が終ぞ骨のようなものだけになると、奏雨が骨盤から上下に切り分けるように曲刀を動かした。
片角だったモノの色が薄まり、消える。
「次、行きましょうか」
奏雨がその童顔を大きくするように色々丸くし、それからロコ・リュコスによって叩きつけられてぼろぼろになっている大鎌の前で両手を広げた。
「ボクのだぞ!」
「取りませんって」
奏雨じゃあるまいし。
困ったようにも申し訳なさそうにも取れる鳴き声を上げたウラガーノの前を通り、カンパーナを見下ろす。
「エンゲージした奴らはもういない。それどこかグラッソは殺され、アルティッリョは寝取られたな。気分はどうだ、下郎」
にぃい、とカンパーナの口角が持ち上がった。
血塗れの歯が見える。歯並びは、無駄に整っていた。
「悪くない」
そう言うと、カンパーナが笑い出した。
体の揺れに合わせて傷から血が噴き出て、カンパーナの服をどんどん濡らしていく。
「そうか」
双刀を手放し、カンパーナの首を掴んだ。人差し指の付け根に、喉仏らしき硬さを感じながら存外やわらかい首を持ち上げ、木に叩きつける。
「死は解放だ。終わりじゃない。死んでからこそ始まるモノがある」
「は?」
何言ってんだ、コイツ。
「感謝してもらいたいねえ。ヴィーネも、君の両親も君の友達も。みんな憎しみから、『穢れ』から解放されたのだよ。俺っちのおかげでね。醜いことをもう見なくて済むようになった。絶望することも、苦しむことも無い。救いだろう? 俺っちこそが、太陽の街の救世主さ」
「下郎!」
肚の底から膨れ上がった熱が、喉元まで来て急速に冷却される。
かけている左手からは力が抜けかけた。
もう一回叩きつけるようにカンパーナを木にぶつけ、今度は両手で首を絞める。
「だってそうだろう? 目的を持つ『ソレ』らだっていたのに、誰も俺っちを殺しに来ない。来たのは君だけ。生者の君だけ。だぁれも恨んでないんだよ」
「っ!」
奥歯が痛い。
視界が崩れる。
それほどまでに怒りに震えているはずなのに、腕に力が全然入ってくれない。抑制されている。
「ほら見たことか。どうせ、ヴィーネが怒りを抑制させて君の動きを止めているのだろう? 俺っちを殺さないように。俺っちを恨んでいないから、俺っちのためにヴィーネが動いているんだ。一人になったのは君の方だったな」
「黙れ下郎!」
ポーチからナイフを取り出し、勢い任せに顔をナイフで殴りつけた。
あまりにも軽い衝撃の後、カンパーナが大の字になる。
「はは。無駄だよ、無駄。俺っちは君を恨んでなんかやらない。残念だったな。『穢れ』の補給なんかさせないとも。俺っちは後悔なんてしていない。しているとすればただ一つ。ヴィーネを、この手にできなかったことだけだ。残念だ。本当に残念だ。君みたいな青二才に奪われるとはねえ。馬鹿どもをけしかけ、能無しを焚きつけ、真意と違う解釈を丁寧に吹き込んで堕としたというのに。いやいや、能無しなんてそこらじゅうで取れるから楽だったとも。だが、仕込みの時間を無駄にされたなあ。はは。こんなんで良いか? ほら、やってみろよ。今なら『穢れ』が溜まっているかも知れないぞ?」
「黙れ」
「教会の近くのパン屋の看板娘。泣き叫ぶ姿はそそったねえ。自分は遊んでばっかいる先生気取りの商人。アイツに猟師の悪口を吹き込んだら慕う者が猟師に石を投げに行ったよ。あれは傑作だった。武器屋にもとばっちりが行って、一気に割れたなあ。『穢れ』が消えた保証はないって、本当はきっちり祓われている葬儀屋のことを吹き込めば目の敵にする勢力もできたな。救うとかいう名目で近づけば、気の弱い支配人は俺っちには何でも捧げてくれて非常に居心地が良かったよ。あの街は、ね」
悔しいが、一人一人。該当するであろう人の顔が浮かぶ。
それに合わせて力が入っているはずなのに、全て消される。『穢れ』だって渦巻いているはずなのに! この下郎を殺したいと。この手で。ゆっくりと。息を絶ちたいと思っているのに。
「誰かが来たか? 君の中で暴れているか? なあ。そんなことはないだろ? ほら。誰も俺っちを恨んでいない証明じゃないか。恨んでいるのは君一人。みんな、感謝しているのさ」
「下郎!」
赤子ほどの握力も残っていないのではないかと思う両手で、ナイフを落ちないように握りしめた。振り上げれば手が震え、狙いが定まらない。自分の意思から離れて行くような感覚もする。
大丈夫。振り下ろせれば、殺せる。狙いが定まらなくとも、顔面のどこかに当たれば、十分だ。
カンパーナの顔に三日月が浮かぶ。
「やってみろょぉ」
直後。笑っていたカンパーナの顔が、弾け散った。
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