誘い

 暖かな日差しと、やわらかい絨毯。

 穏やかな光景のはずなのにどこか暗く感じるここは、どこだろうか。


「少年、お姉さんが今日も今日とて連れ出しに来たぞ」


 跳び起きた、が、同時に夢であるとも悟る。

 いつもより低い視界、小さい手、懐かしいソファ。そして


「お、今日は準備が良いな、少年」


 無邪気に笑うヴィーネ様。

 家の扉を堂々と開け、白みがかった金髪を太陽に晒している。水色の瞳は温かさそのもので、手には小さな箱。記憶通りなら、リキュール菓子が入っている。


 確か、結構なアルコールが入っているのにチョコだからと食べてしまった時のだ。心配するよりも先にヴィーネ様は笑っていたっけ。ムキになって僕がたくさん食べようとしたら慌てて止めていたけど。どちらかと言うと、自分の好物が減るからだったりして。


「でも残念。今日はお姉さんは少年にいけない物を勧めに来ただけで、ザリガニ釣りにも虫取りにも行かないのだ」


 あーはっは、とガキ大将のように笑い、ヴィーネ様が僕の横まで来た。

 そのままソファに腰かけ、僕の前にリキュール菓子を差し出してくる。

 いけない物、と記憶の中では認識していなかったと思うけど。


「チョコだよ? 食べないの? 食べないなら、お姉さんが全部食べちゃお」


 これが冗談ではないことは分かる。

 ヴィーネ様は、本当に自分一人で食べつくす方だ。


「僕も、食べる」


 今より高く、幼い自分の声に違和感を覚えつつもヴィーネ様の手からチョコを奪い取った。

 あの時は喉を焼くような感覚とか、その後とか、いろいろと嫌な思い出があるが。子供じゃないし大丈夫。


「無理しなくても良いのに」

「無理してません」


 ここまで幼く感情が変化したっけか、と思いつつもお菓子を口に放り込む。

 チョコが溶け、酒が舌を埋めた。そのまま喉を焼いて食道を焼く。


「げほっ」

 と、思わずむせてしまった。


 記憶通りだ畜生。夢だからって都合良くはないのか。


「あーあ、また無理して」


 笑ってはいるが記憶とは違う言葉、記憶と同じ優しい声。

 背中をさすられながら、ヴィーネ様の太ももにヴィーネ様の方を向かせられて寝かされる。


「もう無理しなくて良いんだよ、暁。がんばらなくて良いの。暁はよくやっているよ。お姉さんが言うんだから間違いないの。だから、休んでも良いんだよ」


 優しい声と、優しいリズムに溶かされそうになる。溶けてしまいたくなる。


 でも、これは夢だ。現実じゃない。

 ヴィーネ様はもういない。


 腕に力を入れる。脱しようと肚にも足にも力を入れる。

 でも、動かない。


「無理しないで」


 夢だ。夢だ。夢だ。

 これは、夢でしかない。あり得ない光景だ。匂いも体温も声も全てがヴィーネ様であったとしても、これは夢だ。


「がんばっていたとしても、まだ、何も成していないっ」


 腕が、すかっと宙を切った。


 勢いそのままに前に出て、びくりと体が跳ねて目が覚める。

 視界にまず入ったのはハスタの足。頭に感じるのは重み。目を上にやれば、ラーミナが僕に乗っかるように寝ており、ハスタが角でラーミナを支えていた。


「ありがとう」


 ハスタは首を痛めないようにしてくれていたのだろう。

 お礼を言いつつ、ラーミナを持ち上げて膝の上に乗せる。


 夢の原因はこれだろうな。

 ラフィに祓われたせいで折角溜めていた『穢れ』もほとんど失ってしまった上にこれだから、やけに居心地の良い夢を見たのだろう。


「あのまま、か」


 ハスタの頭部も撫でるが、ハスタは何も言わない。されるがまま。

 ラーミナはすやすやと。

 赤子を抱くようにラーミナを抱きかかえ、立ち上がる。ハスタも僕に合わせて浮上した。


 木々を避けて森の端で壁を覗き見れば、相変わらず街の人が数人単位で徘徊しているのが見える。


「相変わらず、近づくことすらできないか」


 目を凝らしてみても、壁の下に何かが投げ込まれたような形跡はない。

 ラフィの家から、街の人に気づかれずに物を投げられる可能性が高いとしたら此処なんだけど、それでもないってことはまだラフィの家の中である可能性が高いだろう。


 どうしようか。

 もう少し根気と根気の勝負をするしかないだろうな。

 とは言え、こちらが不利なのは変わらない。

 薬も最小限度、サバイバルにすぐ使えそうな物はナイフのみ。食料はほとんどなし。狩りをする必要がある上に普段の力は出ない。寝間着も何もない。そもそも、僕は昼食を食べ損ねて逃げた上に草ばかりを口にする生活。向こうは家に帰ればしっかりとした食事があると来たもんだ。


 警戒しすぎな気もするが、カンパーナが夢の先とかを呼び出したから仕方が無い。気持ちは分かる。ラフィと言う強力な聖女の庇護下で生活を続けていたのだ。他の場所よりも過剰な反応にもなるだろう。


 とは言え僕も、ラフィに何も言わずには離れられない。

 せめて一言二言。ラフィの気持ちを和らげる言葉を掛けたいのだけど。

 ただそれだけで良いのだけど。街の人は許してはくれないだろうな。


 僕にも反省点がない訳じゃないし。


 カンパーナに対して、攻撃的に行き過ぎた。あれは街の人に警戒を抱かせるには十分だろう。後半はラフィとの共闘が無理だから脇に避けていたけど、あの場面で前半の攻撃性を少しでもカンパーナに向けていたら変わっていたかもしれない。

 後悔先に立たず、だけども。


 起き抜けのまどろみに入り始めたラーミナの背をなでつつ、壁から離れて森の奥へ。


 集団にならないと流石に叩けないと知っているのか、街の人が森に来ることはほとんどない。

 ならば最善は、森で過ごしつつ奏雨と合流すること。合流して装備を貸してもらったりしながら籠城体制を整える。幸いなことに雪はほとんど降らない地域の上に雨期も無い地域なのだ。そこまで長丁場に困る事態にはならないはず。


 一日二日の距離ならば、そろそろついてもおかしくないのだけど、奏雨のことだからな。

 もう三日四日は様子見していてもおかしくはない。こっちを見つけても、しばらく黙っていそうだ。

 本当に困った兄弟子だよ。


 ラーミナの大あごが下がり、また眠りについたように脱力した。

 ハスタがむっとした空気をラーミナにぶつけたけど、笑って押さえてもらう。

 ハスタも疲れているだろうからな。どこかで休んでもらわなくてはとは思うけど。


「とりあえず、どっかで『穢れ』でも集めようか」


 森にも少しずつは溜まっている。それらを集めれば、ないよりはマシになるだろう。

 こればかりは奏雨からもらうわけにもいかないし、やっておかないと。


 ヴィーネ様に良く歌っていただいた子守唄を、今度は僕が歌いながらゆっくりと苔を踏んで奥へと進む。

 少し暗く見えるのは、『穢れ』の所為ではないだろう。空気がじめっと感じるのも、小鳥のさえずりがうるさいのも。

 森が、またつまらなく見えるのも。


 振り向きかけた首を無理矢理抑えて、ゆっくりと進む。


「何もないね」

 と隣のハスタに言えば、「まだ全然歩いていないじゃん」と言わんばかりに呆れた目をハスタが浮かべてきた。その瞳に、どこか同情を感じる。飛ぶ高さも、僕の目線のやや下。


 そんなに歩いていないのか。

 同じような光景ばかり続いて、飽きたと言うのに。

 そんなことここ一年なかったのに。


 子守唄を再開して、ゆったりと歩き続ける。

 湖が見えるくらいまで奥に進めば、急にハスタが大きな羽音を立てた。


 威嚇音だ。


 腕の中のラーミナがハスタに叩かれ、目を覚ます。

 痛かったと訴えてくるラーミナの頭をなでつつ、ハスタから槍を受け取る。


「そう警戒しないでよ。互いに得になる話を持ってきたんだからさあ」


 言葉とは裏腹に全く油断ならない声を出しながらカンパーナが巨大な木の後ろから現れた。

 ばさりばさりと大きな音を立てて、アルティッリョも降りてくる。

 あんだけ巨大なコンドルに林冠がしっかりとしている森はきつかろうに。

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