追放
「場数が違うんだよ、餓鬼が」
カンパーナが挟んでいた槍を上に放るように拘束を解いた。
どうしても腕が上がり、大きな隙ができてしまう。
カンパーナの膝が沈んだ。グラッソがハスタを牽制する。ハスタは大きいとはいえカブトムシ。二メートルを超えるクマのグラッソが四肢を存分に使えば動きを抑制することは容易なのは、見れば分かる。
槍は下ろしきれた。
だが、防御態勢は無理。
「じゃあな」
カンパーナの声と同時に、ステンドグラスのような物が現れた。
カンパーナが目を見開く。その顔も、すりガラスのような壁によって見えなくなった。紫、ピンク、黄色をあしらい、グラデーションも使われている、綺麗なガラス。神聖な壁。
空気をひりつかせる衝撃音を聞きながらその場から飛び退き、ラフィの方を見る。
『穢れ』は祓いつくされており、カンパーナに対して剣が抜かれていた。
「いくら何でも早すぎだろ」
カンパーナがまた球体を取り出した。
あと幾つ持っているんだ。
……もし材料が落としてきた街の住人だとしたら、底なしにあってもおかしくはないのか。
「そちらの悪しき球体は、いくつお持ちなのでしょうか?」
ラフィが僕の疑問と同じことを言った。
場にそぐわず浮つきそうな心に石を縛り付けて沈める。
「試してみるか? お代はアンタと此処の住人で結構っていう格安価格でな」
ラフィが僕を見た。
申し訳なさそうな光が宿ったのも一瞬で、すぐにカンパーナに向き直る。
「いえ。それだけあるのなら、私も遠慮せずに行こうと思いますので必要ありませんよ」
「そうかいっ」
カンパーナが両手から零れるほどの球体を取り出した。グラッソも大口を開けて、肚から吐き出すように一杯の球体を溢し始める。
「聖気増幅、聖域展開」
ラフィが静かだが良く通る声で告げた。
瞬間、街を囲う壁から透明な屋根が伸び、街がラフィの聖気で満ちる。『穢れ』を内包したカンパーナの球体は、街の『穢れ』を拾えることも無く自己の『穢れ』すら消されて、さらさらと風に吹かれた砂のように消えていった。
同時に、僕自身の『穢れ』も消されつつある。
えぐいな。
絶壁の聖女。実力で言えば圧倒的な強者。
そうは聞いていたけど、ここまでとは思わなかったよ。
普段のラフィからは想像もつかない、いや、聖女たらんとしているラフィからは想像がつくか。
「嘘だろ」
カンパーナの顔が僕以上にひきつる。
当然か。
奴は僕とは違ってラフィの敵意を受けているわけだから。積極的に祓われるだろう。
「嘘ではありませんよ。教えてくれないのなら、全て祓ってしまおうと思ったまでですから」
カンパーナの頭上に、ステンドグラスでできたような数多の剣が浮かぶ。剣先は全てカンパーナへ。カンパーナが手甲を構えた。剣が落下する。
手甲が振るわれる度にステンドグラスが砕け散り、きらきらと、幻想的な光景を作り上げた。
命を懸けているとは思えない。お祭りの最終盤を飾る演武のように。
剣が一本も刺さることなく終わったが、カンパーナの顔はひきつったまま。
それもそうだろう。
何せ、剣はその場に留めるためだけのもの。本命は清浄な気で祓うことだと言うのは、見れば分かる。
余波を受けているだけの僕ですら力を削がれているのだ。奴は、僕の比ではないはず。
「先ほど私の街の人が頂いた恐怖、お返しいたしますね」
すっかり置いてけぼりになった街の人の束からラフィが離れ、剣先をグラッソに向けた。
ステンドグラスがクマを隠し、三つの盾がオブジェの周りを回転する。残った一つの盾がカンパーナの前に出て、聖壁を展開した。
カンパーナが殴りつける前に、込めた力が霧散する。『穢れ』による力は無意味、か。
ますます援護は出来ない。
いや、元から『聖女ラフィエット』に『使穢者』は必要なかったか。
ラーミナの援護にハスタを向かわせて、緩く槍を握りなおす。
「すみません」
ラフィの心からの謝罪のあと、剣が横に振られた。
ステンドグラスが発光しながら砕け、光で目が焼かれる。白くチカチカとする視界の中で、どさり、という重い音がした。動きは分からない。少なくとも周りに人は居ない。
ぼんやりと視覚が戻り始める。
真っ先に見えたのは、地面に横たわっているグラッソ。動きはない。動く気配も無い。
次いで、目を大きく見開いたカンパーナ。視界は最早ただのクマの死体と変わらないようなグラッソに固定されている。
言葉もない、と言うことだろうか。
追い打ちのように手甲が砕けて消えた。煙が上がるような残滓だけを残して、消えた。
「……うそだろ……」
両手を見た後、カンパーナが勢いよく振り返った。
だが、アルティッリョを呼びはしない。その隙に、ラフィの盾から光が放たれカンパーナが内包している『穢れ』を祓う。
「ぁっ、ぐ……そっ」
苦悶の表情のまま、カンパーナが左手中指から小指にはめている指輪をなぞった。
『穢れ』が溢れ、タコ足のような数多の触手がラフィの盾を捕まえる。日なたに放置され続けた白いキャンパスのような色をした異様に細い手足の眼のくぼんだ女のようなナニカがラフィに向けて手を伸ばす。
そのいずれも、一瞬で振り祓われた。
「アルティッリョ!」
エンゲージで契約していた『穢れ』に任せている内にと言わんばかりに、カンパーナが吼えた。ラフィの盾の一つがアルティッリョに面を向けたまま回転する。
「ハスタ、ラーミナ、離れて!」
アルティッリョから二人を放した瞬間に、光の柱がアルティッリョを穿った。
今回は内在する『穢れ』が全部祓われることなく、アルティッリョがただのコンドルに戻ることも無い。
刃ですら身の丈を超える鎌を持った女性型の『ソレ』と身の丈が優に建物を超える、顔は女性だが髪は長く腕も長く爪も長い『ソレ』が現れる。
いずれも強大な穢れを纏っている上に、巨大な奴は細い腕の至る所から老若男女様々な顔が苦悶の表情で生えている。「ぉぉ」だとか「こぉぉ」だとか漏らして、丸い眼と丸い口で。腰から下は黒い物体がでろでろと流れ続けながらスカートのようなナニカを地面に広げており、時々細く小さい手足が見え隠れしている。
堕とした街の『穢れ』を全て吞み込み、聖女を核の中心として街の人を核にできた異形だろう。おぞましいその怪物は、さしずめ『夢の先』と言ったところか。街の民が幸せに暮らせる夢を目指した聖女のたどり着いた先。ふざけた現実。捻じ曲げたのは、逃げようとしている男。
「時間を稼げ!」
カンパーナの叫びと共に、夢の先が手を持ち上げた。
悲鳴と雑踏が鳴る。ラフィと街の人の間には距離ができ、カンパーナはアルティッリョに掴まった。堕ちた聖女二人が相手なら、ラフィはそっちに集中するか。
「纏え!」
ハスタを呼び寄せ、槍に装着する。
持ち上げて、地面に叩きつけた瞬間。込めた力が露と消えた。
「はい?」
結果、跳躍が思い通りにはいかなくなる。
屋根の高さすら越えられず、何とかと言った形で着地を成功させた。
「逃がしません」
ラフィの言葉と共に、空が変色した。変色したように思えた。
見上げれば、ステンドグラスの剣が空を埋め尽くしている。アルティッリョは力の大部分を失ったのか、カンパーナごと落下していた。剣が揺れ、落下が始まる。カンパーナがアルティッリョを抱えて、家の中に飛び込んだ。ステンドグラスは家を壊すことは無かったが、数秒置いて家を挟んで逆側の道路に落下した。
その後も、間隔を開けつつ攻撃が続く。街の人を避け、誘導もしながら攻撃しているのだろう。
ステンドグラスの剣の動き的に、カンパーナはほとんど自力で走っている。たまに家に飛び込んで、息をつきつつ壁へ向かって。完全なる敗走だ。
突如夢の先が肥大化する。大鎌は消えたが、吸収したのではなく呼び戻したのだろう。そして夢の先の肥大化。つまるところ、自身の『穢れ』を提供しての捨て駒だろう。
だが、最早街の人に悲鳴は無い。
絶対の安心を持って叫び、ラフィが祓う。
流石にカンパーナへの追撃の手は緩まったが、ものの十数秒で夢の先は数多の骨片へと姿を変えた。遠くでカンパーナが壁の上まで飛んでいくのが見える。
夢の先を祓い終わるとともに聖女の力が弱まったのを確認して、槍に再び力を充填した。
こつん、と槍に軽い衝撃。
「お前も出てけ!」
「穢れた血め」
恨みの籠った眼と声。怨念を存分に詰め込んだ投擲。
祓ったばかりだし、今もラフィの力は揺蕩っている。今すぐにソレらが出ることはないだろう。
「みなさん、落ち着いてください。暁さんはみなさんを守ろうとして」
「守ろうとして? 違いますよ。コイツが連れてきたに違いない!」
ラフィの言葉を遮り、ラファの手を強引に引っ張って。
「みなさん、聞いてください」
「コイツも化け物を呼ぶものを持っていた」
「そうだ! アイツと同じじゃないか」
「違います。暁さんの物は祓いやすくするための物で、先程の男性の物とは違います」
ラフィが必死に言ってくれてはいるが、投擲は止まらない。
槍とハスタ、ラーミナが防いでくれてはいるが、いかんせん数が多いな。
ラフィの声が聞こえていないと言うよりは不都合な言葉が聞こえなくなっているという状況だろう。まあ、どこの人間も同じか。集団で見れば、人間なんてこんなもん。
街の人も、ラフィに対する善意から言っているんだろうけど。
「何をおっしゃっているのですか、聖女様」
「おのれ、聖女様を手籠めにしたか」
ほら。案の定、催眠やらなんやらを僕が使ったという風に誰かが認識したよ。
その間違った認識が、あたかも正しい認識であるかのように、瞬く間に集団に広がっていくしね。基本的には、どこでも同じことの繰り返し。
「待ってください。暁さんは」
「聖女様、ご安心を」
「何を言われていようと、我々が守って見せますので」
「大体、絶壁の聖女様が『穢れ』の侵入を許す方がおかしいんだ。誰かが手引きでもしてない限り入ってくるわけがねえよ!」
「そうだ。アイツが連れて来たんだ! アイツの『穢れ』だ!」
ついに、ラフィの言葉が街民に呑まれる。集まってきた民衆によって、ラフィの作ったランチボックスが蹴とばされたのが見えた。転がって、家にぶつかり完全に中身をなくす。
「出てけ! 聖女様を穢す外道が!」
「近くに置いておくからおかしなことになったんだ!」
「聖女様には二度と近づくな!」
ラフィが楽し気に作っていた料理も、完全に砂にまみれてしまった。
ラフィがそこに気づいた様子がないことが、まだ救いかな。願わくば、一生気づかないでいて欲しい。たぶん、届かない願いなのだろうけど。
「ラフィ、いいよ。元々、一緒に住めるはずがなかったんだ」
言った先から、言葉が通った喉が、ナイフで切り裂かれながら突き進まれたように。確かな痛みが走る。
この呟きも、ラフィを圧し潰すような民衆の声によって届きはしなかったのだろう。
夢の先とかと比べて、僕は弱く見えるしね。自分たちでどうにかできる存在、弱い存在だと認識していてもおかしくはない。
「お前なんかさっさと追い払っておけばよかった!」
「一年もいたなんて信じられない!」
石から別の物へ。
投げられる物なら何でもと。
ついに、ランチボックスを誰かが掴んで、僅かに残った中身をまき散らしながらこちらに向かってきた。
ラフィの顔がはっきりと見える。目は見開かれ、大きく、丸く。
「殺せばよかった」と、誰かが叫んだ。後は、いつも通り。殺せだの死ねだのの大合唱。
ゆっくりと後ろに下がりながら、跳躍できるだけの力を槍に込める。
今は何を言っても無駄。一度、出ていくふりをしないと、どうにもならない。
「……勝手なことばかり、言わないでください……」
ラフィの声が、かすかに聞こえた。
「私の話も聞かずに、勝手なことばかり言わないでください!」
初めて聞くラフィの怒声に、全ての動きが一斉に止まった。
街の人が投擲の姿勢のまま止まり、ゆっくりと腕をおろしていく。視線は一様にラフィへ。一部の子供が、親らしき人にしがみついては居るが、基本はラフィへの視線。
当のラフィは肩を荒く上下させており、長い薄紫の髪によって顔は見えなくなっている。
はた、と。ラフィの肩が止まった。
先程までとは別種の驚きと、僅かな後悔が含まれているように見える顔が確認できる。
ラフィ、良いよ。間違ってないよ。何も。
口には、できないけど。目は、合う。
ゆっくりと、ラフィが俯いた。
「神威、顕現」
こうなるか。
四つの盾が、勢いよく僕に迫りくる。ハスタが三つ弾き、ラーミナが近場の一つを弾いた。
『穢れ』の力を使うのではなく、内包している力と、盾からラフィの力を吸い取って、新たな源として。
「下がってください…………下がって!」
一度目では動かなかった街の人が、ラフィの大声で下がる。悲鳴に似た声は、どれほどの人に思いを伝えられたのだろうか。
ラフィの顔が上がり、真っ直ぐな姿勢となる。
「使穢者を、祓います。内包する『穢れ』が無ければ、ただの人ですから」
決意の定まった、鋼の顔だ。
左目から流れる涙ですら、彼女の決意を変えることは無いのだろう。街の人に見られていないのが幸いか。いや、見せないために下げたのか。
「それで良い」
それで良いよ、ラフィ。
聖女が街の人を守るべきとは思わないけど、街の人に嫌われれば聖女は終わる。
今、僕を庇うのは愚策だから。
「貴方も、あの人と同じ使穢者ですから。ここで、全ての罪を清算させていただきます」
ハスタが四枚の羽を広げ、音を立てて威嚇する。
ラーミナはおどおどと、後ろに下がってしまった。
「聖気増幅、聖域展開」
膝が折れかけた。
肚からごっそりとナニカを抜きとれたように、へそに力が入らなくなり、伏しかける。
原因なんて考えなくても分かる。本気で祓いに来ているのだ。
空から降ってきたステンドグラスの剣を弾きながら下がる。
クマの死体が目に入った。
『穢れ』を内包し、この世から逸脱した存在として寿命を超えても『グラッソ』として生きていたのだろうが、それが無くなったことでただのクマとなり、死体となった。そんなことを数十秒で完遂できるのだから、流石に、危ういか。
「ラーミナ!」
むずがるラーミナを無理矢理左腕に着け、ハスタを飛び回らせて『穢れ』の代わりにラフィの力を吸収する。狙いの定まっていないステンドグラスの剣は槍で弾きつつ。
「行くよ」
槍にラフィから吸収した力を籠めた。
地面に打ち付けて、跳躍。
ラフィに攻撃なんてできない。ラフィが守りたいと言っている人にも攻撃は出来ない。
嫌いだし下に見ているし死んでも構わないと思ってはいるけど、攻撃は出来ない。
屋根に着地すると、ステンドグラスの壁が形成された。逃がさないと言っているかのように、高く。
屋根を叩いて横に移動し、勢いを利用してさらに高く跳ぶ。落下の開始に合わせてラーミナに羽を広げてもらい、虚を突くようにもう一回上へ。一瞬遅れて現れたステンドグラスの壁を叩いて、さらに跳び上がった。
最後に、ラフィを見る。
ステンドグラスが刺突特化の剣に変わっていっているが、決定的な機に攻撃はしてこない。
代わりに、盾が四枚とも飛んできた。当たりそうなところで微妙に速度が緩み、角度が変わる。壁の外にはいかせないように、内側に必ず面が来るようにはなっていたが、構わず利用させてもらった。
「ごめんね、ラフィ」
口の中だけで転がして。
高い壁を、連れと共に越えたのだった。
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