仇敵
振り向けば、少女の頭骨を脚が異常に発達したコンドルがかっさらっていくのが見えた。
知っている。あの鳥も。この声も。
「カンパーナ……!」
「俺っちを知っているとは嬉しいねえ。ま、同業者で知らない方が少ないか」
左頬の火傷と裂傷も、右耳の切れ込みも。記憶の姿とほとんど変わっていない。
聖なる気が駆け抜け、背後でぱしゃん、という水音がした。
横目で見れば、刃付きの手足が溶けて地面に体を強打している。
「同業者ついでに教えてやると、折角の核を聖女なんざにやるなって。自分で食った方が何万倍もマシさ」
アルティッリョが猛禽類よろしく滑空しながら刃付きに迫った。
ラフィの浮遊盾が防ぎ、弾き、その間に刃付きを祓っていく。
「聖女にこんだけの力がありながら穢れが多い街とはねえ。男にかまけて怠慢してたんじゃねえの?」
「口を慎め下郎」
カンパーナが肩をすくめた。
「おや失敬。同業者であっても同じ目的ではなかったか。これは出るタイミングを誤ったかな。ふうむ。もう少し、仕込むべきだったか」
「シンデツグナエ」と言った子から、黒い粘液があふれ出す。悲鳴に連動するように街の人の足元に汚泥が現れ、ラフィが祓った。
ラフィの瞳に、苛烈な色が宿る。
「貴方を頂戴しに参りました。絶壁の聖女『様』。是非とも、
慇懃な態度でカンパーナが懐から異形の核足り得る球体を三つ取り出した。普通の物と違うのは、既にある程度『穢れ』を内包していること。
全部コイツか。こいつが、街の人に吹き込み、『六つ脚』を呼び出したのか。そんでもってコレクションだあ? クズめ。
にやり、と笑ってカンパーナが球体を放り投げた。
させるかよ。外道が。
「ラーミナ!」
ラーミナが球体を一つ挟み、穢れを吸い取る。カンパーナのエンゲージリングからも『穢れ』が供給されていたが、全てがラーミナの元に。一つは遅れてラフィが弾いた。すぐに祓われるが、一つだけ、『六つ脚』を象り、『グギャギャギャ』と臓腑を逆なでする声が発せられた。
「おいおいおいおい。同業者だろ? 『穢れ』を纏めてから消すのが仕事じゃねえか。何してくれてんだよ」
カンパーナが笑いながら球体をまた取り出した。
「纏え」
ハスタを槍先に着け、叩きつけるように跳躍。
相も変わらず屋根の上に居るカンパーナめがけて槍を叩き落した。カンパーナが球体を取りこぼしながらかわしてくる。屋根が多少砕けたが、バケツ男の家だし。ラフィが悲しみそうだなってくらいの罪悪感しかない。
「ラーミナ!」
取りこぼした球体の『穢れ』はこちらでいただく。
「聖女は敵だろ? 祓うが何だか知らねえが、同業者の戦闘手段を奪っていくじゃねえか。アイツらは守ってんじゃなくて、俺らを弱くして守られなきゃ生きていけなくしてんだよ。わかる?」
「黙れ!」
カンパーナがアルティッリョから受け取った片刃の剣を、力任せに弾く。
峰の六、七割が紅いカバーのようなもので補強されているのは伊達ではないらしく、剣にダメージは全くなさそうだ。
「聖女に誑かされた口か? やめとけやめとけ。守るとか言っておきながら、忌み嫌われている奴は捌け口にしたまま放置するような輩だぞ? 今回だって、予測できた展開じゃないか。なあ?」
こちらの攻撃をかわしながら、カンパーナがしゃべり続ける。
声のベクトルは、僕ではなく街の人。
狙いは明白。
なら、二度と口を利けなくするまで。
「穿て!」
カンパーナが口を開いたタイミングで、ハスタを射出した。
「ラーミナ、纏え!」
ハスタが防がれる隙にラーミナを槍の先端に付け、力を一部解放する。
ラーミナが大あごを開くのと同時に槍を突き出した。剣ごとカンパーナを挟み、カンパーナの『穢れ』を消し飛ばしながら地面に投げ捨てる。
途中でカンパーナを掴もうとしたアルティッリョはハスタが弾く。大きなコンドルを巨大なカブトムシが攻撃すると言う、街の人から見たら頭が追い付かない光景だろうが、黙ってくれているならばどうでも良い。むしろ混乱して変な想像に回す思考がなくなれば最高だ。
大きな音を立てて、カンパーナが地面の上に潰れた。
その状態で転がって、僕を見てくる。いや、指をさして笑うように、体を小刻みに動かし始めた。歯肉を見せつけるように、大きく笑っている。『六つ脚』とは別種の不快さが、肌に叩きつけられている。
「なるほど。なるほどな。合点が行ったよ。ヴィーネか。生きたまま街の人を焼き、街を灰燼に変えたあのくそったれな聖女か。太陽は街を焦がすってか」
何も、見えなくなった気がした。
ラーミナが離れる。槍が軽くなる。体が宙を浮き、槍が折れんばかりに地面を砕いた。肉を壊す手応えは一切ない。
「下郎が!」
自分の中で膨れ上がった『穢れ』が、一瞬で消える。
鼻から大きく息を吸って、ゆっくり口から吐き出した。
それでも沸々と湧きあがるそれを、何とか制御するように堪える。ここで、ラフィの街の人の前で使っていい物じゃない。聖女の信頼を、揺るがすようなことはあってはならない。
「いやしかし、そっちから来てくれるとはな」
少し足が痛んだが、気にせずに距離を詰める。
「肉が鍋とねぎを持ってやってきたとはこのことだな。嬉しいよ、ヴィーネ」
「口を慎め!」
槍と剣がぶつかり、勢いのまま弾く。
馬力の差はあるらしいが、カンパーナもすぐに後ろに引いたため肉体には当たらない。
くそが。
「エンゲージし損ねたのが後悔だったんだ。あんだけの聖女を」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」
「堕としたのだから、その力を自分の物としなくちゃあ損だろ?」
いつもより早く息が上がる。体が熱い。槍が軽い。
目の前の敵が憎い。
殺したい。
死ね。
死ね死ね死ね死ね。
「っ」
すん、と憎しみが抑制される。
踏み出しかけた足で強く地面を踏みしめ、背後に気をやる。
ラフィは戦闘中。街の人にはヴィーネ様が堕ちたと言う言葉は聞こえていない可能性が高そうだ。それでなくとも、喧騒で騒がしい。犯人捜しの声さえする。
あの調子では、しばらくは自分の身の可愛さでラフィの足を引っ張り続けるだろう。それが自分の首を絞めているとも理解できずに。
「面白い。そういうことか」
カンパーナが楽しそうに口元に三日月を作った。
「あ?」
「君のことだよ。君は、誰だ? 一人か、それとも。なんてね」
「悪いな。てめえなんぞに名乗る名前は持ち合わせていないんでね」
カンパーナが口に手を当てて、小刻みに肩を揺らす。
「ああ。別にそれで良いさ。いやしかし、一つの『穢れ』を核としてその他の『穢れ』を制御しようとするとそうなるのか。いやあ、面白い面白い」
普通じゃないのは知ってるよ。
普通は支配されないように、互いを睨ませるように複数の穢れを少しずつ保持しておくものだもんな。
「横槍が入った時はどうしてやろうかと苛立ったものだが、いやはや。完璧に近い状態で保存しておいてくれたとはありがたい。本当に、俺っちのために悪いねえ」
「汚物をまき散らすな下郎」
人の人生を狂わせて、あまつさえ物扱いか。
保存だと? 自分のために悪いねえ、だと?
クズは死ぬまで害ばかりだ。
こんな奴の所為で。
「酷いなあ。『穢れ』はそっちが勝手に垂れ流したんだろう?」
三度の突きを、三回とも奴の体の近くで防がれる。
「あ、そうだ。あの時の感想を聞かせてくれないか? 初めてなんだよ。生き残りに会うのは。普通はもれなく死んじゃうからさあ。君はかなり、興味深い」
槍先を剣で防がれたまま柄を掴んで押し込み、腹を殴るようにカンパーナを下げる。
「感想ならお前の体に教えてやるよ」
ハスタが槍先についた。
アルティッリョの相手はラーミナに交代。
今度はコンドル対クワガタか。
「あー」
やる気が無いかのようにカンパーナが剣を横に倒した。
「ヴィーネは君の街を裏切った聖女だろう? その中には君の両親を始めとする家族もいたはずだ。なぜ庇う?」
無視して、ハスタの力の一部を解放する。
先端に『穢れ』を持っていくイメージと共に頭上で回転させてから、先端を背中に下げて掴んだ。踏み込む。振り下ろす動作と共に、下郎との間にある地面が内側から弾け飛んだ。黒い毛皮が見える。止まれはしない。
構わず全力で槍を叩き下ろした。
鈍い衝撃の後、抵抗が強くなり、じりじりと槍を持ち上げられる。
二メートル、どころじゃないな。もっとある。
連れは鉤爪の発達したコンドルと巨大なクマだとは聞いていたが、ここまでとは。
アルティッリョの羽音が聞こえ、慌てて飛び退く。ラーミナが僕の顔に影を作った。アルティッリョはカンパーナの傍まで飛んで、片刃の剣を回収していった。
「寄越せ、グラッソ」
カンパーナの言葉の直後に、奴の両腕にぶっとい手甲が現れる。二倍や三倍なんてモノじゃない。まっすぐに両腕を伸ばしただけで両者が当たるほどに太い、茶鼠色の手甲だ。
ラーミナが四枚の羽根を目一杯広げ、大あごを何度もカチカチ言わせて威嚇する。ハスタは槍について沈黙したまま。
グラッソはクマよろしく両手を上にやり大きな爪と太い牙を露わにしながら二足で立った。アルティッリョはカンパーナの近くを旋回している。
「流石にそれは死ぬよ」
カンパーナの口は裂けるように笑っているくせに、目は一切笑っていない。
「死んだ後のお前は謝罪行脚が大変だもんな」
「他人様に謝らなければならないことなんて俺っちは微塵もしてないけどなっ」
手甲がぶつかる鈍く響く音の後、カンパーナが走り出した。そのカンパーナを隠すようにグラッソが前に出てくる。ラーミナは、アルティッリョに連れていかれるように再び空中戦に。
「ちっ」
槍を叩きつけて、上空に脱する。
グラッソが斜めになった。クマの背を駆け上がり、カンパーナが向かってくる。
「ハスタ!」
互いに空中。逃げ場なし。
射出されたハスタがカンパーナに大角を突きつけた。カンパーナが落下する。だが、拾う動作なくグラッソが僕の着地地点に来た。ラーミナは、間に合わない。
激突。
視界が激しく揺れて、一瞬で過ぎ去る。
左半身に痛み。右側にも痺れが残るが、鋭い痛みはない。爪は槍で防げたのだろう。
「つっ……」
立ち上がろうとしたが、上手く力が入らず。
左側から家屋に再び倒れ込んでしまった。
前方ではハスタがグラッソを牽制するように飛び回り、追撃を防いでくれている。カンパーナは寝そべったまま笑っていた。
「何が楽しいんだ、下郎め」
柄を地面に突き立て、左手で壁をまさぐるようにして立ち上がる。
ラーミナは。
押されているか。双刀への換装は無理。アルティッリョを呼びよせかねないだろう。
「んーんんー、と」
鼻歌を歌いながらカンパーナが立ち上がった。
「まずは君からヴィーネを回収する方が先かな」
「何が回収だ」
グラッソが動いた。クマの巨体で、カンパーナが見えなくなる。
どうくる。
どう動く?
背中を家屋に任せて、槍を両手で握った。グラッソの左側から球体が投げ捨てられた。街の人に近づくに従って『穢れ』を吸い取り、ぬらぬらとした触手が現れる。太陽の光を反射して、てらてらと光りながら。ラフィの方へ。
ガンっ、と硬質な音が響く。
意識を発生源へ。
ハスタがカンパーナを弾き、グラッソを威嚇していた。
「いつも悪いね」
槍を一度強く握り、力を抜いてから走りだす。
「纏え!」
ハスタを槍につけつつ、今朝のアレの力を槍先へ。ハスタには与えず、あくまでも槍に力を留める。
予想通り、グラッソが前に出てきた。ハスタが外れる。そのままグラッソへ。カンパーナとの間に槍が通る隙間ができた。そこを、突く。
硬質な感触と地面を打ったかのような手応え。
爆発させるように解放した力は同じく手甲に含まれていた力で相殺され、穂先は手甲の間に埋まっていた。
押しても引いても、上に動かしても下に動かしても、左右に揺らしても動かない。
ハスタにグラッソをかく乱することは出来ても抑えることは無理だろう。
「ちっ」
僕の舌打ちとカンパーナが口に弧を描くタイミングが完全に被った。
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