開始
強く発光しながら、宙を八つの盾が駆けまわる。ラフィ自身にも光が纏わりつき、手足と内臓を護るように銀色に紫色を垂らし広げたような鎧が顕現した。腰には、紫の宝玉が埋め込まれた細い長剣。
ラフィが剣を抜く。穢れ無き銀色の刃が露になった。
「消えなさい」
四つの盾が六つ脚にぶつかる。
発光しながら圧し潰すように。
六つ脚が口を開けて、人々の心の中に『グギャギャギャギャ』と逆なでする声を立てた。
「疾く、消えなさい!」
発光が強くなる。一方で、心の中の異形な叫びも強くなった。
黒い脚の一本が、盾の隙間から出て不可視の壁を掴む。腰を抜かしている人間を掴むように。探すように。何度も何度も広げて叩いて、閉じて戻る。
「ふざけるなよ。なんで俺が襲われなくちゃいけないんだ」
「あの黒いのからも出るんでしょ。やめてよ、ほんと」
「もっと恐ろしいものだったらどうしよう」
「ダイスケからでたんだから、もっとグロいものになるよ」
無責任な声と、恐怖が広がっているらしい。明らかにダイスケから出た物ではなく、汚い大人が育て上げた『穢れ』だと言うのに。
でも、これは不味いな。
想像力豊富な子供が多くいるのも、『六つ脚』に強い力を与えかねない。
いや、強い力を与えているから、祓われている先から回復しているのだろう。
「聖女様を信じろ。あんな物体は、出てくるはずがない」
「うるさい! 余所者! お前が居なければ……」
大人が何の根拠もなく否定してきた。
本当に、悪化させるのだけは上手いな。
「皆さんは、私が祓うところを想像してください。大丈夫です。信じてくだされば、私は絶対に祓って見せます」
ラフィが光を強くした。
息ができなくてもがくかのように、六つ脚の脚が動く。バン、バン、と不可視の壁を叩いて。不快な声を上げて。恐怖する人を嘲笑うかのように。そこに断末魔が混じるように。肉が削げていくように、六つ脚が削り取られていく。
床に散らばっていた『ソレ』が集まりだした。
ぐにょぐにょと、ぼこぼこと。
悲鳴を糧にして大きくなりながら、ただの黒い沼地から六つ脚のような脚が一本現れた。細長い脚だが、違うところは『殺す』という感情に反応したかのような鋭い刃がついている所。
不味すぎる。
ラフィが六つ脚を抑えながら、盾を一つと剣を握りしめ、形を得ようとしている『ソレ』に向かって手を伸ばした。
「助けてください」
罵声を浴びせた女性がラフィに抱き着いた。
邪魔になるだけなのに抱き着いた。
堰を切ったように近くに居た人が、どんどんラフィにしがみついていく。泥沼に引きずり込むように。彩度を落とせば、お前も落ちろと聖女に言っている絵画のように。「おいて行かないで」と的外れなことを叫ぶ人もでてきた。
六つ脚の嗤い声が大きくなる。
ラフィへのしがみつき、すり寄りは、より激しく。私だけは助けてと、自分だけは助かりたいと、助かって然るべきだと言うように。我を争ってラフィという光に羽虫が殺到する。
ただただ、醜い。
核になり得る、悪意の籠った石がたくさん落ちていると言うのに。いや、彼ら自身から湧き出たものだから、彼ら自体も核になりうるというのに。
核をもった『ソレ』は、持たない『ソレ』よりも段違いに厄介だと言うことぐらいは、知っているだろうに。
街の人が堕ちた後に全ての『穢れ』を消した方が、一石二鳥で良いのではないかと思うが、ラフィは望まないだろう。でも、そのラフィは守りたいであろう人によって動きを妨げられている。
抱きかかえているダイスケが、震えているのが分かった。
このままでも、ラフィは死なないだろう。でも、動きづらくしたのは街の人なのに、この『穢れ』が広がったらラフィが責められかねない。
それだけは、あっちゃいけない。
ラフィの後ろの街に、黒い炎を幻視する。全てを燃やし、空を焦がした。全てを一変させた炎と、自分は悪くないといけしゃあしゃあと言ってのけた小太りのお金持ち。
…………別に、こんな人たちがいる街なら、居たいとも思えないし。だから、別に……。
気づけば固く閉ざされていた口を、ゆっくりと開く。
「ダイスケくん、お父さんとお母さんは好きかい?」
抱きかかえたままの彼に聞くと、曖昧な返事が返ってきた。
悪い意味ではなく、迷惑になると思っているかのような俯き方である。
「聖女様は?」
こくり、とダイスケが頷いた。
「みんな死んじゃえって言っていたけど、生きていてほしい人もいるんだね」
「……うん」
小さな声だが、確かにしっかりとダイスケが言った。
「じゃあ、その人たちのことを考えていようか。無事に終わるから、終わったらどうするか。何をして遊ぶか。できるかな?」
ダイスケが頷いた。
「よし。良い子だ。ダイスケくんが好きな人のために頑張れるなら、お兄さんは『穢れ』を討ってみせるよ。だから、楽しいことを考えててね。お兄さんとの約束だぞ」
小指を出して、指切りをする。
「暁さん!」
泣き出しそうな顔で、ラフィが首を横に振った。
素早くラフィから視線を外す。
ごめんね。
戦う前としては情けない顔になったのを自覚し、表情を引き締める。
腰から、『ソレ』の核になりうる特殊な球を取り出した。『ソレ』は石を大分引き込んでしまっており、脚の数も四本現れている。
でも、まだ間に合う。
球を『ソレ』の中心に投げた。怖いモノ、醜いモノ、嫌な者は十分にさっきも見た。鮮明に思い出した。
多くの人の意思をくみ取って造り上げられようとしていた怪物が、六つ脚に引っ張られていたイメージが、急に人間に近づいた。
「モノ・ハスタ!」
声を張り上げると、ハスタが太陽を背に降りてきた。
六つ脚に自慢の一本角をぶつけると、僕の手元に槍が落ちてくる。得た六つ脚の力も、槍に籠る。
「ああ……」
ラフィが小さく嘆くような声を上げた。同時に、希望を見るような子供の目と、助けを求めつつもお前のせいだと訴える大人の目。憎悪に埋もれた人の顔。
また視界に入れてしまっていたラフィを、無理矢理追い出し、『ソレ』に向き合う。
人間の形を中心に、されど背中からは刃付きの四つ脚が出ており、頭に角、肩にトゲ。首は木のうろのように間がぽっくりと空いている。手足は異常に長く、背中を曲げて緩慢なサルのように石を摘まみ上げた。石が一瞬で真っ黒に飲まれる。
『ダイスケ……コロセ……ダイスケ……ズルイ……ドキョウダメシ……セイコウ……セイジョサマニチカヅク……ヨソモノ……シネバイイ……デテケ……』
相も変わらず、空気に波を作らない声で、刃付きが言った。
「おーおー。どう考えても、僕やダイスケの意見じゃないねえ、これは」
ダイスケの頭を撫でてから、前に出た。
石を掴んだまま、四つ脚が伸びてきた。槍で防ぎ、回転するように弾く。そのまま地面に叩きつけた。
「纏え」
ハスタが一直線に槍の先にやってきて、くっついた。ハスタごと地面に叩きつけて跳び上がる。
刃付きの頭上に回り、上段からハスタを叩きつけるように射出。防ぐことも、石を投げて僕を落とすこともできずに、刃付きが地面に背をつけた。
着地と共に槍を突き出して左足から下を消し飛ばす。
無理矢理ラフィの攻撃を脱した六つ脚が僕に飛んできた。六つの脚を広げ、鉤爪でもって脅しをかけてきている。零れ落ちる黒は、ラフィが消して街民にかからないように。
「戻って」
ハスタに言うと、刃付きを再度叩いてから槍に戻ってきた。新たな『ソレ』の力が宿る。
「悪いけど、機嫌は良くないんでね」
槍を振るい、六つ脚の右側の脚を斬り飛ばす。体も回転させて六つ脚の右側から抜ける。
槍にくっついたままのハスタを先端まで下げて、再び槍を使った跳躍。
バランスの崩れた六つ脚だが、零れる黒によって徐々に脚が再生しつつある。だが、ラフィの攻撃の影響か、傷口はぐじゅぐじゅと溶けかけの挽肉になっていた。
「不浄よ、流れ給え」
ラフィの祝詞で、再生しつつあった六つ脚の脚が黒い液体に戻った。ぱしゃん、と消えて六つ脚が地面に顎をぶつける。黒い液体が飛び散り、ラフィによって消された。
清浄な気で、刃付きと六つ脚の動きが鈍る。街民はラフィの後ろで、ラフィにしがみついて。
だから邪魔だってば。
「いくよ、ハスタ」
六つ脚の頭に、槍を叩きつけた。そのまま地面に埋める。
土が跳び、黒が飛び跳ねて六つ脚の頭が潰れた。立ち上がろうと左足が、かさかさと素早く動く。髭のようなひれが黒い脚から生えて、残像も生まれていた。気持ち悪い。
「吸い取れ」
槍を頭部の断面から、腹の下へと突き刺した。刃付きはラフィが盾で押さえつけている。
六つ脚に突き刺した槍を、上へと持ち上げた。腹が裂けて槍が太陽の煌めきを受けて輝く。黒はどんどんハスタと槍に吸収された。
『グギャギャギャギャ』
という耳障りな嗤い声が長く響き、六つ脚が黒い泥に変わる。核らしきものが覗くまで笑い声は続いていた。
どろり、と粘性の高い、手につくと永いこと残りそうな液体の中から、小さな頭骨とくまのぬいぐるみが現れた。髪の毛らしい細い線も、べっとりと頭蓋骨とぬいぐるみにへばりついている。その核が、弱弱しい動きで槍の先を掴んだ。
「少女の怪物ってか?」
核を突き刺そうとしたときに、刃付きの長い手がくまのぬいぐるみをかっさらった。
肘が上に過剰に上がるようにして摘み、覗き込むように見ている。首を傾けることで顔もそのまま四十度ほど曲がっている。巨大な目が、ぐるん、と回った。
「ひいぃっ」
物色しているような様に、街民が悲鳴を上げた。刃が声の主に一直線に迫る。ラフィの盾が防いだ。
より一層、ラフィにしがみつくように街民が足に纏わりついている。
刃付きが口を開けた。人間と同じようなバランスだった口が、一気に顔の半分以上あるのではないかと言うほど大きく開く。歯はギザギザで、鋭いようだ。そして、そのままガブリ。クマのぬいぐるみが噛み千切れず、一度、二度と手で引っ張ってから千切れた。綿が見え、ぼろぼろになった繊維が痛々しい断面を形成している。その中で、刃付きがぬちゃぬちゃと口を前後にゆっくり動かして咀嚼していた。
ぐるり、と首が回ったように刃付きが街民の方を見た。街民の顔が恐怖に染まるのが見える。刃付きが、街民に視線を固定したままクマのぬいぐるみをまた口に運んだ。食べ残された足が落ちる。刃付きの左足が再生する。
背中の四つ脚が固まってきた。
刃付きから目を離さずに少女の頭骨を掴む。
核が二つなら、こちらだけでも『祓って』おけば完全には吸収されないか。
槍を構えて、刃付きに突撃する。刃付きが振り返った。頭部と首から下の一部しかのこってないクマのぬいぐるみが完全に口の中に消える。
「ふっ」
息を吐きつつ、突き。
もろに胸部を強打した刃付きが仰向けに倒れた。
「ラフィ、祓って」
少女の頭骨を投げる。街民から悲鳴が上がる。ラフィから街民が離れた。
「勿体ないねーなー」
そして。
忌まわしい声が鼓膜を揺らした。
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