浮気性なあの子と、とある殺人鬼の話

赤オニ

本文

 最近世の中を騒がせている殺人鬼がいる。

 男の陰部を切り取ってから目玉をくり抜いたり舌を裂いたりと残忍な殺し方をするそうだ。

 犯行時間は夜中が多く、たまに日中にも起こる。

 現場は住宅街だったり、繁華街の路地だったりと様々なのだが、殺人が行われている範囲が狭いことからすぐに捕まると思われていた。

 だが、捜査の手をすり抜けるように一向に犯人の足取りは掴めていないそうだ。

 毎朝流れる嫌なニュースを見ながら、ゲェっと舌を出す。


 グロいのは苦手だ。

 血が吹き出すのも気持ち悪いし、痛いのなんてもちろんイヤだ。

 最近は子供が見るような漫画でも平気で内臓がこんにちはしてたりするから、迂闊にページを開けなかったりする。

 白黒でもうっと目を背けるのに、ニュースでは現場の血痕を映したりするからその時はテレビを消す。

 慌てて目を瞑ってもニュースキャスターの読み上げる内容を想像してしまい、胃液がせり上がってくることも多い。

 早く捕まればいいのに。

 なんて、呑気に考えていたのは2週間前の話。

 被害者に共通点を見つけ、アタシはリビングで吐き散らかした。

 被害者として画面に映し出された男たちは、どいつもこいつもアタシが寝た男だった。


 話変わって、アタシの彼氏は重い。

 物理的な重さじゃなくて、精神的な重さ。

 いや、でも。愛が形になったらとしたら、アイツの愛はきっととんでもなく大きくて潰れそうなほどに重いのだろう。

 アタシがそんな愛の重いメンヘラみたいな男と付き合ってる理由といえばただ1つ。

 セックスが上手い。

 付き合う前のアイツは爽やかなイケメンって感じで、人当たりが良くて誰からも好かれているような男だった。

 女からも男からもとにかく人気があった。

 そんな男からアプローチを受け、悪い気分じゃなかったのは認めよう。

 体つきも良かったし、アッチの方も大きそうで上手いかなって思って付き合い始めた。

 予想に反してアイツは初めてだったわけだけど、手つきが優しく、壊れ物を触るように丁寧だった。

 2回目にはすでにアタシの弱い所を把握して徹底的に攻めてきたから、素質みたいなものはあったんだと思う。

 1度攻め始めるとアタシが泣くまで止めてくれないから、普段アタシに振り回されてる分夜に発散してるのかななんて呑気に考えていた。


 セックスが上手いからしばらく付き合っていたけど、段々アイツの嫉妬深い部分が見えてくるようになって嫌になった。

 ちょっと他の男と話してるだけで「俺の彼女に何か用?」なんて牽制するし、後になって「何話してたの」なんて詰め寄ってくる。

 ウンザリして別れ話を切り出した日には泣いてすがりつかれたし、もう口出ししないと約束したので仕方なく付き合いを続けた。

 それからは平和だった。

 アタシが他の男と話しても、たまにセックスしても、アイツはニコニコしながら「最後は俺のところに戻ってくるならいいよ」って許してくれた。

 自由が好きなアタシは、今まで彼氏が居ても長続きすることは無かった。

 嫉妬されるのも嫌いだし、束縛されるのも鬱陶しい。

 その点、別れ話をしたあとのアイツは驚くほどの寛容さを見せた。

 アタシが他の男とベタベタくっ付いても何も言わないし、他の男と寝た夜は腰は大丈夫? なんて気色悪い気遣いまでしてくれる。


 アタシのことお姫様か何かと勘違いしてるんじゃないかってぐらい甘やかしてくれるから、何やっても許してもらえると思ってた。

 なのに、ある時「アンタよりいい男見つけたから乗り換えちゃおうかな」って冗談で口にしたら、いきなり押し倒された。

 口元は笑ってるのに怖いぐらい目が据わってて、アイツは怒りを押し殺したような低い声で「許さないよ」って言ったのは流石に肝が冷えたからもうやめようと心に刻んだ。


 そんなわけで順調な交際をしていたわけだけど、アタシは運が悪いらしい。

 浮気してもストーカーされても刺されることはなかったし、何となくこれからも飄々と生きていくんだと思っていた。

 何も残さず、誰にも必要とされず。

 ……あ、アイツには必要とされてるかも、なんて。

 返り血で真っ赤に染まった服を着たアイツと夜の道で出くわすまでは、そう思ってたんだ。

 喉から出たのは悲鳴じゃなくて、ヒュッと小さく息を吸った。

 ぞわりと鳥肌が立って、地面に横たわっている人影に気付いた。気付いてしまった。

 街灯にぼんやりと照らされ、目を開いたまま動かないその男は、アタシが1ヶ月前に寝た男だった。


 アタシに甘い言葉を囁いた口は頬まで裂け、喉にはナイフが突き刺さり、ダラリと裂けた口から力なく垂れる舌はヘビのように2つで。

 目のあった場所にはハサミが突き立てられ、原型を留めないほどかき混ぜられていて、上半身の傷は胸に刺さったナイフだけ。下半身はズボンが下ろされていた。

 ――男たちは皆、陰部を切り取られていた。

 見たくないのに、凄惨な現場に本当なら胃液をぶちまけているのに、死んだ男から目が離せなかった。


「そんなにアレを見ちゃダメだよ。俺だけ見て」


 ぬっと手が伸びてきて、反射的に避けた。

 しかし、1歩近付いたアイツのひんやりと冷たい手が頬に触れて、優しく、しかし抵抗出来ない力で顔を動かされる。

 てっきり手にも血が付いてると思ったのに、手袋をしていたのか素手は綺麗なままだ。

 大きくて包み込むような男の手。でも、アイツは年中手が冷たいのだ。

 夏は気持ちよくてベタベタ触ってたけど怒らなかったし、冬は冷たいから触らないでって言うとストーブでしっかり温めてから触るようになった。

 アイツはいつもと同じように穏やかな目をしていた。

 何かを諦めているような、アタシを慈しむような優しい目。


「俺さ、ずっと考えてたんだ。どうしたら君が俺だけのモノになってくれるんだろうって」

「……アタシ、物じゃない」

「うん、君ならそう言うと思ってたよ。君ならはいつだって自由で、俺がいくら邪魔な奴らを掃除してもどんどん増える。君と別れたくない、俺だけを見ててほしい。でも、それは無理なことだろう?」

「……」


 カラカラに乾いた喉に唾を通すけど、潤った気なんてしない。

 瞬きなんて出来なくて、目がカピカピになってもアイツから逸らすことが出来ない。

 じっと目の奥を覗き込まれる。

 街灯があると言えど、ここまで近付いたら影になって何も見えないだろうに、何かを見つけるようにしばらく見つめ合っていた。

 不意にアイツが視線を逸らし、ふっと小さく笑った。

 アタシをねちっこく攻めてる時、意識が飛びそうで泣き出すアタシを見て満足そうにする時と同じ顔。

 暗くて見えないはずのなのに、アイツの目の奥に黒く濁った何かが見えた気がした。


「俺さ、いい事思い付いたんだ」

「……」

「君を独り占めする方法。聞きたい?」

「……聞きたくない」

「教えてあげる。それはね、俺と一緒に死んでもらうこと」


 嬉しそうに、オモチャをもらった子供のような笑顔で、アイツはアタシの頬に触れる。

 いつもと同じ、ガラス細工にでも触るような静かで撫でるような手付きだけど、心臓を鷲掴みにされているような恐怖に体が震える。

 死にたくない。何でアタシがコイツと死ななきゃいけないの。死ぬなら1人で勝手にしてよ。

 罵倒する言葉はいくらでも浮かんでくるのに、熱に浮かされたような顔でアタシから目を離さないアイツを見たら、肩から力が抜けた。

 これは神様から下った罰なのかもしれない。

 アタシが今まで好き勝手してきたから、こんな結末を迎えたのかもしれない。

 でも、そうだな。

 もし来世があって、もう一度生まれ変われたら――

 地の果てまで追いかけてきそうなこの男と出会わないといいな、なんて。


「死んだら2人だけの世界だ。ああ、ようやく手に入る」


 嬉しいのか、悲しいのか、アイツの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 口元は笑みの形をしているのに、眉を寄せて泣いていた。

 は、はっ、と笑っているのか分からない声を上げ、ああ、と頭を抱えた。 

 アタシはその姿を黙って見ている。

 今のうちに逃げればいいのかもしれない。

 でも、そうしたらアイツはきっとどこまでも追いかけてくる。

 捕まっても、出てきたらアタシを探すだろう。

 今までの被害者を数えたら死刑になるのかもしれないとかぼんやり浮かんだけど、心中するために映画のような脱獄でもしそうだと思った。

 これから先、アイツに追われていつ殺されるか怯える生活を送るぐらいなら、いっそ。


「ごめん、俺は君のそばに居たかっただけなのに……何でこんな……ごめん、ごめんね」

「……なるべく痛くしないで」

「うん、うん。ごめんね……愛してる」


 ブツリ、一瞬ヒヤリとした刃物が腹に沈み、それから焼けるような痛みに襲われた。

 頭から血が上がったり下がったりして、目の前が暗くなっていく。

 衝撃と共に至近距離に地面を感じ、うっすら目を開けるとまだ生きていた。

 冬のコンクリートってこんなに冷たいんだな、なんてどうでもいい事が浮かんだ。

 そうか、アタシもこれから冷たくなるんだ。

 ああ、でも、これで終わるんだ。

 アイツの手から、逃れられる。

 そう考えたら、なんだか包み込まれるような安心感さえあった。


「来世で幸せになろう」


 アイツの最期の言葉を聞いて、止めてと叫びたかった。

 すぐそばに倒れた体を見て、離れようと腕を動かす。

 イヤだ、イヤだ、来世なんて、アタシは今度こそ自由に――


「イヤだ、よぉ……」


 今度こそ、視界が真っ暗になった。

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