Матрешка

敦煌

Матрешка

「君たちの未来の話をしよう」

 嗚呼、この類の講演は退屈だ。

 今日呼ばれたこの講師もどうせまた、胡乱げで何処まで行っても延々と同じ、ナンセンスな堂々巡りの話をするのだろう。そう思って、教室の隅で大あくびをした。天井に張り付いた蛍光灯がチカチカ目を眩ませる。分かっているよ、どうせ貴方も私達に、努力をしろと言うんだろう。家畜の肥え太るように、それだけしていろと言うんだろう。雑な字で色々書いてあるホワイトボードから目を背けた。

「世界中で活躍する、新しい時代を担う若者を」

「自分の夢を叶えるんだ」

「君たちは自由なんだ」

 またも矛盾だらけの御託が並ぶ。教師は老若男女皆、酔いしれた眼差しで壇上の男を見ていた。きっとウォッカかはたまたクラカヂールか、いずれにしろ私の様な子供にはまだ分かるまい。そうだった、前の講師も同じことを言っていた。彼も一時間半、散々モルヒネ中毒者の様な妄言吐いて帰って行った。表面上は十人十色だが、皆人形の様に同じ形をしている。絵付けの微妙な差異はさほど問題でない。

 一体何処の誰だかも知らない初対面のこの進学塾の講師にも、私達一人一人の将来を語る資格が有るなんて。そう、答えは至極単純明快だ。猿でも分かる人間の生きる道。打製石器をスマートフォンに持ち換えて、やる事は単なる社会的生命の維持。

 分かるまいと聞き流す内に、今度はだんだん言語が融解して来た。

「Вступительные экзамены в колледж необходимы, чтобы воплотить в жизнь ваши мечты」

 な ん の こ と だ か わ か ら な い 。

 解読不能のキリル文字が脳内を満たす。

「Если ты устроишься на работу в крупную компанию из первоклассного университета, твое будущее в безопасности」

「Учитесь для этого. Это также будет способствовать международному сообществу」

 吐き気を催す様にループしだす理論。思考のノイズの奥から途切れ途切れに聞こえて来るのは、サイケデリックに点滅するチンケな文字列の単語達。嗚呼、ガンガンと割れる様に頭が痛い。曇天の空が滞留しながらショッキングカラーに光り出す。

「Молодые люди, которые будут играть активную роль в мире и возглавят новую эру」

「Исполни свои мечты」

「Ты свободен」


 “свободн自由.”


 ぞっとした。吐きそうになった。

 この大人達は、真っ暗なネバーエンドの檻に囚われて居る。その癖見た事も無いのに鮮やかな殻の外の幻想を、青少年に聞かせて話す。莫迦に明るい将来展望を話す。もう辞めてくれ、そんな不健全な譫言聞きたくも無い。子供に奨励するものじゃ無い。

 自由だ夢だと囃し立てるが、それじゃ本当に夢物語じゃ無いか。語るだけタダの、砂上に聳える大聖堂。全て空論なのは分かっている。私も分かっていて信じる様な阿呆じゃない。そんな子供騙しの玩具みたいな、思っても見ない希望を本気にする様な奴なんて居る訳が無い。麻薬の様な毒々しい言葉が、気味の悪い単語が、空っぽの頭に雪崩れ込む。私の周りの世界が狭まって、視野がグラグラ揺れる。混沌とした色の幻覚の様だ。

 どれだけ時間が経とうと何処に行こうとやる事はただ一つ、私たちが豊かに富むことは無い。何かが詰まっている様に見えるがまるでがらんどう。寧ろどんどん貧相に小さく成って行く。そんなの先生方が一番御存知でしょう、歳を取る程畏縮して。自由だとか希望だとか、粗悪な言葉に依存して。でも本当は分かっているんでしょう。虚言なのか幻覚なのかで、罪の重さは大分変わってきますよ。

 駄目みたいだ。またそうやって、皆同じ事を言う。雑音だらけの不明瞭な音声が、ペイズリー柄の渦巻く背景に染み付いて、両耳から脳を刺す様に飛び込んでくる。

 そんなもん無いんだろう、もう知っているよ。開けても開けても同じなんだろう。これの繰り返しなんだろう。本当に窮屈な玩具の様な人生だ。行き着く先には何も無い。ちっぽけな人形の様に同じ形の骸だけ。

 でもそれは、破綻に見えて真っ当な、精巧に作られた歪だった。およそ終わりの見えない、幾重にも重なり暗闇を孕んだ空っぽの虚像。外殻を破る度に段々と萎縮して行く、色とりどりの可哀想な木彫り人形。

「今日の講演ぶっちゃけ微妙だったね」

 グニャグニャと歪み混ざり合う極彩色の視界の中で、友人だけはくっきりと輪郭が浮かび上がっていた。私はこめかみを指圧しながら、ゆっくりと席から立ち上がる。教壇の講師を一瞥して嗤った。

「まるでマトリョーシカだよ」


 もういっそ、一人でホロヴォードでも踊ろうか。

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Матрешка 敦煌 @tonkoooooou

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