終章3
コンコンコン!
突然、激しいノック音が響き渡る。
弾かれたように体を離した二人は、よく磨かれた窓からこちらを見下ろしている人影に気付くことになった。
「店長っ!?」
メイは素っ頓狂な声をあげ、これ以上ない慌てぶりで床に降り立ち窓を開けた。
家の裏手に広がる林を背景にして立っているのは、男臭い髭と筋肉質な肉体が特徴的な――メイが父と慕っている中年男性だ。
「もう我慢ならねえ! ジュエル、お前わざとか? 可愛い娘の純潔を目の前で奪われる、男親の立場になってみろ!」
「まあまあ、落ち着いてください。それに、今の表現には語弊がありますよ?」
困ったように笑いつつ店長の肩に手を置いたのは、赤髪に黒い瞳を持つ優し気な風貌の男性だ。ストライプの洒落たスーツに身を包んだ彼の隣には、金の巻き髪を一つに束ねた女性が苦笑しながら立っている。
かつて勇者お抱えの仕立て屋として働いていた男性と、その奥さんだ。
「カインさんとベラさんまで! どうして――」
「アンナもいますよ~!」
あどけない声が聞こえてきたため、メイはさらに目を丸くすることになった。
「もう、全然中が見えない!」
「いいの、アンナにはまだ早いんだから」
「ええ~!?」
最近めでたく母娘となった二人の会話が遠ざかっていく。そして玄関扉が開き、店長を先頭にぞろぞろと家に入ってきた。
メイは、ジュエルへと困惑気味に視線を向ける。
「あの、ジュエルさん、これは一体……」
「俺が呼んだんだよ。プロポーズが成功したら声かけるって約束だったんだけど……その、すっかり忘れてた。悪い」
ばつが悪そうに語尾を小さくしたジュエルの頭を、ずかずかと近づいてきた店長が乱暴に撫でまわす。
「お前ってヤツは! まあ、メイちゃんを絶対に幸せにするって条件で、特別に許してやろう。……よかったな」
「……ありがとう、おっさん」
「はは、こんなに素直なジュエルさんは初めて見ましたよ。ずいぶんと丸くなって」
「カイン、うるさい。黙ってろ」
「ほらほら、男性陣は早く移動してくださいね。女性の身支度には時間がかかるんですから」
パンパンと手を鳴らすベラに追い出されるようにして、カインがメイに笑顔を向けつつ玄関から再び姿を消す。そのあとに、ジュエルの車椅子を押す店長が続いた。
「メイ、またあとでな」
去り際、そう声をかけてくれたジュエルは、口角をあげ楽し気な顔をしていた。
わけもわからないままぽつんと取り残されたメイの手を、アンナが引く。
「メイさん、早速着替えましょう!
「着替えるって……なにに?」
「やだなあ、ウエディングドレスに決まってるじゃないですか!」
ウエディングドレス。
それが何なのかはもちろん知っているし、憧れも抱いていた。
しかし、状況がうまく飲み込めずにぽかんと立ち尽くしたままでいると、旅行鞄を開き何やらごそごそとしていたベラが、にこやかに歩み寄ってきた。
「ふふ、サプライズ大成功ね」
彼女が胸に抱えたものに、メイの目は釘付けになる。
純白のドレスだ。まるで天使の翼を重ねたように、やわらかなティアードがいくつも重なっている。
「これから、ネリネ村であなたたち二人の結婚式を執り行います」
「……結婚、式?」
「ええ。ジュエル君は自信がないみたいだったけど、みんなメイちゃんが彼を慕っているのは知ってたからね。プロポーズする日に合わせて祝福しようって、計画してたの。村の方が荷馬車を用意してくださるそうだから、ここで準備を整えて移動よ。ふふ、忙しくなりそうね」
あたたかい言葉が、胸にしみて。「そんなに泣いたら、お化粧できないわよ?」と笑われながら、メイは花嫁衣裳に身を包んだ。
そうして向かったネリネ村の集会所には、愛する人々の姿があった。
店長、常連客の面々、装具士の師匠。村の人々。そして――幼なじみたちだ。
華やかに着飾った彼女たちの背中に、もう純白の翼はない。魔王を討ち果たしたあの日、創造主はメイだけでなく全ての天使を人間に変え、天界から人間界へと突如転移させたのだ。
魔王を倒した褒美としてメイが王に願ったものは、取り壊された勇者城の跡地に、天使狩りで命を落とした者たちを
それをきっかけに、前王の
たかが紙切れ一枚の約束だ。三年前のあの日のように、いつ音を立てて破られてしまうかわからない。
それに、気まぐれな創造主のことだ。今この瞬間に悪魔を復活させてもおかしくないし、別の脅威にさらされることだって、この先きっとあるだろう。
それでも、元々違う種族だった者たちが、一組の男女の幸せを心から祝福してくれている――このあたたかな場所を歩く今、きっと手を取り合っていけると信じることができる。
「メイ、おめでとう……っ!」
「とっても綺麗よ!」
「ジュエル、この幸せ者め! メイちゃんを嫁にするなんて羨ましいぞ!」
透かし編みが美しいベールの裾を持つアンナを先導するようにして、紺碧の絨毯が敷かれた道を硬い表情で進んでいく。唇をきつく噛みしめているのは、左右から飛んでくる声一つ一つが誰のものなのかわかり、嬉しくて愛しくて、情けなく泣いてしまいそうだからだ。
みなが座る長椅子には、白いリボンと星形の花弁が愛らしい薄水色の花が飾られている。
ブルースター。花言葉は、『信じ合う心』。
今日という日に、なんてふさわしいのだろう。
(ステラちゃん。わたし、あなたの家族になるよ)
親友に、そして誇り高い勇者とアネモネの髪色をした女性に、これからよろしくお願いしますと心で告げる。すると、まるで返事をしてくれたかのように、開け放した窓から清らかな風が入り込んだ。
強くも優しいそれが吹き抜けた先には、彼らの宝石。白いタキシードに身を包み、車椅子に腰かけたジュエルの姿がある。
「――綺麗だ」
呟きが耳に届いた瞬間、ついに涙がこぼれ落ちた。
泣き虫な自分は変えられそうにないけれど、きっと彼なら「仕方ないな」と愛おしむように笑って受け入れてくれるだろう。
メイは頬を濡らしながら幸せな微笑みを浮かべ、一歩ずつ前へと進んでいったのだった。
天使のいない世界で 翔花里奈 @ri_shoka
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